第29話
かつてマカツと呼ばれた国は、今や巨大な「白金の墓標」へと変貌していた。
街並みは跡形もなく消え、中心部にはタケミカヅチが呼び寄せた天の神殿が、逆さ吊りの山のように虚空に浮いている。そこから放たれる圧倒的な光の粒子が、地上の灰を白く塗り潰し、生物の存在を許さぬ絶対的な「静止」の世界を作り出していた。
その神殿の玉座――崩れた城門の残骸の上に、将軍タケミカヅチは座していた。
大槍を傍らに立てかけ、灰色の瞳で遠く南の地平を見つめている。彼が吐き出す息は、微かな静電気となって大気を震わせ、周囲の空間をチリチリと焼いていた。
「……来たか。しぶとい羽虫どもだ」
タケミカヅチの傍ら、抜き身の直刀を膝に置いたフツヌシが、静かに立ち上がった。
彼の白い着流しは、風もないのに鋭くたなびいている。その瞳には、以前イワレビコを圧倒した時の「退屈」はなく、研ぎ澄まされた鏡のような殺意が宿っていた。
「フツヌシよ。……風の匂いが変わったとは思わぬか」
「……ええ。潮騒の匂いです。それも、ひどく澱んだ、底の見えぬ深海の匂いだ」
フツヌシが視線を向けた先。
地平線の向こうから、真っ黒な「線」が押し寄せてくるのが見えた。
一万の軍勢。
隼人の叫び、熊襲の咆哮、磐井の鉄の響き。そして、マカツの敗残兵たちが抱く、臓物を焼くような怨念。それらが混ざり合い、神の光を喰らい尽くすような巨大な「影」となって、マカツの廃墟へと迫っていた。
その軍勢の先頭。
泥にまみれた馬に跨り、一本の槍を掲げる男がいた。
「…………」
イワレビコは、神殿の頂に座すタケミカヅチを真っ向から見据えた。
彼の左肩に繋がれた黒い義手は、神の放つ静電気に反応し、ギチ、ギチと不吉な音を立てて蠢いている。
一万の軍勢が、神殿から数町(数百メートル)の距離で、ピタリと足を止めた。
「ニニギ。……スイゼイ」
「ああ、分かってる。……ここが、俺たちの死に場所じゃねえ。神様の『命日』だ」
ニニギが、黒石を埋め込んだ大楯を地面に突き立てる。
「……法は、既に崩壊している。……視えるぞ。天の光の下に隠された、剥き出しの『肉』がな」
スイゼイが、血走った目でタケミカヅチの神殿を指差した。
イワレビコは馬を降り、ゆっくりと歩み出た。
右手の【天の沼矛】の穂先が、石畳を削り、火花を散らす。
「……タケミカヅチッ!!」
イワレビコの叫びが、神域の静寂を切り裂いた。
「お前は言ったな。……人間は、ただのゴミだと。……神は、抗えぬ法則だと」
イワレビコは、義手の左手で槍を力強く握り直した。
義手の隙間から、黄金色の「海の血」が蒸気となって噴き出し、彼の周囲の重力を狂わせる。
「なら、その法則を……俺の槍で、根こそぎ穿ち抜いてやる。……一万の絶望を、その喉元に叩き込んでやるぞッ!!」
玉座のタケミカヅチが、ゆっくりと腰を上げた。
彼が傍らの大槍を手に取った瞬間、マカツの全域に、凄まじい雷鳴が轟いた。
「……面白い。……死に損ないの王よ」
タケミカヅチの周囲に、純白の雷が渦巻く。
「その泥にまみれた執念。……天の理を以て、今度こそ塵一つ残さず、消し去ってくれよう」
フツヌシが音もなく前進し、抜刀する。
それに応じ、ニニギが咆哮と共に盾を掲げ、突撃の合図を送った。
――総力戦、開始。
白金の光と、真っ黒な潮騒が、マカツの灰の上で真っ向から激突した。




