第53話
灼熱の白夜、マカツの山道。
イワレビコが熱波に焼かれ、一歩ごとに命を削りながら進む中、後方の本陣では絶望が完成しようとしていた。兵士たちは渇きに倒れ、ニニギの傷口からは蒸気が立ち上っている。もはや、人間の医術では「死」という名の物理法則を覆すことは不可能に思われた。
「……、……。……ここまで……か」
ニニギを支えるサクヤが、乾ききった喉で絶望を呟いた、その時だった。
陽炎の向こうから、一人の男が静かに歩み寄ってきた。
男は、かつて下野したアポロンと同様、神聖な光をその身に宿していた。しかし、その光は太陽のような「熱」ではなく、森の奥深くで湧き出る泉のような、静かな「冷気」を孕んでいる。
彼の手には、一本の太い木の杖。そこには、生きた蛇が螺旋を描くように巻き付いていた。
「……父の身勝手な熱が、多くの命を焼いているようだ。……医者として、これは見過ごせんな」
現れたのは、アポロンの息子にして天界最高の医術を司る神、アスクレーピオス。
彼は倒れ伏す兵士たちを見渡すと、静かに杖を大地に突き立てた。
――神権・【医神の聖域】。
杖に巻き付いた蛇が、意志を持つ緑の煙となって広がった。その煙に触れた瞬間、兵士たちの体温は急速に安定し、渇きに焼かれた喉が潤いを取り戻していく。それは魔法による治癒ではない。人体の細胞一つ一つに「生きろ」という強制命令を下し、環境適応能力を極限まで引き上げる、神の医術だった。
「……あ、……ぁ……。……身体が……軽い……」
ニニギが、信じられぬ表情で自らの腕を見つめる。膿んでいた傷口からは不浄な塩水が排出され、新たな肉が急速に再生を始めていた。
「……礼を言うのは早い。私はただ、死の閾値を一時的に引き上げたに過ぎん。……あの上にいる太陽をどうにかしなければ、数刻後には再び焼かれることになる」
アスクレーピオスは、空に居座るアマテラスの光を見上げた。その瞳には、父アポロンとはまた異なる、理知的で冷徹な「生」への執念が宿っている。
「……イワレビコ王。……君が太陽を引きずり下ろすまで、この地の『命』は私が繋いでおこう。……存分に、神の心臓を穿つがいい」
医神の加勢。
絶滅を待つだけだった人間軍に、わずかではあるが、しかし確かな「反撃のための時間」が与えられた。
山頂に立つイワレビコの元に、冷たい風が吹き抜ける。
それがアスクレーピオスの助力であると直感した王は、義手の左腕を強く握り込み、黄金の瞳で太陽の核心を睨み据えた。
「……、……。……待たせたな、アマテラス。……ここからが、……本当の戦争だ」
一万の命を預かった王。
その背中を、医神の光が静かに押し上げようとしていた。




