第52話
勝利の凱歌は、乾いた砂に吸い込まれて消えた。
海神ワタツミを討ち果たした喜びも束の間、マカツの地を襲ったのは、かつてない「沈黙の暴力」だった。
空に浮かぶ太陽は、もはや慈悲を忘れていた。昼が終わり、夜が訪れるはずの時間になっても、黄金の円盤は天の頂に居座り続け、地上を白銀の熱線で焼き続けている。
「……、……。……水だ。水を、運べ……」
イワレビコは、焼け付くような熱を帯びた義手の左腕を、泥水に浸して強引に冷却していた。
気温は四十度を超え、大気は歪み、視界の端々で陽炎が揺れている。
かつて誇り高く身に纏った鉄の鎧は、今や兵士たちの肉を焼く「灼熱の鉄板」へと変わり果てていた。
「殿……。……もう、限界だ。……あちこちで、……奴らが倒れてる……」
ニニギが、サクヤに肩を借りながら、掠れた声で言った。
ワタツミから受けた脇腹の傷は、この酷暑で膿み始め、熱に浮かされた彼の意識を削っている。サクヤもまた、唇を真っ白に乾かせ、震える手でニニギに僅かな水を分け与えていた。
馬は斃れ、川は干上がり、大地はひび割れて「天の呪い」を叫んでいる。
一万の軍勢。神を二柱までも討った最強の軍団が、一歩も動かぬ太陽に、手も足も出せず崩壊しようとしていた。
「……、……。……オモイカネ。……これが、お前の言う『最適解』か」
イワレビコは、槍【天の沼矛】を杖代わりに立ち上がった。
槍の柄でさえ、素手で握れば火傷を負うほどの熱を発している。
「……太陽から、……逃げ場はないわ。……この地全体が、……アマテラス様の『竈』なのよ」
スイゼイが、血走った目で空を睨み、銀の鈴を砂に叩きつけた。
「……、……。……視えるぞ。……アマテラスは、……俺たちの『魂』が、……干からびて砕ける音を楽しんでいる……」
その時、空から再びオモイカネの声が響いた。
かつての冷徹な響きに、今回は勝利を確信した残忍な色が含まれている。
『――イワレビコ王。計算によれば、貴公の軍が全滅するまで、あと三日。……太陽は、貴公が死ぬまで沈まない。……「命の重さ」を説く貴公が、渇きに狂った民に食い殺される瞬間……。それをアマテラス様へ捧げるのが、私の新たな演算結果だ』
「……、……。……三日も、……待たせてやるつもりは……ねえよ」
イワレビコは、義手の隙間から漏れる黄金色の蒸気を、自らの意志で「冷気」へと変換しようと、重圧を内側へ凝縮させた。
だが、その負荷で左肩の断面から、どす黒い血が噴き出す。
「……ニニギ、……スイゼイ。……死ぬなよ。……俺が、……あの『目障りな光』を、……引きずり下ろしてきてやる」
イワレビコが、ゆらりと、しかし確かな殺意を持って歩き出した。
一万の屍が並ぶ熱帯の野を抜け、彼は一人、太陽に最も近い「マカツの山頂」を目指す。
水はない。影もない。
あるのは、喉を焼く乾きと、神への燃え盛る怨念だけだった。




