2. 蝶(ちょう)と自由(じゆう) (9)
蝶と自由 (9)
〔アサルトスーツ強制起動。〕
視野に出力されるメッセージ。
リミッターによって作動停止していた外部の義体。
それが、強制的に活性化された。
「おい!じっとしていろ!これ以上動いたら……」
地面をしっかり踏みしめる有栖あら。
重心を後ろ足から前足へ——。
完全に運動エネルギーを活かし、腕を伸ばした。
一瞬の出来事。
有栖あらの左腕が、まともに見えないほどの速度で突き出された。
『限界起動、攻撃。』
〔メキボキッ……〕
粉砕される鉄筋コンクリートの壁。
砕け散った一部のコンクリートは、破片となって反対側の壁へと飛ぶ。
内部の鉄筋は、有栖あらがいた方向とは反対へ——ひしゃげるように曲がった。
そこに開いたのは、大きな穴。
有栖あらの胴体が、十分に通過して余るほどの大穴だった。
少し痛むのか、左腕をぶらぶらと振る有栖あら。
彼女は、ぽっかりと開いたその穴から外へと出た。
「ふむ。まだ夜ね。」
外に出ると同時に復旧するDNI。
時間は午前1時32分。
当然ながら、真夜中だった。
それでも、有栖あらは満足していた。
トラウマによる発作を起こさず、外へ出られたからだ。
大きく息を吸い込む。
公害に満ちたアスフォデルの空気を、胸いっぱいに。
包み込む静寂。
寂れかけた商店街があり、周辺の大部分は倉庫に近い場所だった。
どこを見渡しても、住宅街のようには見えない。
この路地にいる人は、誰もいないだろう。
つまり——動くものが見えれば、敵だと考えても差し支えない。
「……有栖あら?」
路地の曲がり角——こちらを見つめる人影。
銃と覆面を含め、完全武装をした状態。
辛うじて、その形体だけが見て取れた。
「アベル?ここへはどうやって……」
「ぷはっ。」
黒色の覆面を脱ぎ、銃を下ろすアベル。
有栖あらは状況が理解できず、自らの頬をつねってみた。
『ちょっと痛くないかも?』
なぜ、アベルがここにいるのか。
どうやって知ったというのか。
それに——戦闘を辞さずに探しに来るほど、深い仲だっただろうか。
「怪我はしてないか?突然飛び出していって凄く驚いたんだが。血は……お前のじゃないんだな?」
「え?私が飛び出していったって?」
誘拐ではなく、自ら飛び出していったらしい有栖あら。
どんな話をどうしたから、彼女は飛び出していったのだろうか。
「腕枕をしてくれと言うからしてやったら、眠りにつく頃に突然起き上がって地下室へ行ってからすぐ外に出ていったじゃないか?どこに行くのか言ってくれという俺の言葉も無視して。」
「私が?」
「ああ。お前が。」
おかしいというように、首を傾げるアベル。
脇腹の拳銃ホルダーのボタンを、静かに外した。
——本当に有栖あらで間違いないのか。
そんな疑念が、彼の中に湧き始めていた。
「あ、ごめんね。私を閉じ込めたのは記憶修正士だったの。今日依頼しようとしていたんだけど、私たちが家に帰っちゃったから凄くイライラしたみたい。どんな方法を使ったのか分からないけど、気がついたらここだったの。」
「記憶が消されたのか?」
「うん。私の最後の記憶はラジオを聞きながらデッカードにお休みと言った事だったから。」
曖昧な記憶が嫌なのか、顔を顰める有栖あら。
アベルはとりあえず銃を仕舞い、再び周辺を警戒した。
「ひとまず家に帰ろう。今は遅すぎるし、敵がどんな罠を仕掛けているかも分からない。」
「ふむ。私外部の義体が作動するんだけど。」
「ん?」
「大抵の罠なら私一人で処理できると思うよ。それに……」
近くに駐車しておいたトラックへ——。
戻ろうとしたアベルだったが、有栖あらは首を振った。
「悪いけど今回の件は引き受けられないと思う。」
「どういう事だ?」
「この人は絶対に殺したいんだけど。」
照準装置から目を離し、有栖あらを見つめるアベル。
四方の警戒中には、決してしてはいけない行動。
だが、そんな事も気にしないほど——彼は凄く驚いていた。
「帰るなら一人で帰って。私は処理して帰るから。」
有栖あらの声は、普段とあまり変わらない。
高低も同じで、抑揚も似たようなもの。
さらに、その表情——。
アベルに何かを尋ねる時や、提案する時と同じだった。
怒っていると見るには、あまりにも落ち着いた様子。
かと言って平常時だと言うには、発する言葉が過激すぎた。
「何があったんだ?まあ穏健に話し合うつもりなら監禁はしなかっただろうが……」
とにかく、有栖あらが心配になるアベル。
外傷はなくても、何をされたか分からないからだ。
何より、有栖あらの手と腕は赤く染まっていた。
今まさに——何人かを潰ってきたかのように。
「ただ、部屋の中に置いていただけよ。白かったわ。」
深く溜息を吐くアベル。
有栖あらにとっては、それだけでも最悪の気分だったはずだ。
『私はその白い部屋が一番怖い。』
以前、そんな悪夢を見たと言っていたから。
もちろん、殺す理由にしては少し軽い気もするが。
「ふむ……」
少し悩み、再び銃口を持ち上げるアベル。
「それなら俺も手伝うよ。」
「え?」
「記憶修正士が再び同じ事をして記憶を吹き飛ばしてしまうかもしれないし。作業場の機械たちが既にハッキングされている事もあり得る。」
アベルを見つめ、静かに首を傾げる有栖あら。
「でもここへはどうやって来たの?」
「上手く。」
適当に言葉を濁し、眼鏡を掛け直すアベル。
彼は、有栖あらが使っていた手斧を渡した。
少し疑わしい表情を浮かべる有栖あら。
それでも手斧を受け取り、虚空で一度振るってみせた。
「あの……」
上から聞こえてくる話し声。
アベルは素早く銃口を向け、対象を狙った。
ガラス窓から顔を出していた人物。
銃口を向けられると、すぐに中へと隠れてしまった。
「撃たないで!私はクルックスよ!」
路地に響く、悲鳴に近い声。
周辺は低い建物ばかり。
人の声程度でも、実によく響き渡った。
「誰だ?出てこい。」
「わ、私はただ依頼をしたかっただけなの!私の監視役もそこにいる女が全員殺したのよ!私は戦闘能力はないわ!」
「分かったから外に出てこい。」
「殺さないで!」
「出てこいと言っているんだ。」
「特に攻撃する気はなかったのに……」
『全く口数の多い女だな。クルックスと言ったか?』
顔を顰めるアベル。
閃光手榴弾のピンを抜く。
そして、持ち手をしっかりと握りしめた。
〔チン〕
投擲の準備が完了。
彼は静かに、持ち手を放した。
「分かったから出てこい!」
「い、嫌よ。出ていったら撃つじゃない!」
少し首を傾け、合図を送るアベル。
対して有栖あらは、溜息を吐いてから頷いた。
「ああ、そうか。絶対にそこにいろよ。」
〔ドーン!〕
部屋の中で炸裂する閃光弾。
放たれる凄まじい爆音と閃光。
ガラス窓がガタガタと震えるほどの威力だった。
「うあああ!私の目が!」
目を押さえ、部屋の中で転げ回る敵。
その隙に、ビル前の街灯を登るアベル。
彼はすぐさま、2階の開いた窓へと飛び込んだ。
距離を維持したまま拳銃を取り出し——敵を狙う。
「私のめええ……目が……!」




