第11話
アメノカグヤマの首を落とした夜、マカツには祝杯の音も、勝利の咆哮も響かなかった。
そこにあるのは、空を覆っていた白金戦船の残骸が地上に降り注いだことによる、新たな火災と、黄金色の神の血に汚れた灰の海だけだった。
イワレビコは、かつての玉座があった瓦礫の上に座り、フツノミタマを膝に置いていた。
彼の左腕は、もはや人間の肉の色を思い出せないほどに黒く、硬く、変質していた。
呼吸をするたびに、肺の奥で黒い煤が舞うような感覚がある。一柱の神を殺す。その代償は、彼の寿命そのものを薪にして燃やしているに等しかった。
「殿、傷の手当てを……」
オオクメが、震える手で布を差し出す。
イワレビコは答えなかった。黄金色に変色した左目が、遠く、暗闇の先を見据えている。
「オオクメ。……聞こえるか」
「……何がでございますか?」
「風の音が変わった。……恐怖の匂いが、遠くから集まってきている」
翌朝。
マカツの廃墟には、奇妙な光景が広がっていた。
近隣の村、あるいは遥か遠方の国から、ボロを纏った者たちが列をなして集まってきたのだ。彼らは「神殺しの王」を一目見ようと、泥にまみれた足をひきずり、マカツの門――今はもうただの石柱の残骸――を潜ってきた。
だが、その瞳に宿っているのは希望だけではない。
「あの方が、神を殺した男か」
「怪物じゃないか。あの左腕を見ろ」
「あの方に付いていけば、もう供物を差し出さなくて済むのか? それとも、あの方のせいで、俺たちの村まで焼かれるのか?」
囁き声は、イワレビコの耳に明瞭に届いた。
彼は立ち上がり、集まった群衆の前に出た。かつての王としての威厳は、今や「畏怖」へとすり替わっている。
「……用件を言え」
イワレビコの声が響く。
群衆の中から、一人の男が這い出てきた。かつてはどこかの国の騎士だったのだろう、ひどく傷ついた鎧を纏っている。
「イワレビコ王よ。……我らの国も、昨夜、神軍に焼かれました。アメノカグヤマという神が討たれたことへの『連座』として、無関係な村々が光に飲み込まれたのです」
イワレビコの眉が、僅かにピクリと動いた。
「我らは、あなたを恨みに来ました。……そして、あなたに縋りに来ました。……もはや、この地には逃げ場などない。神に許しを乞うか、あなたと共に地獄へ落ちるか。二つに一つしか、道は残されていないのです」
男が地面に額を擦り付ける。それに続き、数百人の民が、まるで祈るようにイワレビコの前に平伏した。
それは、勝利の証ではなかった。
イワレビコが神を一柱殺したことで、世界は「供物を出す安定」を失い、「全滅か、反逆か」という極端な二択へと叩き落とされたのだ。
「……勝手にしろ」
イワレビコは冷たく言い放ち、背を向けた。
「俺は、お前たちを守るとは約束せん。……ただ、神を殺す。その道中に、お前たちの死体が積み上がるだけだ」
「それでも構いません! 死を待つだけの羊でいるより、狼の影で死ぬことを選びます!」
背後で上がる、絶望と狂気が混ざった歓声。
イワレビコは、フツノミタマの柄を強く握りしめた。
剣が、低く笑うような振動を伝えてくる。
イワレビコは、一人の復讐者から、数多の「絶望」を背負わされた標的へと変わった。
その頃、遥か高天原の最奥。
アメノカグヤマの戦死を告げる鐘の音が、静かに、しかし重厚に響き渡っていた。
整列する数万の神兵の前に、一人の大男が歩み出る。
その男が歩くたびに、大気は静電気を帯び、空間そのものが火花を散らす。
神軍将軍、タケミカヅチ。
「……虫が一匹、火をつけたか」
タケミカヅチは、地上を覆う雲海を見下ろし、退屈そうに呟いた。
その手に握られた、雷光を纏う神剣が、不吉な閃光を放つ。
「清めではない。……根絶やしにせよ」
空のひび割れが、再び、より深く、より広大に走り始めた。
「神殺しの誕生」という噂は、甘美な希望ではなく、真の終末を呼び寄せる呼び水に過ぎなかったのだ。




