瀬里賀邸
土曜の朝、夏の空気が少しだけ緩くなったように感じた。
その日俺たちは愛歌の招待を受け、その邸宅に向かっていた。
最初は車を手配するなどと言われたのだが、毎回それになるのとか、親への説明とか面倒だし、遠慮することにした。普通に、電車と徒歩で向かうことにする。
陽、真夏と待ち合わせして電車に乗った。
陽たちの最寄りの西朝露駅から、俺の最寄りの朝露駅、春村駅、高校のある秋波駅と、西から東に続く路線。春村駅で乗り換え、愛歌の家のある玖国山駅へ向かう。そこは玖国山という市指定の緑地保全区域の前に建てられた駅で、他の四駅に比べて田舎を感じるエリアだ。駅を出ると、アスファルトの匂いより先に、土と草の匂いが鼻に届いた。
「何これ、お城?」
改札を出て、少し緑地を歩いていったところで、ケースに入ったベースを担いでいる真夏が呆然と立ち止まり、そんな声を漏らした。
高い外壁が延々と続き、風に揺れる木々の緑がその向こうを隠していた。壁の向こうに何があるのか、想像することすらできない。
数年前に潰れた遊園地の跡地、そこをまるまる買い取ってしまったのが愛歌の家だ。
約20ヘクタール、東京ドーム四個分以上という個人の家にしてはあまりに広大な敷地面積、そこ全てを囲ってしまっているのだから、お城かと勘違いするのも無理ないというものだ。
正面の門の前まで歩き、そこにあったインターホンを押す。すると近くのスピーカーから、少し人間味のある機械音声が響いた。ほんの少し柔らかい女性の声色だった。
『ようこそお越しくださいました。来訪応対用言語インターフェースAI・マヤがご案内いたします』
「なんて?」
真夏が眉をひそめる。だが、マヤと名乗る声はそのまま続いた。
『安全のため、生体情報の確認を行います。数秒お待ちください』
「え、なにそれ」
言い終える前に、壁の隙間から光線が放たれ、全身をなぞるように走る。かすかに空気が震えるような音がした。
『スキャン完了。青鏡白様、空音真夏様、唯原陽様、のご到着を確認しました。皆様はVIPゲストとして承認されています。どうぞ、お入りください』
最後の一言の直後、門の横の扉の鍵が解錠される音がした。
「…………」
「…………え?」
急にシーンとしてしまい、俺たちはそこで立ち尽くしてしまった。
ピロン。
スマホが鳴る。確認すると4人のグループラインにチャットが来ていた。
≫何しているの? 入ってきていいわよ≫
「えぇ……」
「ここ入ってくの?」
真夏も同じこと思ったらしい。
「何してんだよ。早く行こうぜ」
そういってギィと扉を、陽が開けた。
「よく行けるね。あいつは……」
「本当にな」
俺たちも陽に続いた。
門をくぐると一気に視界が開ける。
そこにはまるで、別世界のような光景が広がっていた。
正面にまっすぐ延びる石畳の道、その両脇を覆うように広がる緑の段丘。丘の起伏は穏やかで、どこか人工的な規則性があった。それもそのはずだ。もともと遊園地だったんだから。
その名残もあってか、緑地の中なのに木が少ない。茶畑みたいに、人工的に並べられた低木ばかりだ。
「……ひっろ」
真夏が小さくつぶやく。俺も息をのんだ。
「住む世界が違うってこういうことなんだろうな……」
「いやもうホント、文字通りね」
視線の先の丘の上に白い建物が見える。三階建ての大きなお屋敷だった。
それこそお城みたいな大きさなのに、広いこの敷地内にあると、ポツン、とした印象を受ける。
「あそこ、確か観覧車があったとこだよね。ほら、その下にバイキングがあったとこ」
「あー」
真夏に言われて思い出した。確かにそんなんだった気がする。
サササ、と近くの葉を揺らしながら風が通り過ぎていった。
視界いっぱいに庭園が広がっていて、風の通り道さえ設計されたような静けさがある。
風が通るたびに草の波が起こり、空気が緑の匂いを運んでく。
そんな静かな道を歩いていった。
近くに来てみると、屋敷は屋敷でやはりデカかった。博物館だと言われた方が信じられる、そんな洋館だ。
『お疲れ様でした。中へお入りください』
またマヤの声が聞こえたかと思うと、玄関が音を立てて自動で開いた。
「…………」
「…………」
「? なんでまた二人は止まっちゃうんだ?」
陽が不思議そうに聞いてくる。
「いや、ちょっと怖いなって」
「なんで?」
「ドラキュラとかいそうじゃん」
と陽の問いに真夏が返していた。
ドラキュラは言い過ぎにしても、日本人には馴染みがない雰囲気すぎて、ちょっとだけ入るのを躊躇してしまったのだ。
「お邪魔しまーす。うわ、天井高っ」
真夏が声を漏らす。
中に入るとまず感じたのは、ふかっとした感覚だった。廊下の床が絨毯だったためだ。
「これ土足でいいんだよね?」
「下駄箱があるわけじゃないし、いいんじゃないか?」
聞いてきた真夏にそう返した。
中に入っていくと、メインホールから左右に廊下が伸び、二階へと続く階段が見えた。
『二階西側最奥にて愛歌様がお待ちです』
音声案内に言われるまま、その洋館の中を歩いて行った。
そして辿り着いた指定された部屋の扉だけ、どうにも空気感が違った。鉄製だし重い。
厚い扉を開けると、狭い空間がもうひとつ現れた。
壁一面が吸音材で覆われ、ドアの合わせ目には防音パッキンが見える。劇場のホールやスタジオでよく見る「前室」だ。
そしてそこには下駄箱があって、床の質が変わったところに土足厳禁と書いてあった。
靴を脱いでもうひとつ先の扉を開けると、そこは広めの音楽スタジオになっていた。
そこでキーボードを弾いていた愛歌が演奏を止め、振り返って言った。
「もう、遅い! 何をやっていたの?」
どうやらこのお嬢様は、俺たちの到着が遅かったことに、大変ご立腹のようだ。
「え? これ、家に作ったの?」
謝罪よりも前に真夏は、そんなことを聞いてしまっていた。
「ええ、言ったでしょう。練習場所を提供するって」
どう考えたって、家に作るレベルのものじゃないけどね。
「アンプなどの機材は学校で使用されるものと、できるだけ同じのを用意してあるから。ドラムも似たセットを組んであるわ」
「うおー! すげー! カッケー!」
「でしょう?」
陽はテンションが上がっている。
対する俺と真夏は唖然……、というよりかはドン引きだった。
そして愛歌は、陽と同じく心なしかいつもよりテンションが高かった。おそらく友達を家に招いたことが初めてなのだろう。遅くなっちゃったのは、少し悪いことをしたかな。




