2. 蝶(ちょう)と自由(じゆう) (19)
蝶と自由 (19)
ひしゃげた鉄板に打つかったクルックス。
彼女が、歯を食い縛る。
すでに涙は零れ落ちていた。
自分の人生に積もり重なる恨み——。
そして今も、出来ることが何もないという悔しさ。
「その途中で私が死んだとしても、私のせいで他の被害者はこれ以上生まれないでしょうね!」
だからこそ、クルックスは叫んだ。
例え、ここで死んだとしても——。
今、自分が死ぬことには確実に価値があるはずだと信じていたから。
「そうか。仕事を受けたことを後悔せずに済みそうだな!」
トラックの防弾板が割れ、飛び散る破片。
そんな絶望的な状況でも、アベルは笑ってみせた。
クルックスという女は、思っていたよりもイカれている——。
そう、内心で呟きながら。
「あんたはアスフォデルに本当に似合わない人間だ」
急に別の話を振るアベル。
驚いたクルックスが、不思議そうに首を傾げた。
「あはは。熱血ね。良い人じゃない、クルックス」
話を聞いていた有栖 あら。
彼女がクスッと笑い、そう言葉を添える。
「分かってる。だから助けることにしたんだ。覚悟ができているか確認したかった」
「え?前から知ってたの?」
有栖 あらが横を見ながら尋ねる。
しかし、アベルは車道から目を逸らさない。
前だけを見据える鋭い視線——。
「そういうこともある。デッカード、端末画面に警告を出すのはやめろ。再装填はもう少し後でやる」
〔ですがトレーラーが40m後方にいます〕
「大丈夫だ」
アクセルから決して足を離さないアベル。
そして、右側にある建物の1つを見つめる。
静かに頷き、交わされる無言の挨拶——。
〔ウィィィィィン……〕
屋上から響く、モーターの回転音。
そして、それを掴んで歩く者の重々(おもおも)しい足音。
手にするのは無骨な重火器。
だが、その服は——ウサギ柄のパーカーのパジャマだった。
「ふん。生意気に成果給を懸けるとはな?」
それも当然だろう。
何しろ、5分前まではベッドの上で寝ていたのだから——。
「よし。年末ボーナスを一度も逃したことのない……」
〔ドンッ〕
屋上の欄干に据え付けられる、回転するモーター。
その銃口が向く先は、当然ながら眼下の道路。
アベルの車両の後ろに追いすがる、あのトレーラー——。
「特攻隊の隊長がこの俺だ」
〔ブオォォォォォン!〕
回転を始める、M134Gミニガンの銃身。
6本の銃身から、分速2000発の速度で弾丸が撒き散らされる。
放たれるのは通常弾ではない——徹甲弾。
防弾加工など、まるで紙切れのように引き裂かれていく。
トレーラーや後続車両が、無惨に粉砕され始めた。
「マーカス・ベイン(Marcus Vein)……幸い間に合ってくれたな」
一ヶ月ほど前に助けた、特攻隊の隊長。
彼が、この依頼を受けてくれたのだ。
義体の調整とリハビリを手伝ってやった恩——。
これくらいは引き受けてくれると、信じてはいたが。
「うわぁぁぁ!」
これ以上の恐怖には耐えられないクルックス。
彼女は、頭を脚の間に突っ込んだ。
背後では、車が真っ赤な炎に包まれ爆発している。
一般人なら、こうなるのが当然の反応だろう。
〔キィィィィィッ!〕
だが、その時——。
アベルの車両が激しく曲がり、急停止した。
「アベル!?」
「なぜ止まるの!?」
有栖 あらとクルックスから上がる不満の声。
アベルはそれを無視し、狙撃銃を取り出す。
そして、冷徹に窓枠へと構えた。
「鴨狩りをしなきゃならないんでな」
短く言い捨て、狙撃銃を装填するアベル。
顎を動かせば、正確度が下がる。
だからこそ、無駄な口は堅く閉ざして——。
〔プスッ!〕
高性能な義体を装着した者たち。
彼らなら、走る車から飛び降りることも不可能ではない。
大怪我を負おうと、運が良ければ逃げ出せるはずだ。
だからこそ、アベルの狙撃銃が狙う目標——。
それは早々(はやばや)と車を捨て、逃げ出す敵たちだった。
「うわぁぁぁっ!」
アベルが狙うのは、逃げる敵の膝の下。
彼の射撃術なら、頭を撃ち抜くのも容易いだろう。
だが、あえて脚を撃つことで負傷者を作り出す。
負傷者の世話で、敵の人員の消耗はさらに生じるはずだ。
そのまま見捨てて行ったとしても、生きた障害物と化す——。
それでも、決して欲張りはしない。
ちょうど1(いち)マガジンだけを空にし、アベルは狙撃銃をしまった。
真の目標は敵の殲滅ではない——逃走なのだから。
〔こちらはベイン。視界に入る敵は全て粉砕した。まだ必要か?〕
近距離通信で尋ねてくるベインの声。
アベルはクスッと笑い、窓の外に向かって親指を立てた。
「十分だ。戻って寝ろ。さらに5千クォズ送ったから確認しろ。アベル・アウト」
〔良い旅を(Have a nice trip)。ベイン・アウト〕
アベルは苦笑いを浮かべ、再びアクセルを踏み込む。
この道が旅路だとするならば——。
彼らはまだ、町からすら離れられていない。
ここはまだ、アスフォデルの中心部なのだから。
4.
「このまま北へ抜ける。時間が大分遅れてしまった」
アベルは車を少し止め、タイヤを交換する。
予備の防弾板を貼り付け、手早く車両を整備した。
機関銃と迫撃砲の弾薬も補充完了——。
これで当分は、デッカードの火力支援も可能だろう。
「賛成。ギリギリだけど私もコンディションが戻ってきた気がする」
鼻血をぽたぽた流す有栖 あら。
機関銃の再装填を終え、車に乗り込む。
鼻の下に乾き付いた血の跡。
それでも、彼女の目はしっかりと開かれていた。
アベルには、まだ不安が残っていたが——。
「あ……うん。私は安全に抜け出せさえすればいいから」
クルックスは正直、あまり期待してはいなかった。
アベルはあくまで整備士であり、直接的な戦闘員ではない。
他の人の記憶を通して見た彼の姿——。
戦闘をする場面など、全く見当たらなかったのだ。
こんな非常事態を、無事に切り抜けられるとは思えなかった。
実際、彼女を都市の外まで連れ出せる運び屋などいるはずもない。
ギャングと関連がある連中は、懸賞金に目が眩んで裏切るだろう。
かといって、戦闘のために人を集めればどうなるか。
以前のように内部情報が漏れ、未遂に終わるのがオチだ。
だからこそ、クルックスに残された唯一の選択——。
それは、どこにも所属していないアベルだけだった。
ところが、この賭けのような選択は見事に当たりを引いた。
一次監視組が広げた監視網。
アベルはそれを武力で突破し、着実に都市の郊外へと向かっていたのだから。
「デッカード。どこからか偵察情報を得る方法はないか?CCTVだとか、低軌道衛星だとか……」
〔……アベル。もちろん確認のために尋ねますが、CCTVが何の略かご存知ですよね?〕
「閉鎖回路テレビジョン(Closed-Circuit Television)……そうだな。閉鎖回路だから外部からはアクセスできないよな……」
〔衛星管制網に接続するアカウントも、該当地域に観測優先権を割り当てる権限もありません。公開された衛星資料なら数日後に見られるでしょうが、今必要な偵察資料は得られません。〕
「そうか……もしかしてと思ったんだ。悪かったな。」
気まずくなり、意味もなく頭を掻くアベル。
その姿を見て、クルックスは不思議そうに小首を傾げた。
'……違うのか?'
戦力の構成から見れば、非常に不安な陣容。
壁を壊すほどの怪力を持つ有栖 あら。
しかし、銃器を扱えるのかは未知数だ。
デッカードは機関銃を使っているものの、現場で動かせる体は車だけ。
結局のところ、この状況にまともに対処できる戦闘員——。
それは、実質的にアベル一人だけだった。
アベルが気まずそうにしている間にも迫る危機。
机とキャビネットで作られたバリケードが、視界に入り込む。
急造の構造物で、アベルの行く手を阻もうとしているようだが——。




