事件
数日後。
橘たちからの事件が忘れられず、何にも手がつかず、バンドの練習も思うように身が入らなかった。
あの女の子に謝りたいと思っていたのだが、何年生かも、どこのクラスの子かもわからなかった。というか、あの時は混乱と怒りで、顔もしっかり覚えられていなかった。
愛歌との関係のことなど悩みが重なり、眠れない夜が続いた。
そんなある日の昼休み。体育が終わり、愛歌が着替えから戻ってきたら、いつもの場所に昼食に行こうと思っていた。そんな時、机を引く音や話し声に紛れて、足音が前へ動いていくのが聞こえた。
「はい、ちゅーもーく!」
クラスの一軍女子三人が、パンパンと手を叩きながら壇上に上がった。
「体育の時、瀬里賀さんの体育のシャツが盗まれてました」
教室内が騒然とする。なにか違和感があった。
愛歌は体育の時は更衣室ではなく保健室で着替える。その体の状態もあり、補助が必要だから。故に今も、他の人より帰ってくるのが少し遅いのだ。
つまり体操服は保健室のロッカーに置いてある。それを、盗む? 養護教諭に見つかるリスクだってあるのに?
「ってことで、持ち物検査をしまーす」
ドッ。
過去のトラウマが引き起こされ、世界が、ぐにゃりと歪む。中学のあの教室の匂いまで蘇りそうになった。
「とりあえずさ、変態くんって噂の、青鏡くんのバッグから見てこー」
「いいねー」
そんな俺をよそにそいつらは、ニヤニヤしながらこちらに近づいて来た。
「……は?」
その顔を俺は知っている。弱者と認定した相手の心を、踏みにじろうとする邪悪な笑み。
こいつらは知ってる。どこにそれがあるのか、わかってやっている。
そして動揺する俺を置いて、勝手にバッグを漁られた。チャックを開ける音が響く。
「あっれー? これなんだろーね?」
「なんで男子が女子の体操服なんて持ってるのかなぁ?」
ここで生涯を終えようとしているのかと思うほど、心臓が暴れていた。
「もしかしてさー」
わざとらしく演技をしながら、そいつらはこちらににじり寄ってくる。
「瀬里賀さんのかなぁ?」
「しらねぇよ」
「知らないってことないでしょ。あんたのバッグに入ってたんだから。この犯罪者!」
「だから、知らねえって」
動揺とトラウマで、うまく物を考えられない。周囲からの視線が怖い。
胃の奥がひっくり返りそうになって、それでも吐けなかった。
「何をしているのですか……?」
知っている声が入り口の方から聞こえ、心が凍るような感覚に陥った。指先が震え、耳鳴りがする。
「あ、瀬里賀さん。いいとこに来たね。これ青鏡くんのバッグから出てきたよ!」
女子の一人がそちらに歩いて行き、愛歌に体育着を渡した。
「…………」
視界が滲む。
トラウマと共にこれまでの愛歌との日々が、走馬灯のように呼び起こされる。
何故、恐怖と共に悲しみまで溢れ出てくるんだろう。
「ありがとうございます。保健室のロッカーに置いてあったのに、何故か見つからなくて、先生と探していたんです。……それで、どなたがやったんですか?」
愛歌はいつもの調子を変えずに言った。
「え? だから青鏡が」
「白はこんなことしません」
静かだが、強く、教室中に聞こえるように言った。
一瞬、雨の音だけが教室を満たした。そして愛歌が息を吸う。
「誰がやったんですかと聞いているんですッッ!!」
その静寂を引き裂くように、愛歌が大きい声で言った。その目は教室全体を睨んでいた。
いつも穏やかで優しい愛歌が、ここまで怒っている。そのことに動揺し教室にいる誰もが、動けずにいた。
差し込んでくるのは雨の音と、廊下からの昼休みの騒がしさだけだった。
「…………」
「ご、ごめんなさい! 私です……」
教室の隅のあまり目立たない子が、そう言って震えながら手を挙げた。
「え?」
俺はてっきり俺のことを詰めて来てた奴らがやったもんだと思ってたから、ついそう声を出してしまった。
「お、脅されて、こ、怖くて……、ほ、本当にごめんなさい……」
泣きながらその子が言い終わった時、キッと、怖い顔をして愛歌がさっきまで仕切っていた女子を睨んだ。
「な、何? う、うちらだって脅されてやったの!」
嘘だ。
実際にそうだったとしても、楽しんでたのは明白だ。
「どなたにですか?」
「さ……、三組の橘!」
またあいつか、と心も滲む。
「そうですか」
そういって愛歌は教室を出ていった。
俺は一瞬動けなかったが、嫌な予感がして遅れて愛歌を追いかけた。三組の前には野次馬の人だかりができている。
「なんだよお前」
「あなたが白を陥れようとした方ですか」
その中からいいあう声が聞こえる。橘と愛歌の声だ。
「は?」
「白のあらぬ噂を流したのも、あなたですよね?」
「証拠はあんのかよ!」
「何人かに聞きましたけど、最初に話し始めたのはあなたのグループだそうですね。それに、白と同じ中学校の出身者はあなたしかいません」
二人が言い争っている声が聞こえた。
「だったらなんなんだよ! あんなムカつくやつ生きてたって死んでたって、別に変わんないだろ」
野次馬をかき分けて入った時のことだった。
パシィッ。
教室中の空気が、一瞬止まった。愛歌の手が、橘の頬を叩いた音だった。
「もう2度と、白に関わらないでください」
またも静かに力強く言った。しかしその言葉尻は、微かに震えていた。
「……んだよ」
橘が悔しそうに頬を抑え、静かに言う。
「ムカつくんだよお前!」
そう言って愛歌のことを力任せに突き飛ばした。
ガシャリと金属が床を引っかくような音がして、愛歌が車椅子ごと横倒しになった。
それを見た瞬間、自分の中で何かが音を立てて、切れた。
「何しやがんだテメェ!」
気づいた時には自分の拳を、橘の顔にめり込ませていた。
気が収まらず、もう一発殴ろうとすると、周りにいた男子数名に取り押さえられた。
「てめぇの生ゴミ以下の脳みそ頭蓋ん中でスムージーみてぇにシェイクして体育倉庫のゴキブリの餌にしてやろうか!? このドブ女ァッ!!」
そんな風に叫んでいたところへ、近くにいた教師が仲裁に入ってきた。




