2. 蝶(ちょう)と自由(じゆう) (18)
蝶と自由 (18)
さっきの予想が当たった。
今後ろについているのは、ギャングではない。
クルックスを監視していた、第一線の監視エージェントたち。
最も早く監視情報を受け取った分、できるだけ急造したのだろう。
監視メインなら、火力は大したことないはずだが——。
「はっ。分かった。つまりこの都市全体と戦って生き残らなきゃならないんだな」
ギャングよりもエージェントたちに先に出くわすことになった。
これで警察や特攻隊などの正規行政力を除く——。
全ての戦闘組織と追撃戦を繰り広げることに。
〔ものすごい数の団体が山分けするから大金にはならないだろうが……まあな。生き残ったら連絡くれ〕
「なんだ。金を稼がせなかったから殺しに来るのか?」
〔いや。本当に凄い逃がし屋だからな。後で俺も必要な時に連絡しようと思って〕
アベルはため息をついた。
それでも恨みを持って攻撃するという話ではない。
それだけでも幸いだった。
「あー……糞っ。この都市での評判管理は上手くやってた気がしたのに。こうも拗れるか?」
愚痴を聞きつけたのか。
後部座席のクルックスが、不安そうな表情でアベルを見つめた。
〔ハハハ!そうでもないだろ?元々(もともと)あんたはギャングと事業領域が被りもしないじゃないか。今は互いの立場が違うからそうなってるだけで。あんたの目標が何かは知らないが、今回の件が終わればそんなことで恨みを溜め込んだりはしないさ〕
「ん?それはどういうことだ?」
〔あんたは依頼を受けただけだろ?〕
「……なるほどな。ああ。俺は金をもらった分の仕事をするだけだ。それはギャングも同じだ。互いの立場が違うだけさ」
アベルはハンドルを急に切った。
ランドル・ストリートへの進入。
そして再び、アクセルペダルを最後まで踏み込む。
「よし。ならギャングの重役ではなく、交渉人のコーネルに頼もう。今回の件で俺の評判が台無しになるなら、あんたが上手く仲裁してくれ。着手金は今送る」
〔ん?本気か?〕
「くれる時にもらっとけ。あんたのいるギャングだけじゃなく、全てのギャングと交渉の場を作ってくれ」
〔ハハ。俺はそんな安っぽくない……2万クォズも送ったのか!?〕
「着手金だ。今生き残れるかどうか分からないが、とにかく……」
アベルはデッカードの警告を聞くや否や、急ブレーキを踏んだ。
クルックスが周囲を掴み、傾く体を支える。
〔ガァン!〕
トラックの前のバンパー——。
そこを鋼鉄の銛が掠めて過ぎ去った。
路地で待機していた奴らもいたらしい。
「今工作をしておかないと、今日生き残ってもアスフォデルには戻って来られないからな!」
政府の行政処理は問題ない。
どうせアベルは、この都市の政府に引っ掛かりもしない。
登録されたこともないからだ。
有栖 あらもそれは同じはず。
問題なのは——。
この都市を実質的に支配するギャングだ。
〔承知しました、お客様。しっかり工作しておきましょう〕
「電話切るぞ。今忙しいんでな!」
アベルは再びアクセルを踏む。
バックミラーで、追跡してくる敵を確認した。
もはやSUVや乗用車は後ろに下がった。
代わりに、大型トレーラートラックが近づいてきていた。
あれが横に来て、コンテナの扉が開けば終わりだ。
どうやっても防ぐ方法はない。
あの中にいる人員の集中射撃を受ければ——。
防弾加工だとしても、一瞬も耐えられないだろうから。
〔アベル。左タイヤに被弾です。走行可能距離は今後約10km〕
「確認」
こんな時に備えたランフラット(Run Flat)タイヤ。
装着しておいたおかげで、しばらくは持つだろう。
しかし機会を見て車を止め、タイヤを交換しなければならない。
「うわっ、揺れる!」
有栖 あらは手すりを掴み、耐えながら言った。
近接戦闘員の彼女には、この状況で出来ることは限られている。
それでも手には、サブマシンガンを握っていた。
前から敵が出てくれば撃つだろう。
だが、今のように車が激しく揺れる高速追撃戦の最中。
体を外に乗り出すのは自殺行為だ。
弾き飛ばされれば、即座に重傷なのだから。
〔ドカン!〕
車のすぐ横に、ロケット弾頭が着弾した。
無数の破片を撒き散らす。
直撃すれば、三人とも仲良く天国へ飛ばされるだろう。
「クルックス?」
「ああ!言って!聞いてる!」
クルックスは天井に付いた手すりを両手で掴んだ。
目をきつく閉じている。
銃弾や砲弾が飛び交う状況。
彼女にとっては初めてなのだから、当然だった。
「戻る気はないんだな?」
「ない!」
涙が流れていた。
この状況に驚いたのか、それとも悲しみが込み上げたのかは分からない。
しかしクルックスは明らかに涙を流していた。
歯を食い縛って耐えていた。
「なぜだ?快適で安楽な生活があるはずなのに?こんな銃弾が飛び交う地獄が好みなのか!?」
アベルはクルックスに叫んだ。
クルックスが戻ったからといって、死ぬことはないだろう。
自由が大きく拘束される。
引き続き、加害者を隠蔽する仕事を任されることになるだろうが……。
とにかく、死にはしないはずだった。
「快適だろうね!たぶん死ぬまで金に埋もれて、快適に安楽に布団の上で死ぬんだわ!」
すでに車の揺れは収まっていた。
後ろから撃っていた車も、再装填のために静かになる。
しかしクルックスには全く余裕がない。
全身を緊張させ、腕と脚に力を込めて耐えていた。
まるで、蜘蛛の巣に掛かった蝶が足掻くように——。
「でも私のせいで死んだ、人生が崩れ去った人達はもっと増えるでしょうね!」
一日たりとも、まともに眠れたことはなかった。
目を閉じれば、人々(ひとびと)の悲鳴が頭の中を埋め尽くす。
法廷で悪党に無罪を宣告する。
すると、大半の被害者は自分自身を責めた。
クルックスも自分自身を責めた。
そして大半の被害者は、しばらくして自殺したのだ。
『いっそ私が生まれてこなければ……あの人達が悔しい思いをすることはなかったのに』
クルックスは毎朝、地元新聞の訃報欄を確認した。
自分のせいで自殺するしかなかった人々(ひとびと)。
彼らの事情を集め、部屋に貼っておいた。
毎日謝罪し、後悔した。
だが、現実は変わらなかった。
「人間は……人生は!快適に死んでいくためにあるんじゃない!」
だから叫ばなければならなかった。
脅迫されて仕方のない状況だったとしても。
クルックスが彼らを殺したという事実は変わらない。
少なくとも、彼女自身はそう思っていた。
死んだり傷ついたりした人々(ひとびと)には、喋る口すらないのだから。
彼らを殺したクルックスが、声を上げなければならなかった。
「人間の人生は価値あるもののために捧げるものよ!」
爆音と銃声の中でも埋もれないように。
声だけでも上げなければならなかったのだ。
〔アベル、機関銃の再装填が必要です〕
機関銃を操作していたデッカードが、弾丸不足を告げた。
「分かった。俺が行って……」
「いや。そのままでいて」
有栖 あらが立ち上がろうとしたが、アベルは首を振った。
〔ズドンッ!〕
トラックの荷台と乗客席を隔てる鉄板が窪んだ。
鉄板が大口径狙撃弾を防ぎ、内側にひしゃげたのだ。
「だから私は!まだ出来ることがある!他の都市に行って、これ以上あの人達に利用されないわ!」




