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神を殺す王 ―神武東征ダークファンタジー―  作者: 水前寺鯉太郎
神殺しの始まり

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30/75

第30話

マカツの地は、この世の終わりの縮図だった。

 ニニギ率いる一万の人間軍が、神殿から溢れ出す白金の神兵と泥を啜り合い、血の海を泳いでいた。スイゼイが血を吐きながら鈴を振り、神の法を狂わせる。ニニギの巨大な盾が磐井の鉄騎兵を率いて神兵の陣形を食い破る。

 だが、その混沌の中心は、不気味なほどに「静寂」だった。

「……面白い。……面白いぞ、泥の王よ」

 タケミカヅチが、不敵な笑みを浮かべた。

 彼が掲げた大槍から、純白の雷が地を這い、周囲の空間を結晶化させていく。

「一万の呪い、海の血、そしてその鋼の腕。……全てを以て、天の武を試そうというのだな。……いいだろう。……清めではない。……我らが『荒ぶるあらみたま』、その全身を以て、貴様を粉砕してくれよう」

 タケミカヅチが槍を地面に突き立てた。

 ――ドォォォォォンッ!

 雷光が爆発した。

 だがそれは、タケミカヅチから放たれたものではない。彼自身の身体が、白金の雷に飲み込まれ、収縮し、そして膨張したのだ。

 

 毛皮が、骨が、肉が、神話的な速さで再編されていく。

 白金の雷光の中から、姿を現したのは、身の丈十メートルを超える巨大な**「三つ首の犬」だった。

 第十九話で見せた獣の姿とは違う。あれは不完全な顕現に過ぎなかった。今、目の前にいるのは、タケミカヅチという武神の獣性が、戦場の血を啜って完全に肉体を得た、真なる「天の猟犬」――【タケミカヅチ・ケルベロス】**。

 全身を白金の鎧のような剛毛に覆われ、六本の脚が地を蹴るたびに、周囲の重力が狂い、岩石が浮き上がる。三つの首には、以前と同じく「固定された笑顔」の仮面が。だが、その仮面の奥にある灰色の瞳からは、もはや慈悲も理性も失われ、ただ純粋な破壊の衝動だけが渦巻いていた。

「……ォォォォォォォッ!!」

 三つの首が同時に咆哮を上げた。

 その声波だけで、周囲にいた神兵も人間も、等しく圧殺された。

 

「……、……。……来い、化け物」

 イワレビコは、義手の左腕をギチ、ギチと鳴らし、右手の槍【天の沼矛】を低く構えた。

 黄金色に燃え上がった灰色の左目が、巨大な獣を射抜く。

 

 ケルベロスが動いた。

 俊敏。あまりに俊敏。巨大な質量が、音速を超えて迫る。

 イワレビコは、義手の左腕を地面に向けて突き出した。

 

 ――重圧・深淵底プレッシャー・アビス!!

 小手が放つ「海の血」の圧力が、ケルベロスの真下の地面を一瞬で「深海」の重圧へと変えた。ケルベロスの前脚が砂の中に沈み込み、その動きが僅かに鈍る。

 

 その隙に、イワレビコは右手の槍を繰り出した。

 

 ――一閃。

 穂先が、ケルベロスの右首の仮面を砕いた。

 黄金色の血が噴き出す。だが、獣は止まらない。中央の首が、雷光を纏った顎でイワレビコの胴体を噛みちぎろうと迫る。

「……、……!」

 イワレビコは、砕けたケルベロスの仮面の破片を、小手の爪で鷲掴みにした。

 

 ――クラえ。

 小手を通じて、イワレビコ自身の「海の血」と、一万の「呪い」を、ケルベロスの体内に直接流し込む。

 ケルベロスの体内で、純白の雷と真っ黒な怨念が衝突し、不快な爆発音を立てる。

「……が、あ、ァァッ!!」

ケルベロスが悶え苦しみ、残った二つの首で雷のブレスを吐き散らした。

マカツの地が、光と闇の渦に飲み込まれる。

 イワレビコは、自らの身体が焼けるのを無視して、再び跳躍した。

 小手でケルベロスの首を掴み、右手の槍を、その胸元の「心臓」へと向けた。

 

「……天の理が、地に落ちる……音が……聞こえるか」

 イワレビコは、全身の骨が砕けるのを覚悟で、槍を突き下ろした。

 

 ――断。

 槍の穂先が、ケルベロスの白金の毛皮を、鎧を、そしてその奥にある神の核心を、真っ向から穿ち抜いた。

 

 ――ドォォォォォンッ!!

 マカツの全域を包む、凄まじい大爆発。

 光も闇も、人間も神も、全てがその爆風に吹き飛ばされた。

 静寂。

 光が収まった後、そこには広大なクレーターだけが残されていた。

 一万の軍勢も、神殿も、フツヌシも、ニニギも、スイゼイも、誰もいない。ただ、真っ黒な灰が降り注ぐ中、二人の男が、泥の中に座り込んでいた。

 イワレビコ。

 彼の左肩に繋がれた黒い小手は、神のエネルギーに耐えきれず、完全に粉砕されていた。右手の槍も折れ、穂先は失われている。全身は焼かれ、血の涙を流しながら、辛うじて人間としての光を留めている。

 そして、その眼前に。

 タケミカヅチが、人間に戻り、跪いていた。

 彼の大槍は地面に転がり、高潔だった軍服は泥にまみれ、その胸元には、イワレビコが穿った「真っ黒な穴」が空いていた。黄金色の血が、灰の上に滴り落ちる。

「…………」

 タケミカヅチは、自らの胸の穴を見つめ、やがてゆっくりと顔を上げた。

 虹彩も瞳孔もない灰色の瞳に、初めて、人間に対する「驚愕」と、そして「承認」の色が浮かんでいた。

「……面白い人間だ」

 タケミカヅチの声は、掠れた雷鳴のようだった。

 

「我らの武を、ことわりを、その泥にまみれた执念で、ここまで穿つとはな。……イワレビコよ。……誉めてやろう。貴様は、天が認める『敵』となった」

「……、……」

「だが、勘違いするな。……我らは、天の執行者に過ぎぬ。……貴様が穿ったのは、天の『表面』に過ぎん」

 タケミカヅチの身体が、ゆっくりと黄金色の光となって崩れ始めた。神の死。

 

 タケミカヅチは、最期に、イワレビコの後ろ、閉じていく空の亀裂を見つめた。

 その瞳に宿る、底なしの恐怖と、歓喜。

「……天は、お前を殺す」

 タケミカヅチの身体が、光の粒子となって霧散した。

 将軍の死。

 

 後に残されたのは、片腕を無くし、泥の中に沈んだ一人の王。

 そして、神に勝利し、しかし、真なる「天の怒り」を買った、この世界の「呪い」だけだった。

「……ああ。……上等だ」

 イワレビコは、折れた槍を杖に、辛うじて立ち上がった。

 

 空の亀裂は、閉じていた。

 だが、その向こうから、これまでとは比較にならぬほどの、圧倒的な「殺意」が、地上を見下ろしているのを、彼は感じていた。

 復讐は終わった。

 だが、それは人間と天の、真なる戦争の幕開けに過ぎなかった。

 王でもなく、怪物でもなく、ただの「神殺しの男」が、一人。

 泥と灰の中で、天を睨みつけ、再び歩み出した。

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