第68話
出雲の深奥へと続く「比婆の狭間」。
両側を切り立った断崖に囲まれたその道は、陽光を遮るほどに高く、湿った苔の匂いが鼻を突く。イワレビコ率いるマカツ軍は、この天然の回廊を慎重に進んでいた。
「……、……。……静かすぎる。……鳥の鳴き声一つしねえ」
クマソタケルが鼻を鳴らし、巨大な棍棒を構え直す。
先頭を行くイワレビコの左腕――「深淵の小手」は、何かに共鳴するように、時折「ドクン」と黒い脈動を刻んでいた。
「……、……。……くるぞ。……耳を塞げッ!!」
イワレビコが叫ぶよりも早く、断崖の向こうから「音」が世界を置き去りにした。
――ドォォォォォォォンッ!!!
落雷ではない。それは大気を音速で切り裂く、タケミナカタの放つ**「強弓」**だ。
目視できないほどの速度で飛来した一本の矢は、先頭を歩いていた重装歩兵の盾を紙細工のように貫き、背後の岩盤に深々と突き刺さった。
「な……ッ!? どこからだ! 敵の姿が見えねえッ!!」
混乱する兵士たち。そこへ、第二、第三の「大釘」が降り注ぐ。
矢の一本一本が一本の大木のような質量を持ち、直撃すれば神の鎧さえも粉砕する。
「……、……。慌てるな! 敵は『風』を読んでいる。……ならば、こちらは『理』を書き換えるまでだ」
本陣から、**磐井造**が静かに前に出た。
彼は懐から数多の算木を取り出し、地面にばら撒くと、その配置を瞬時に読み解く。
「……ニニギ殿、左翼三歩。イワナガヒメ殿、その背後を固めよ。……**木花咲耶**殿は、兵たちの視神経に『花の加護』を。……一瞬でいい、風の揺らぎを可視化しろッ!!」
磐井の指揮により、即座に「鉄壁の陣」が組まれた。
イワナガヒメが隆起させた岩壁を、ニニギの盾が補強し、そこへサクヤの放つ桃色の花弁が霧のように舞う。
花弁が空中で不自然に「弾ける」場所――。
そこが、不可視の矢の軌道だ。
「……視えたぜ。……磐井の旦那、……最高の的当て(マトあて)だッ!!」
ニニギが、花弁が弾ける瞬間を狙って盾を突き出した。
――ガキィィィィィィィィィィンッ!!!
激突。
タケミナカタの放った剛矢が、ニニギの盾に弾き返され、火花を散らして崖下に落ちる。
「……、……。……ヘパイストス。……この小手で、……奴の『弦』を掴めるか?」
「……、……。……無茶を言うな小僧。だが、……『空間の歪み』を掴むなら、その腕が一番だ」
ヘパイストスが、イワレビコの左肩にあるエネルギーの調整弁を強引に抉じ開けた。
イワレビコは、黒銀の左腕を天へと掲げ、掌を大きく広げる。
「……タケミナカタ。……姿を隠して撃つのがお前の『武』なら……、……その風、まるごと俺の淵に沈めてやる」
――深淵出力・指向性吸引・【風断ち(かぜだち)】。
イワレビコの左腕が、周囲の空気を猛烈な勢いで吸い込み始めた。
飛来する矢の軌道が、重力の渦によって強引に曲げられ、王の掌の中へと一本残らず収束していく。




