表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神を殺す王 ―神武東征ダークファンタジー―  作者: 水前寺鯉太郎
神殺しの始まり

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/74

第2話

神軍が去った後には、静寂だけが残るはずだった。

 だが、その日の午後は違った。

 空の亀裂が閉じてから数時間。村人たちがようやく、奪われた者たちの名前を呼んで泣き始めた頃――再び、あの「音」が聞こえてきた。

 ガチリ、ガチリ。

 それは、硬い石の上を、あまりに重量のある何かが歩く音。

 村の広場。供物を奪い去ったはずの神兵が、一騎だけ、そこに戻ってきていた。

 六本足の馬。その蹄が地面を打つたびに、再び土が焦げる。馬上にある神兵は、相変わらずあの不気味な、固定された「笑顔」を浮かべていた。

 村長が、震える足で再び這い出てくる。

「か、神よ……何用でしょうか。供物は、確かに……」

 神兵は答えない。ただ、乳白色の眼球をゆっくりと動かし、村の家々を見渡した。

 その視線が止まる。

 タカクラジの家だ。数時間前に主を連れ去られ、女が赤子を抱いて泣いている、あの小さな家。

 神兵は、腰に差した剣を抜いた。

 それは金属の音を立てなかった。光を固体にしたような、白く透き通った長剣。

 神兵はそれを無造作に、タカクラジの家の屋根へと振り下ろした。

 ――轟音。

 剣が触れた瞬間、藁葺きの屋根は「切られた」のではない。光の奔流に飲み込まれ、内側から爆発したのだ。

 乾いた藁が、一瞬にして猛烈な炎を上げる。

「あああ……っ!」

 中からタカクラジの妻が、赤子を抱えて飛び出してきた。髪に火がつき、肌が焼ける。

 村の男たちが、たまらず駆け寄ろうとした。

 その一人、村で一番の力自慢だった若者が、薪割りの斧を手に神兵へと突っ込んだ。

「よくも……よくもタカクラジを奪い、家まで……!」

 斧が神兵の太ももを目掛けて振り下ろされる。

 イワレビコは城のテラスから、それを凝視していた。

「止せッ!」

 王の叫びは届かない。

 斧の刃が、神兵の白い鎧に当たった。

 だが、響いたのは鈍い金属音ではない。パリン、という、薄い氷が割れるような、あまりに軽い音。

 若者の持っていた鉄の斧は、神兵の鎧に傷一つつけられず、粉々に砕け散った。

 神兵の笑顔は変わらない。

 ただ、六本足の馬が、苛ついたように前脚を上げた。

 グシャリ。

 若者の頭部があった場所に、六本目の蹄が落ちる。

 悲鳴さえ上がらなかった。

 かつて人間だったものが、焦げた土と肉の塊になり、地面に埋没した。

「汚れている」

 神兵が、初めて言葉を発した。

 それは歌うように美しく、そしてこの世で最も冷酷な判決だった。

「この地は、神へ捧げる『祈り』が足りぬ。不浄を焼き、清めねばならぬ」

 神兵が剣を横に一閃する。

 その軌跡に沿って、目に見えない熱波が円を描いて広がった。

 広場に面した家々が、次々と発火していく。逃げ惑う人々。神兵はそれを追うこともしない。ただ、そこに留まり、世界が燃えていくのを、うっとりと眺めている。

 イワレビコは、テラスの石を握りしめていた。

 爪が剥がれ、指先から血が流れている。だが、痛みを感じる余裕はなかった。

「殿! 門を閉じろと命じてください!」

 オオクメが、必死の形相で彼の衣を引く。

「あの神兵は、我々の反応を見ているのです! ここで城が兵を出せば、国ごと滅ぼされます! 頼みます、イワレビコ様……今は、黙って見ていなければならないのです!」

「……民が、焼かれているんだぞ」

 イワレビコの視界の中で、タカクラジの妻が倒れ、炎に飲まれていくのが見えた。

 赤子の泣き声が、一瞬だけ高く響き、そして消えた。

 タカクラジの、あの不格好な笑顔が脳裏に浮かぶ。

 あいつが命をかけて守ろうとしたすべてが、今、たった一騎の神兵によって、塵に変わろうとしている。

「俺は、王だぞ」

 イワレビコは、腰の剣を抜いた。

 代々の王から受け継がれた、マカツで最も優れた鉄の剣。

「王が民を捨てて、何の国だ!」

 彼はオオクメを振り切り、テラスから駆け下りた。

 馬に飛び乗り、城門を強引に開けさせる。

 背後でオオクメの悲鳴のような制止が聞こえたが、今の彼には、ただ自分の血が沸騰する音しか聞こえていなかった。

 燃え盛る村の広場。

 イワレビコの馬が、火の海をかき分けて神兵の前に躍り出た。

「そこまでだ!」

 神兵が、ゆっくりと首を傾けた。

 乳白色の目が、馬上の王を捉える。

「人間。お前も、清めを望むか?」

「黙れ。貴様らに清められる覚えはない」

 イワレビコは馬を走らせた。渾身の力。王家伝来の剣技。

 神兵の首を狙い、鋼の刃が風を切る。

 確かな手応えがあった。イワレビコの剣は、神兵の首に、完璧な角度で食い込んだはずだった。

 ――キィィィィィィンッ!

 耳を劈くような高音が響く。

 イワレビコの手首に、凄まじい衝撃が走った。

 

 剣は、折れてはいなかった。

 だが、神兵の肌に当たった瞬間に、まるでおもちゃのように跳ね返された。

 傷一つ。

 皮膚をかすめることさえ、叶わなかった。

「……何?」

 イワレビコが驚愕に目を見開いた瞬間。

 神兵が、光の剣を横薙ぎにした。

 それは「攻撃」ですらなかった。

 虫を払うような、軽やかな動作。

「あ……」

 次の瞬間、イワレビコは馬ごと吹き飛ばされていた。

 視界が回転し、地面に激突する。

 右肩に、焼けるような熱さが走った。見れば、豪華な王の衣が裂け、肩の肉が、まるで高熱の鉄を押し当てられたように抉れている。

 神兵は、馬から降りることさえしなかった。

 ただ、六本足の馬を歩かせ、倒れたイワレビコのすぐ傍に寄せた。

 巨大な蹄が、イワレビコの顔の真横に振り下ろされる。

 衝撃で地面が陥没し、イワレビコの耳から血が噴き出した。

「弱い」

 神兵の、あの笑顔。

 嘲笑ですらない。ただの、事実の確認。

「これほど弱いものが、なぜ、牙を剥く。神の恩寵を理解できぬなら、その魂ごと、灰になるがいい」

 神兵が剣を高く掲げる。

 村全体を焼き尽くすほどの光が、その剣身に集まっていく。

 イワレビコは、立ち上がることができなかった。

 折れた肋骨が肺を突き、呼吸をするたびに血が溢れる。

 これが、神。

 人間がどれほど血を吐き、呪い、武器を鍛えようとも。

 決して届かない。決して傷つかない。

 ただの、圧倒的な天災。

 死を覚悟したイワレビコの目に、燃え盛るタカクラジの家の跡が見えた。

 

(すまない、タカクラジ……)

 神兵の剣が、振り下ろされる。

 すべてが白い光に飲み込まれようとした、その時だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ