第20話
空気が、焼けて消えた。
タケミカヅチがその大槍を水平に構えた瞬間、マカツの兵たちが感じたのは「重圧」ですらなかった。それは、生存を許された空間そのものが、天の意志によって急速に狭められていくような、根源的な恐怖だった。
「殿の前に、盾を並べろォッ!!」
ニニギの叫びに応じ、生き残っていた二十余人の精鋭たちが、死に物狂いでイワレビコの前に並んだ。ボロボロになった鉄の盾を重ね合わせ、肉の壁を作る。彼らにとって、イワレビコはもはや単なる王ではない。神という理不尽を殺せる唯一の「希望」だった。
「……無駄だ」
タケミカヅチが、静かに一歩踏み出した。
彼が槍を横に一閃する。
――カッ!!
雷鳴さえ遅れてくるほどの神速。
衝撃波でも、光線でもない。ただの「振り」だった。だが、その槍の軌道上にいた十人の兵たちが、声も上げずに蒸発した。
盾も、鎧も、そして彼らが抱いていたはずの恐怖さえも。
一振りで十の命が、天の雷光に飲み込まれ、不快なオゾンの臭いだけを残してこの世から消滅した。
「あ……が……っ」
最前列で盾を構えていたニニギの左腕が、衝撃の余波だけで粉砕されていた。大楯は熱でひしゃげ、もはやただの熱い鉄板に成り果てている。
「逃げろ……っ、皆、逃げろ……!」
ニニギが血を吐きながら叫ぶ。だが、タケミカヅチは止まらない。
二振り目。
さらに十人の命が、光の中に霧散する。
それは「戦闘」ですらなかった。農夫が雑草を鎌で薙ぎ払うような、あまりに淡々とした、あまりに効率的な「処刑」だった。
「……汚れた。清めねばならぬ」
タケミカヅチの灰色の瞳が、最後に残ったイワレビコを捉えた。
イワレビコは、膝をついていた。
彼の左腕の黒い鱗が、タケミカヅチの放つ純白の雷に打たれ、まるで生き物のように悲鳴を上げてのたうち回っている。
「……、がぁ……あああああッ!!」
イワレビコは、右手の【フツノミタマ】を杖にして、辛うじて立ち上がった。
だが、彼の視界に入ったのは、先ほどまで自分の背中を守っていた男たちの「何も残っていない地面」だった。
靴も、遺品も、灰すらも残らない。
神という絶対者の前では、人間の死に様さえも否定される。
「……カグヤマが、このような泥に敗れたか」
タケミカヅチが、大槍の穂先をイワレビコの喉元に向けた。
届く。一突きで終わる。
イワレビコは黒剣を構えようとしたが、身体が動かなかった。心臓の鼓動が、タケミカヅチの放つ雷鳴と共鳴し、内側から破裂しそうなほどの衝撃を脳に与え続けていた。
「スイゼイ……! 何か術はねえのか!」
ニニギが絶叫する。
だが、スイゼイは白目を剥き、泡を吹いて倒れていた。シャーマンとしての高い感受性が、タケミカヅチという「神そのもの」の存在圧に耐えきれず、精神を焼き切られたのだ。
「終わりだ、虫ケラ」
タケミカヅチが槍を突き出した。
――ドォォォォォンッ!!
大地が割れた。
白光が爆発し、マカツの荒野全体が、真昼よりも明るい死の色に染まった。
意識が、遠のいていく。
イワレビコが最後に見たのは、自分の自慢の「黒い左腕」が、神の槍によって無造作に吹き飛ばされ、宙を舞う光景だった。
静寂。
光が収まった後、そこには広大なクレーターだけが残されていた。
タケミカヅチは、槍を消し、退屈そうに空を見上げた。
「……不浄は、消えたか」
足元には、片腕を失い、泥の中に沈んだ「かつての王」が一人。
マカツの軍勢は、その名と共に、歴史の灰へと帰した。




