熱気のこもる廊下で
瀬里賀さんが転入してきてから二週間が経ったある日のこと。
俺は朝早く、担任の先生から職員室に呼び出されていた。
「いや、やらないっすよ」
「なんでだ? 生徒会だぞ」
「だからですよ」
去年に引き続きまたこれだ。
どうやら生徒会の立候補者の人数が足りていなくて、教師からの推薦が飛んできたみたいだ。
「面倒じゃないですか」
「別に会長やれってんじゃないんだぞ。書記だ。でも推薦で大学行く時とか、就活する時とか、アピールになるんだぞ」
「割に合わないんすよ。サービス残業みたいなもんじゃないですか」
先生は現代っ子だなぁ、などと呟いている。
「そもそもそういうのって、二年生は去年のやつが引き続きやるもんなんじゃないっすか?」
去年似たように担任から推薦されかけた時、滑り込みで手を挙げたやつがいた。そいつはたしか書記になったはずだ。
そいつはどうしたんだ。
「ラスト一年は部活を頑張りたいって言われてな。その思いを尊重しないわけにはいかないだろう?」
なるほど。思ってたよりも生徒会の仕事が大変で、部活も遊びも満足にできずフラストレーションが溜まってたとかそんなとこか。どうせ創作物みたいなキラキラした生徒会を妄想していた口だろう。
とはいえこの教師の言い方が、お前は帰宅部だから暇だろう、って言われてる気がして気分が悪いな。
「青鏡は成績もいいし、先生方からの評判もいいんだ。授業態度もいいってな」
クソやかましい後方の席が嫌で、席替えのたびに教卓の前を陣取ってるから、それで顔覚えられてるだけじゃねぇの?
「お勉強ができるだけってと、そういうのが向いてるかどうかは別ですよ」
「そんなこと言わずにさぁ。頼むよー」
キーンコーンカーンコーン。
そのタイミングで、HRの予鈴が鳴った。
まったく……、静かな図書室で本を読むのが、朝の楽しみだったのに。
「丁重にお断りします。では」
後ろから聞こえてきた先生の声を、無視して職員室を出た。
「あっつ……」
涼しかった職員室から暑い廊下に出ると、むわっとした熱気が肌にまとわりついた。
床を踏む足音がぽつぽつ響いていく。
もうHR間近だからか人が少なかった。職員室のある一階は特別教室の多いエリアだからってのもあるだろう。
教室への階段前の角を曲がるとそこに……。
「瀬里賀さん?」
「え?」
俺がつぶやくとそこでキョロキョロしていた瀬里賀さんが、こっちを振り返った。
「そんなとこで……、ああ……」
はぁ……、気づくんじゃなかった。
「いつもの、瀬里賀さんを手伝ってた人たちは?」
「えっとその。皆さん、今朝はお忙しかったみたいで」
どこか寂しそうにしながら、そう笑う。
「ふーん」
そんなとこだろうと思った。
この人のことはいつもクラスの一軍女子たちが囲っていた。階段を上がる時もみんなで協力してますよー、というのを演出するように手伝ってた。
どうせ一ヶ月もすれば、飽きるか面倒くさくなるんだろうなと思ったが、思ったより早かったな。それが嫌がらせなどに発展していないだけマシかもしれない。
まったく。面倒ごとを背負い込むなら最後まで責任持てよな。
「あなたは気にせず先に行ってください」
「ったく、しゃーねぇな」
瀬里賀さんに近づいた。
「持ち上げても大丈夫ですか?」
「え? わ、私のことは気にしなくても」
「んな顔してる人のこと、放っておけないでしょう」
「は、はい……、じゃあわかりました」
「失礼しますよ」
そう言って車椅子から瀬里賀さんを持ち上げた。衣擦れの音がすぐそこで鳴る。
近い。
思っていたよりも、ずっと。
女子の体って思ってたよりも柔らかいなとか、いい匂いがするな、耳にかかる吐息がくすぐったいなとか、そういうのを全部無視して階段の段を数えることだけに集中した。
それでも少し顔にかかる髪が現実に引き戻そうとしてくる。
階段の一番上の段に瀬里賀さんをそっと下ろした。
「ちょっと待っててください」
「は、はい……」
一階に降り、車椅子を担いでもう一度運んだ。
「……なんだこの車椅子」
改めてしっかり見てみると、見たことない車椅子だった。ほとんど金属でできているのに、見た目より軽い。シャープなデザインで、どこか男心をくすぐるものがある。
金持ちだしいいものを使っているんだろう。
「あ、ありがとうございます」
車椅子を上まで持っていって、瀬里賀さんをもう一度そこに座らせた。その後そうお礼を言われた。と同時にHRが始まるチャイムが鳴る。
「あ、ごめんなさい。私のせいで」
「別に。精神衛生上やったことだから気にしないでください」
こういうところが、自分のめんどくさいところだよな、と思いながら教室まで歩いて行った。
実際のところ、あそこで助けてなかったら、あとで絶対に気になっていた。
「あのあとどうしたんだろう」とか、「なんであのとき見て見ぬふりをしたんだ」とか。それで一日中ぐるぐる考えるくらいなら、少し遅刻する方がまだマシだ。
そう思いながら遅れて教室に入った。
その日の放課後、真夏の部活がオフの日ってことで、陽と三人で映画を見に行こうという話になった。
昇降口付近で二人を待って、外に出た。
「あ、瀬里賀さんだ」
真夏が呟く。視線の先には瀬里賀さんが執事の人の手伝いで、車に乗り込んでいる姿があった。
「あれももう、見慣れた光景になったね」
瀬里賀さんがいる学校も、二週間も経つと少しずつ落ち着き始めていた。
「うわ、あんなふうに見せつける?」
「ないわー。私だったらしないわー」
「どうせ心の中では私たち庶民を見下して嗤ってんだよ」
「あーだから庶民の公立校入ってきたのかな」
「うわ、性格わるっ」
前を歩いていた女子4名がコソコソと、当て付けるようにそんなことを言っていたのが聞こえた。
(橘たちか……)
その女子の中心にいたのが橘七美。いわゆる同中のやつ。中学ではパッとしないやつだったのに、高校デビューして急に自分を囲い始めた。本人は人気者になったつもりなのだろうが、客観的に見てイタいな、としか思わない。
橘たちの笑い声と足音が遠ざかっていった。
「嫉妬してるだけのくせに見苦しい」
歩きながら真夏が呟いた。
「嫉妬?」
「そうだよ嫉妬。女の子なら誰だって一度はお姫様に憧れるものでしょ?」
……でしょ? と申されましても、お忘れかもしれませんが我ら二人は男なものでして。
小さい頃に憧れたのは王様というより、戦隊ヒーローとかだ。俺はなぜか、自販機になりたかったけど。
「瀬里賀さんなんてまさにお姫様そのものじゃん! 美人さんで可憐で、なんていうか『俺が守ってあげなきゃ!』ってなる儚げな感じとかあってさ」
まあ言いたいことはわかるけどさ。
「その上、人当たりもいいでしょ?」
「話したことあんの?」
「一回だけ。この前廊下でぶつかっちゃった時があってさ。その時も優しかったよ。ほんのちょっとだけお話ししたんだけど、物腰柔らかで言葉遣いも綺麗で」
「あっはっはっは。真夏とは大違いだなンデモナイデス」
陽が命知らずなことを口走り、ものすごい怖い笑顔で睨まれていた。
「とにかく本当に憧れちゃうっていうかさ。羨ましいのはわかるよ? ……いいなぁって思うもん。でもああいうのは気分悪いな」
と真夏が憤っていた。
映画は真夏が選んだってのもあって、よくある恋愛映画だった。こういうのを見るとよく、人を好きになることって、あんなに簡単なんだろうかと思う。俺には、もう少し複雑に見えてしまうのだ。




