街を見下ろす山の上で
家の廊下にはテレビの音がリビングから漏れていた。そこにいる人と話すこともなく、階段を上がった。
自分の部屋に荷物を置いて、ケースに入ったアコギを持って部屋を出た。
「また神社?」
「うん」
玄関で靴を履いていると、母親から声をかけられた。
「あそこ夕方も暗くなるから、気をつけてよ」
「ん」
ドアを開ける。
「できれば暗くなる前に」
そこまで聞いて、静かにドアを閉めた。
自転車を漕いで街の中を走っていく。
住んでいる街の外れにある朝露山。そこにある古くなった鳥居の前で自転車を停める。
鍵をかけて、鳥居の奥に伸びる長い階段を登っていった。遠くで虫の声が聞こえる。風が鈴のように木の枝を鳴らした。
ちょっとした山道のため長いくせに、段の高さや長さも一段一段違う。かといって登りきったところで、特筆すべきものがあるわけでもない。近所の人はわざわざ近寄らない場所だった。
そこを上り切って鳥居をくぐる。そこのエリアだけは整備されていて、真ん中には小さな社殿が立っていた。
その境内の端っこにあるベンチに座った。街が一望できるようになっている。
アコギを取り出し軽くチューニングを済ませ、弾き始める。ここなら誰にも迷惑をかけず、誰の目も気にせず練習できる。だから放課後にはよくここに来る。
いくつか曲を弾いて練習したら、その後は趣味である作曲をする。
気に入ったフレーズができたらスマホに録音したり、メモ用紙に記録をとったりする。
「うーん。ここのコードがいまいち……」
そう独り言をこぼした時だった。
「そんなことないですよ。でも私だったらサビの後半のB♭《ビーフラット》で始まるところをB♭mか、Gm、もしくはGdimなんかにして試してみるかもしれません」
「ああ、なるほど。サブドミナントマイナーで。じゃあ、D♭とかも可能になってくるのか?」
「理論的には可能でしょう。でもダイアトニックスケールから外れた音が多くなるので、扱いには少し注意が必要になりますね」
なるほどなあ。勉強になる。
(……って、ん?)
風の音が消える。顔をあげるとそこに、白いワンピースの裾が揺れていた。
「おわ!?」
びっくりして変な声を出してしまった。そこにいたのは瀬里賀さんだった。
「せ、瀬里賀さん?!」
「さっきぶりですね」
昨日からやけにこの人に会うな。
「なんでこんなところにいるんですか?」
「ああ、それはですね」
瀬里賀さんがこちらに身を乗り出してくる。ふわりといい香りが鼻孔をくすぐってきた。出来のいい顔と首筋に触れる柔らかい指に、心臓が強く鼓動を打ち始める。
実際そうしていた時間は5秒にも満たないと思う。しかし何故かその数秒がコマ送りに感じて心臓が痛かった。
「ほらこれで追跡させていただいたんです」
そういって、制服の襟に貼ってあった小型タグを取った。
「……は?」
…………。
「堂々とストーキング宣言……?」
「いやいや! 昼間のことがあって、もうちょっとお話ししてみたいなって思っただけで……!」
なんの弁明にもなってねぇ! 清楚な雰囲気で何言ってんだこの人。天然とか超えて、実は結構ヤバい人なんじゃなかろうか。
少なくとも今の、男女逆だったら絶対に捕まってるよ。理不尽な世の中だ。
「いつそんなもん付けたんですか……」
「図書室から一階に降りる時に」
ああ、あの時。いや待てよ。
「そうだ。どうやって一人であの長い階段をここまで登ってきたんですか?」
「あー、はは。そのぅ、実は……」
その返答は驚くべきものだった。瀬里賀さんの車椅子は自身で制作したものらしく、変形機能を持っているらしい。腰から下を覆う外骨格に変形して、腰まわりの筋肉の動きを読み取る。それで脚が不自由でも、歩行をサポートできる仕組みらしい。
その説明はまるで専門家のようだった。俺には意味の半分も分からなかったが、その目の輝きだけは印象に残った。
「学校だとみんなを驚かせてしまうし、うるさいし、見栄えはよくないし、誰にも見つからない時にしか使っていなくて」
実際に見せてもらったが、身長が10cmほど高くなる上、足は少々ごつくなる。女子は気になるのかもしれない。
「それをご自身で?」
「はい。歩行機能をつけるとなるとどうしてもこれが限界で……」
「いや十分だろ」
「でもヒーロースーツとかならもっとスタイリッシュなの作れると思いますよ。要ります?」
「要らないです」
そんなもん貰って何したらいいんだよ。
愛歌さんはいたずらっぽく笑っていた。
「音楽、好きなんですか?」
ギターを見ながら言われた。
「え? まあ」
「私も好きなんです。ちょっと、お借りできますか?」
「ああいいけど」
ギターを手渡した。
「E、A、D、G、B、E。なるほどじゃあ、この曲は」
そういって軽く弾き出したのは、アコギ定番の曲だ。
一つ一つの音がしっかり粒だっているのに滑らか。定番の曲だからこそ実力が問われるが、その点では自分以上だと思わされる。
歌声もとても綺麗だ。
「瀬里賀家の令嬢みたいな金持ちでも、ギター弾くんですね」
「弾いたのは今日が初めてです。持ってはいるんですけど」
「は?」
「あ、ヴァイオリンは得意なんですよ。その応用で。あと奏法の理論は知っていましたし」
いやいやいや。いくら理論の上で知ってたって、それができない人がどれだけいると思ってるんだ。セーハだって最初できるようになるのに、確か一ヶ月はかかったぞ。さっきFコード使ってたよな。
「天才ってなんでもできるんですか?」
「え、私のことですか? そんなこと無いですよ。「書く」のとか苦手ですし……」
少し口を尖らせながら言う姿は、今までの印象とは変わって少し幼く見えた。
「かく?」
「手を使って何かを書く、みたいな行為がすこぶる苦手なんです。絵はもちろん、文字も。字が汚いだの、レポートが読めないから書き直せだの、って何度言われてきたことか。そもそも今時なんでキーボードじゃなく、手書きなんですか。遅れてますよね!」
少し憤りを見せながらそんなことを言ってきた。なんか初めて人間っぽいところが見れた気がするな。
「俺もそれは苦手です。音楽は5だったけど美術はずっと2だったし。国語も文字の書取りとか、硬筆とか、習字とかは本当に苦手だったな」
「ですよね! 脳に浮かんだものをそのまま出力できる人間の方がどっかおかしいんですよ!」
「出力って……」
また機械的な言い方だな……、と思わず笑ってしまった。
「あと、その、本当はコミュニケーションも苦手なんです」
「はい?」
そうは見えないけど。今だって、そんなこと感じないぞ。
「これまでの人生、あまりお友達とか作ったことなくて。だから人と友達になる方法がわからないんです。さっき、言ってましたよね。みんなが興味あるのは私の立場とかだって」
「全員が全員ではないんじゃないですか?」
「いえわかるんです。なんとなく浅い付き合いしかできてないなって」
……まあ頭いい人だし、言われなくたってそんなことわかってたんだろうな。
「これまでもそうでした。私のことを見る人はみんな、私の家柄とか、資産とか、能力とか、そういうとこばかり見てて。きっと私自身をみてくれてる人なんていなかった。まあ、慣れてしまったんですけど、寂しいのも本当です」
天才には天才の悩みがあるってことだな。羨ましい限りではあるけど、そういう風に思われてしまうことすら悩みの種なんだろう。
「そういうのもあって、ちょっと人付き合いとかは苦手なんです。今日もずっと空回っちゃってごめんなさい。不愉快でしたよね、追跡とか……」
「まあ、驚きはしましたけど」
「そういう他の人と違ってあなたは少し話しやすいなって思ったから、ちょっと興味がでちゃって……。その、面倒くさいですよね」
急にしおらしくなられるとこっちも困るな。
「なんていうか、それだけじゃなくて、瀬里賀家を取り巻く環境全部ひっくるめて面倒そうだなとは思いますけどね。でも、そういう気持ちもわからないでもないですよ。俺も友達は多くないんです。その瀬里賀さんとは逆の意味で自分を見てくれない人が多いので。友達を作るのもあんまり得意じゃあないんです」
「私はそんなふうに感じませんでしたけど」
「僕も同じ変人だからじゃないんですか」
「変人? 私が」
心外といった顔をしてる。
「人に追跡装置つけて追いかけてくる人のことを「まとも」とは形容しないと思いますけど」
「あはは、言えてます」
気づけば日が傾き、空が赤くなっていた。
「そろそろ私はお暇しますね。永沙を待たせているので。また明日、学校で」
「はい」
瀬里賀さんが階段を降りていく背を見送った。その後の練習は少しだけ寂しく感じた。




