第55話
山頂の熱は、もはや生物が耐えられる臨界を超えていた。
アマテラスの巨大な「光の指」が、イワレビコの頭上から万物を圧殺せんと降り注ぐ。だが、その指先が王の黒い義手に触れる直前、世界から「音」が消えた。
「……、……。……視えるか、アマテラス。……ここからは、俺たちの領土だ」
その時、麓の陣地から、地を這うような鈴の音が響き渡った。
スイゼイだ。彼女はアスクレーピオスの煙の中で、自らの両目を布で縛り、血を吐きながら最後の一振りを天に捧げていた。
「……、……。……天の理よ……。……光が正義なら、……闇は深淵の慈悲だ。……喰らえ、……太陽の喉笛をッ!!」
――禁術・【日蝕の哭き】。
スイゼイの放った呪いが、イワレビコの義手が作り出した「疑似ブラックホール」と共鳴し、山頂の空間を黒い液体のように染め上げた。
一瞬だった。
四十度を超えていた気温が、氷点下へと急降下する。
灼熱の白夜は終わり、マカツの地には、何千年もの間訪れなかった「真っ黒な静寂」――偽りの夜が訪れた。
「な……!? 何だ、この不浄な闇は! 私の計算機が……光子の欠乏を感知しているだと!?」
鏡面の奥でオモイカネが叫ぶ。
太陽神の「指」は、自らが生み出した熱と光をイワレビコの「闇」に吸い取られ、その輪郭を失って霧散していく。
「……、……。……寒いか、オモイカネ。……これが、お前たちがゴミとして捨ててきた……、……人間の『絶望』の冷たさだ」
イワレビコは闇の中で、黄金色に輝く左目だけを頼りに槍を構えた。
義手の左腕は、もはや肉体の一部ではない。吸い込んだ光を「質量」へと変換し、彼の背後には巨大な「影の翼」が広がっているように見えた。
「……ニニギ、スイゼイ。……聞こえるか。……今だけは、太陽は俺の手の中にある」
地上の兵士たちは、突如訪れた冷気に肌を震わせながらも、乾ききった喉を夜の露で癒していた。アスクレーピオスの緑の煙が、闇の中で蛍のように美しく輝く。
「……、……。……行くぞ。……夜の王として、……その喉元を穿つ」
イワレビコが、闇を纏って跳躍した。
光を失い、影となった王の槍が、太陽の核心へと肉薄する。
アマテラスの「顔」が、鏡面の奥で初めて歪んだ。




