練習
バスドラムの音が地面を揺らし、ベースの音が体を震わす。シンバルの余韻が天井をかすめ、ギターのコードがその隙間を縫う。
それから数日、練習は思ったよりも滞りなく進んだ。
四人のうち三人は、それぞれ楽器を長くやっていたから安定感があるな、と練習中や録音を聴き返すたびに思う。
陽も自身が言っていた通り、リズム感がしっかりあった。派手なフィルインとかはまだできないけど、バスドラムとスネアで、安定してリズムを刻めるようになった。つまり、最低限の役はこなせている。
「だからそこはライドだって」
「あーえっとこっち?」
「それは右のクラッシュ。そろそろ覚えて」
「左のと何が違うんだよ!」
「ちょっと音が違うでしょ! あと左のを叩きにくい時は、右のを使ったりするの!」
と真夏先生の指導のおかげでもあるが。リズム隊同士、仲が良いようで何よりだ。
その真夏のベースの腕もなかなかだった。いやまあ、素人の俺に何がわかるんだって話ではあるんだけどさ。
楽器とかをガチでやってるイメージがなかったから、少し驚いた。
「まあ、一時期ずーっとやってたからね。小五、六くらいの時だったかな。今も時々いい曲を見つけたら、弾いてみることがあるし」
前にちらっと聞いた程度の話だけど、その頃になんかの理由で、両親といられなくなったんだとか。んで、叔父叔母の家に預けられて、今もそのままらしい。
ストレス発散のためとか……、まあ色々あってやりはじめたんだろう。
「ベーシストは変態って聞いたことあるけど、真夏はあれなの? むっつりさんなの?」
「はぁ?! 違うし!」
と、愛歌から放たれる唐突なむっつり疑惑に、顔を真っ赤にしながら真夏が言った。
「あたしがベースやってんのは、叔父さんが持ってたからだし! そもそも、ベーシストの「変態」ってそう意味の変態じゃないでしょ!?」
「違うの?」
あ、わかって言ってるなこのお嬢様……。
「変人とかって、そういう意味でしょ! 大体さ! てか、そういう発想が出てくる愛歌はどうなの!?」
「私? 私は真夏のおっぱい好きだよ」
「あたしのこと、そーゆー目で見てたの?!」
いや、真顔で言うんじゃあないよ。あと真夏も、まともに受け取るな。
気づいたけど、この愛歌はその、あれだ。人見知りというか、内弁慶というかそんな感じ。
最近は割とこういう冗談も言うようになってきたんだけど、おそらく、こっちが素なのかなという気がしている。
つまりやっぱり、変人ってこと。
それから月曜日から金曜日は放課後、愛歌の家に直行し、金曜日から日曜日までは、愛歌の家に泊まり込みで練習をした。今後は文化祭までの間は、それが普通の生活になりそうだ。
練習を始めてちょうど一週間が経った土曜の夜。眠れないのをごまかすように、庭園へ出た。草の匂いと少し湿った夜気が、肌にまとわりついてくる。
十月になっても、昼はまだ少しだけ熱く感じる日があるのだが、夜はもう涼しくて過ごしやすい。この日は特にやわらかな風が吹く、心地のよい夜だった。
風が草木を揺らす音と、虫の声だけが響く。
そんな世界の真ん中に置かれた池のほとりの、ガーデンチェアに座っていた。当時の設備はほとんどなくなってしまったけれど、この池だけは遊園地のものを、ほぼそのまま使っているらしい。
そこでぼーっとしながら、ノートの白紙のページの端を、シャーペンでトントンと叩いていた。そんなことを繰り返していたから、ただの点だったものがいつの間にか、ゴマをこぼしたみたいになってきていた。
池の面がふっと揺れた。暖かな光が射したと思ったら、横から声がした。
「何してるの?」
そんな優しい声が耳に届く。愛歌だ。
「眠れないからさ。歌詞、考えてたんだ」
「そんな暗いとこでやってたら目、悪くするわよ」
そういって、ランタンをテーブルに置いた。
「とっくに悪いから。でもありがとな」
「どういたしまして」
心臓の音すらも聞こえてくるような夜の静寂の中、脳を働かせようとするが、どうにも上手くいかない。
「疲れているならもう寝たら?」
「そうはいかないよ。あと2ヶ月を切ってる」
曲の方向性だけは決まっているのだが、歌詞だけが進まない。
どこにでもあるような、月並みでつまらない歌詞ばかり思いついてしまう。
「そういう愛歌はどうなんだよ。寝なくていいのか?」
「私は2時間も寝れば十分だから」
「ショートスリーパーってやつか? どこまでも天才って感じのスペックだな。羨ましい」
「そう?」
「いや、あんまり」
周りから見て幸福に見えるものを、生まれながらになんでも持っているというのもまた、不幸なのかもしれない。愛歌を見ていて最近、そう思うようになった。
何も欠けたことのない人生には、満たされたと感じる瞬間もないのだろう。最初から満ち足りていれば、それ以上を知らないまま育っていく。それは、ある意味で不幸だ。
そして、自分にとって当たり前のものに、他人が勝手にラベルを貼る。「お嬢様」「天才」「完璧」。それが名前のように先に立つ。その生き方を、あまり羨ましいとは思えなかった。
会ったばかりの頃の愛歌の笑い方や表情や話し方に、どことなく寂しさを感じたのはそのためかもしれない。
ランタンの光が、彼女の横顔に柔らかく映っていた。
「……白?」
「なんだ?」
「そのちょっと……、顔、見すぎ」
「あ、ごめん」
「ううん、大丈夫」
いつの間にか。ノートから移ってしまっていた視線を戻す。
「あまり思い詰めすぎないでね」
「わかってる。ありがとう」
風がまた、草を撫でて通り過ぎた。




