第41話
タヂカラオが散った。
その事実は、地上の泥を啜る人間軍に「希望」という名の狂熱をもたらしたが、同時に、天上の高天原には、開闢以来かつてない「屈辱」と「沈黙」をもたらしていた。
白金の神殿。
タヂカラオの座していた席は、今は主を失い、ただ冷たい風が吹き抜けている。
神々はもはや嘲笑してはいなかった。彼らが抱いたのは、未知のウイルスに対するような、根源的な「嫌悪」と、僅かな「恐怖」だ。
「……計算を終了した。タヂカラオの損失は、地上における『清め』の効率を三十二パーセント低下させる」
神殿の中央、実体を持たぬ光の集合体――軍師オモイカネの声が響いた。
その声に怒りはない。ただ、壊れた計算機を修理するかのような、冷徹な響きだ。
「不確定要素『イワレビコ』。……彼が操る重力と『海の血』の共鳴は、天の理を一時的に歪曲させる。……これより、対不純物用・広域殲滅戦術『三極の裁き』へと移行する」
オモイカネが空中に扇を広げると、地上の地図が浮かび上がった。
マカツ、隼人の里、そして筑紫。
人間軍が結束を固めつつある三つの要衝を、巨大な光の点が包囲していく。
「……ニギハヤヒ、貴公は北より圧をかけよ。……フツヌシ、貴公は西よりすべてを断て。……そして」
オモイカネの視線が、地図上の「海」へと向けられた。
「……澱んだ血のルーツを断たねば、あの王の魂は折れぬ。……ワタツミよ。深淵の底より這い出し、その不浄なる末裔を呑み込め」
神殿の床が、激しく波打った。
突如として溢れ出した海水が、神聖な白銀の床を黒く染め、凄まじい潮騒が神殿を震わせる。
「……く、くく……。面白い。……天を衝こうとする小魚が、我が血を引いているとはな」
海水の中から、一人の男が立ち上がった。
全身を濡れた漆黒の鱗に覆われ、四つの腕を持つ巨神。その瞳は深海の闇そのものであり、存在自体が地上を押し潰すような「水圧」を放っている。
海神、ワタツミ。
神軍の中でも異端とされる、原初の破壊神が、ついに腰を上げた。
一方、マカツの廃墟。
イワレビコは、折れた槍の代わりとなる「新たな得物」を義手で見つめていた。
タヂカラオとの激闘で義手は焼き付き、右半身は糸に刻まれた傷でボロボロだ。だが、彼の周囲には、勝利を信じる数万の民の熱気が渦巻いている。
「……殿。……妙です。神軍の偵察が、ぴたりと止みました」
ニニギが、新しい盾を磨きながら不気味そうに空を見上げた。
「……、……。……嵐の前の、静けさだ。……スイゼイ、何か視えるか」
スイゼイは、地面に耳を押し当てたまま、ガタガタと震えていた。
「……聞こえる。……遠くから、……大地が水を啜る音が……。……来るぞ、イワレビコ。……これまでとは違う。……世界そのものが、俺たちを『溺れさせに』来ている」
その言葉が終わるよりも早く。
北、西、そして海――三方向の地平線が、同時に白金の光で染まった。
神軍の「本気」という名の津波が、人間軍の僅かな希望を、根こそぎ呑み込もうとしていた。




