第63話
出雲へと続く「山陰の道」は、高天原の整然とした街道とは対照的に、植物の叫びが聞こえるような生々しい原生林に覆われていた。
先鋒を務めるツチグモとクマソタケルが道を切り拓く中、イワレビコは国境の海岸線で、その「異形」を見つけた。
「……、……。……ひでえな。……神の悪戯にしちゃあ、……趣味が悪すぎる」
波打ち際。真っ白な砂浜の上で、一塊の「赤い肉」がのたうち回っていた。
それは、全身の皮を無慈悲に剥ぎ取られた一匹の兎だった。
毛皮の一本も残っていない。剥き出しの筋肉と血管が潮風に晒され、砂を噛むたびに、生き物としての限界を超えた悲鳴を、その小さな喉から漏らしていた。
「……、……。……助けて……くれ……。……風が……、……塩が……痛いんだ……」
兎は、掠れた声でイワレビコの足元に縋り付いた。
名は因幡の白兎。かつて隠岐の島から海を渡るため、ワニ(鮫)の軍勢を騙し、その報いとして皮膚を食いちぎられた「嘘つきの使者」だ。
「……、……。……ニニギ、水だ。……アスクレーピオスから預かった、……真水の薬を出せ」
「殿、そいつは……! 出雲の回し者かもしれねえんだぞ!」
「……構わん。……皮を剥がれた痛みを、……俺は知っている」
イワレビコは、失われた左腕の傷口を静かに見つめた。
彼は右腕一本で兎を抱き上げ、アスクレーピオスの霊薬を含ませた布で、その痛々しい肉を包み込んだ。
「……、……。……白兎。……誰にやられた。……ワニか、……それとも……」
「……、……。……八十神……、……オオクニヌシの兄弟たちだ……。……あいつらは、……『塩水に浸かって、風に当たれば治る』と……笑いながら俺を騙した……」
兎の瞳に、深い憎悪の火が宿る。
「……気をつけろ、……神殺しの王よ。……出雲の神々は、……高天原のように『理』で殺しには来ない。……あいつらは……『悪意』で、……お前の心をじわじわと剥ぎ取りに来るぞ……」
その時、森の奥から無数の「赤い眼」がこちらを睨みつけた。
出雲の国津神、その尖兵である八十神の軍勢。
「……、……。……聞こえたか、ニニギ。……高天原は計算機だったが、……出雲は『悪趣味な遊技場』らしい」
イワレビコは槍を構え、剥き出しの兎をニニギに預けた。
「……白兎。……お前の皮を奪った連中の首、……俺の槍で代わりにしてやる。……案内しろ。……お前たちの王が待つ、……泥の都までな」
西の遠征。
最初の獲物は、神話の犠牲者だった。




