幸せになれない理由
その晩、愛歌の家で風呂を借りたあと、いつも週末に使わせてもらってる部屋で少し体を休めた。
窓のへりに座って、雨の雫が窓を伝って落ちていくのを眺める。
「これ歌詞のノート?」
いつの間にか部屋に入ってきていた愛歌が、テーブルに乗っていたノートを見て言った。
ペラッとページをめくる音がする。
「そう。全然書けなくて」
窓から目を離さずにそれだけ答えた。
「中にはいいのもあると思うけど」
「ダメだよ。だって……、空っぽな気がする」
世にある歌詞をただ真似しただけみたいな、そんなふうに感じてしまう。それでは中身が無く、空虚さが際立つだけだ。
愛歌はしばらく何も言わず、その間俺は窓の外の雨を見ていた。
「……ねぇ、白。ずっと聞きたかったことがあるんだけど」
「なんだよ」
「答えたくなかったらいいんだけど、白って、なんていうか、ずっと、さ。幸福になるのを避けているような、そんな印象があるなって、思ってたの」
「……」
「それって、昼間言っていたお兄さんのことと、何か関係あるの?」
返事を考えながら、雨音を聞いていた。
「最近さ。早く歌詞を考えなきゃって思って、よくいろんな曲聞くようになってさ」
結局わからなくなって浮かんできたまま、口にすることにした。
「『やまない雨はないよ』なんてよく言われるけど。じゃあ、死って名の雨が明けることはあんのかな」
肉体が滅んでも、心が死んでも、それも雨って表現されるんだろうか。
「えっと……」
愛歌は何か言葉を探しているようだったが、それは音にならなかった。
「ごめん。困らせた」
愛歌に向き直った。
「兄貴の真白とはさ、結構年が離れてて、俺の6歳年上だったかな。俺が小一の時、兄貴が中一の時か、花火大会に連れてってもらって。すごい感動したのを覚えてる。人間にあんなものが作れるんだってびっくりしてさ。……きっと俺のそんな顔が嬉しかったんだろうな。その日から花火職人になるんだ、って言い始めて」
「あなたのことが大好きだったんだね」
「……そう、だったのかな。中3の冬、あの人はその花火大会を手がけた花火師のとこに頼み込んで、弟子入りした。そして、そこから帰ってくる時、交通事故で亡くなった」
雨音だけが、やけに鮮明に聞こえていた。
その時の母さんが俺に一瞬見せた顔が、今でも忘れられない。泣いているのか、怒っているのか、哀れんでいるのかもわからない、あの目が。
「だからお兄さんの死に、責任を感じてるの?」
「……わからない」
返事をして立ち上がった。
「日本ではさ、兄弟の名前に同じ漢字が入っていると、片方が幸せな時は片方は不幸になる、なんて言われてるんだ。名前占いってやつだな」
言いながら、ベッドに腰掛ける。
「兄貴はきっと天国に行っただろう。それなら……、俺が幸せになることなんて、できやしない」
投げ出すように言った。
「……だから、幸福から逃げるの? そうなるのが、怖いの……?」
愛歌の声が、雨の音よりも小さく響いた。
少しの間だけ、何も言えなかった。
「わからない、自分は幸せになんて、なれる人間じゃないって思ってたけど、それから逃げてる人間ってのは、今初めて気がついたよ」
ベッドに寝転がる。
「もちろん、そんな占いなんて、ただの迷信だってわかってる。……でも俺は『俺が幸せになれない理由』が欲しかったんだと思う」
「……」
二人はただ、そこで雨音を聞いていた。




