それでも
焼きそばの匂いとアンプの残響が、夜気の中にまだ漂っている気がした。
「私の家には、いつまでいるの?」
「あー、今日は泊まって、明日帰ろうかな」
「そっか」
窓の外を見た。校庭のあちこちがキラキラと光っている。
「やっぱ本業でやってる方は巧いなぁ」
教室で窓際から校庭を眺めている。空はゆっくりと暗くなっていた。
後夜祭。それぞれの教室で売れ残ったものを校庭で売り出し、生徒間で消化する。そうしながら校庭に設置された舞台で、各文化系の部活によるパフォーマンスが行われる。
今はナイ音の舞台を眺めていた。
「私たちもよかったと思うけど? すごく盛り上がったよ」
俺と愛歌は離れた教室から、その様子を見て、文化祭の余韻に浸っていた。
教師にばれないよう、教室の電気は付けなかった。
「そうかな」
「そうよ」
「そっか……」
そんな話をしたあたりで、外の音が止み歓声が上がった。
最後の演目だった。それももう終わろうとしている。
「私たちも、そろそろ帰らないとね」
愛歌が言って動き出した。
「……なぁ、愛歌」
その手を掴んで止めて俺は、絞り出すように声を出した。
昨晩言えなかったことを、やっぱり今、伝えておきたくて。
「……なに?」
「あー、えっと」
しかし、さっきまで口に出そうとしていたセリフ。それが、急に頭が真っ白になって、うまく喉から出てくれない。
愛歌は不思議そうな顔をして、俺の顔を見つめている。
外の光に照らされるその顔を見ていると、心臓の音が加速し余計に言葉に詰まった。だから、行動で示そうと思った。
「っ! いたっ」
コツ。
前歯と前歯が当たり、鈍い痛みが走る。
「いてて。あ、ご、ごめん……」
「う、ううん。それより……」
「えっと、その……」
キスしようとしてこれとか、格好悪いったらありゃしないな。
「この前の返事というか……、それを伝えたくて、でも言葉がうまく出てこなくて、なら行動でと思ったんだけど。あっはは、慣れないことはするもんじゃないな」
まだ少しズキズキする前歯を感じながら言った。
「愛歌はすごいな。なんでも簡単にできて」
いつもそう。勉強とかそういう事だけじゃない。
欲しい言葉とか行動とかいつもくれる。俺には、そんなことが上手くできない。
「愛歌」
もう一度手を握る。その温かくやわらかな感触と、綺麗な緑色の瞳を見つめる。
「好きだ。だから、その、友達より少しだけ特別な関係になりたいって、思う」
簡潔に、思うままの言葉を率直に伝える。
「どう、かな……?」
「……」
ドッドッドッドッドッドッドッドッ…………。
校庭の喧騒が心臓の音でかき消えていく。
そうしている時間が、一瞬にも永遠にも感じられた。
「あ、愛歌?」
時間が経っても愛歌が口を開く気配がなく、そう訊いた。
しかし代わりに……。
「あ、愛歌!?」
つーっと、左目から涙が流れ出てきた。
「ご、ごめんなさい」
そう言いながら涙を拭く。
「え?」
「あ、いや違うのそうじゃなくて……」
うつむいて涙を腕で拭っている。
「私は……」
愛歌が言葉を紡ぐ。
「すごく嬉しくて、感情も高ぶってて、本当ならあなたの胸にとびこみたい。でも私の足じゃ、そんな簡単なことすらできないっ!!」
肩を震わせ泣きながらこちらを見る。
「そんな自分がいつだって悔しくて、これからもきっと、あなたに負担をかけてしまう……」
愛歌は怒るかもしれないけど、そんな泣き顔すら愛おしいと思ってしまった。
「っ!」
その衝動のままに愛歌を抱きしめる。
「愛歌が手を握りたいっていうなら握るし、抱きしめたいっていうなら抱きしめる。愛歌ができないっていうことは俺がするから」
愛歌の啜り泣く声が聞こえた。
「私でいいの?」
「愛歌がいい」
少し離れ愛歌の顔を見つめながら言った。
「……私も、白がいい」
どちらからともなく俺たちは、唇を重ね合わせた。
窓の外ではまだ誰かの喧騒が聞こえている。教室の奥まで外の光で照らされている。
そんな世界の海みたいな光の中で、俺たちの時間も揺らめいていた。
世界が大きく変わったわけではない。風向きが変わったわけでもない。
ただ少しだけ、船の位置が変わっただけだ。
それでもきっと、生きていける。
今はただそんなふうに感じていた。




