愛歌だから
瀬里賀義涼さんは、愛歌の父親ということもあり、とても理知的な人だった。
殴られることも覚悟した。というか、もし将来自分に娘ができて同じような場面に出くわしたら、確実に俺は殴っていた自信がある。けれど義涼さんは……。
「とりあえず、二人とも服を着なさい。私は応接間で待っている」
とだけ言い残し、部屋を出ていった。その静けさのほうが、怒鳴られるよりずっと怖かった。
言われた通り服を着て、軽く支度を終え、愛歌と共に義涼さんのところへ向かった。
義涼さんに促され、俺は彼の向かいのソファに腰を下ろした。
「私は愛歌を信じている」
開口一番放たれたのはそんな言葉だった。
「ろくでもないような男を選ぶような子ではないし、人に無理矢理関係を迫られる、なんてことを許すような子ではないことも知っている。そういった状況を避けることができる子であることもね」
愛歌って、本当に愛されて育ったんだろうなというのが、それだけで伝わってきた。
「そんな愛歌が選んだ男なんだ。きっと君はいい人なんだろう」
義涼さんが、サラに出された紅茶を一口啜る。
その所作すら洗練されていた。改めて、自分が場違いな人間であることを痛感する。
「まあ私も、その相手の家柄を気にするような人間ではない。愛歌が幸せであってくれればそれでいい。だからこれまで、許嫁の申し入れなどがあっても断ってきた」
愛歌も初耳だというような顔をしていた。
「私も死んだ妻も、愛歌を愛してきた。しかし事故で紗良が死に、愛歌の脚はほとんど動かなくなり、苦労を掛けてたことも多かった。だからもう、辛い思いはさせたくないんだ」
サラって、お母さんの名前からとっていたのか……。今さらながら知った。マヤも親戚なのかな。
って、いやいや、ちゃんと話に集中しないと。
「君はどうだ? 愛歌を一生かけて、愛してやれる男か? 悲しませるようなことはないと誓えるだろうか。脚の事なども面倒だなどとは思わず、寄り添ってあげられるだろうか」
いやいや、昨日付き合い始めたばかりの相手に、なんてことを聞くんだと思った。しかも、高校生だぞ。
「…………」
しかしこの人の問いに向き合うために、少し考えて言葉を探す。
でも結局、最後に思ったことは一つだけだった。
「いけないんでしょうか」
俺の簡単な一言の返しに、義涼さんは一瞬戸惑いを見せた。
義涼さんがもう一度口を開く。
「何がだ?」
「いや、その……。面倒くさいって思っちゃいけないんでしょうか?」
さらに意図がわからない、といった表情で困惑している。
逆に愛歌はクスクスと笑っていた。
「そりゃ面倒くさいですよ。脚のことがというか、それもひっくるめた瀬里賀家のこととか、そういうの」
思った事を素直に言葉に乗せていく。
「でも、そんなもんじゃないですか? 人間関係なんて。例え愛歌さんが脚の動く普通の家庭の人だったとしても、どこか面倒だって思ったところはあると思いますよ。そんなもんでしょう」
窓の外で、小鳥の声が聞こえた。
「誰だって人との間で、価値観とか、しがらみとか、相性とか、トラウマとか、言葉とか、その他いろんなもので、面倒な摩擦が生まれていくものでしょう? その中で泣かせてしまうような出来事が絶対ないなんて、僕には言い切れませんよ。多少面倒でも、それが生きてるってことだと思うんです」
ちょっと素直すぎるかなと思った。
だってきっと、今問われているのは実際できるかどうかじゃなくて、覚悟の話だ。愛歌を愛す覚悟があるのかって。それはわかっていた。
でもだからと言って、嘘をつけるような人間じゃないから、こう返すことしかできなかった。
一度深呼吸して、さらに続けた。
「これからどうなるかなんてわからないけど、でも少なくとも、そんな世界を愛歌さんと共に生き抜いていきたいって思う気持ちは本当です。愛歌さんを想う気持ちも本気です」
勢いあまってプロポーズまがいの事を言ってしまったな、と思って少し気恥ずかしくなった。
ふと愛歌の方をみると、愛歌も頬を少し紅潮させていた。
「それは愛歌さんがどうだから、とかじゃなくて、愛歌さんだからなんです。だから……、えっとその……」
心で思ったことをそのまま口にしすぎて、結局どこに着地したいかを見失ってしまった。少しだけ息を吸って続きを紡ぐ。
「だから、もう少しだけ、見守っていただけないでしょうか」
俺が話し終わる。
部屋に置かれた時計の針が、カチカチと進む音だけが、かすかに響いた。
「……愛歌」
「なぁに、お父様」
朝の様子はどこへやら、愛歌はいつもの様子でそう答えた。
「彼は……、いい……、青年だな」
男、といいかけて青年に変えたな今……。ちょっと複雑なんだけど。
それに気づいた愛歌がもう一度クスクスと笑いながら言った。
「でしょう?」
義涼さんは一瞬だけ、ほんの少し寂しそうに笑った。
ちょっと複雑な思いの中、俺は愛歌との交際を義涼さんに認めてもらえたのだった。
「あぁ、だが、避妊はしっかりしなさい。せめて成人するまでは」
と先ほどまでよりも柔らかくなった表情で言った。
「な……! わ、わかってるわよ!っていうかしてたし!」
「ふむ、やはり昨晩は……、と余計なお世話だったかな」
「もう!」
…………。
なんか、こういうとこも含めて、本当に愛歌の親なんだなと思った。




