2. 蝶(ちょう)と自由(じゆう) (7)
蝶と自由 (7)
アベルが戦闘装備を多く所持しているのは事実。
しかし、維持費が嵩むわけではない。
交換すべき消耗品も特になし。
防弾チョッキや冷兵器などは——
二、三週間に一回の手入れで十分。
ほぼ半永久的に使用可能なのだ。
銃もまた同じ。
むしろ維持費を食うとすれば——
車と、作業場内部の装備だろう。
「生活費は……正確には分からないけど。結構お金をたくさん貯めているんじゃないかな?」
もちろん、有栖 あらは物価を知らない。
現金の価値も、正確には把握していない。
ゆえにこれは——完全な当て推量。
[以前サーバーに残っていた家計簿の一部を見ましたが、一ヶ月に一千クォズほど残るようです。去年の記録のようですが]
「一千クォズなら何ができるの?」
[一般的な拳銃一丁ほどの価格です。一週間分の食費程度ですね]
「あ。じゃあ本当にお金が足りないのかな?」
[もちろん詳しいことは分かりませんが。通帳の残高や生活費を私に教えてはくれませんでしたから]
「ふーむ……」
有栖 あらは再び頭を働かせる。
だが、特に思い当たる節はなし。
しかし、最初からのアベルの行動——
それをずっと振り返ってみると。
頭の中の疑問符が、幾何級数的に増殖していく。
「でもアベルが何かしようとか、何かしなきゃと言ったことあったっけ?」
[質問の意味が曖昧です。今日はバー『オン・ザ・クラウド』で記憶修正師について尋ねようという意見を出しました]
「あ、それじゃなくて。何か目的や意図を持って事を起こしたり、執着したり目的意識を見せたかな?」
[私には『とりあえずここにいながら、何をしたいのか調べてみろ』と言いましたが]
「一体どんな計画があって、何を準備しているのか、全く知らないね……私も人のことを言える立場じゃないけどさ」
その点において、有栖 あらも同じ。
どうして追われ、アベルの作業場まで来たのか。
これまで、一体どんな事があったのか。
そして今後、どのように企業を崩壊させるのか。
それらを一度も話したことがないからだ。
[ふむ。人間たちは難しいですね。それを知らなければならないのですか?]
「どんな考えなのか分からないと、少しもどかしい時があるんだよね。アベルは私が不便に感じないように、よく説明してくれる方だけど」
そして、十分な配慮——
有栖 あらは、確かにお金で絡んでいる。
無理な依頼をされれば、拒否できない立場。
しかしアベルは、決して強要しなかった。
ふざけたり、からかったりする時を除いて。
[まだ私は人間になるには遠いようですね……]
「そんな些細なことは気にしなくても大丈夫だよ」
アベルと有栖 あらの関係は——非常に独特。
個人的な感情があるのは確か。
仕事に関しても、互いを認め合っている。
しかし、本心から信頼しているか?
その質問への答えは『?』だろう。
状況と判断によって、いつでも変わりうるのだ。
[次のニュースです。アスフォデルにある義体反対派の市民団体、通称『ピュアリスト』たちは今日、声明を発表しました。着用した義体の機能によって変わる、採用及び不利益に対する糾弾が主な内容です。このための社会的合意と討論のために、アスフォデル内部に支社がある義体会社十二社を招待して討論会を準備中であり……]
ラジオから流れる、そんなニュース。
有栖 あらは机に突っ伏したまま。
じっと耳を傾けていたが——
特に、たいした話はなかった。
「とりあえず確認することは確認して、私も寝なくちゃ。デッカードもおやすみ」
[はい。お休みなさいませ]
「人の脳はもうこれ以上信じられない。そうじゃない?」
そんな声を聞きながら——
有栖 あらは目を覚ました。
初めて聞く、毒々(どくどく)しい声。
苛立ちの混ざった、女性の声だった。
目を開ける。
だが、周囲には何も見えなかった。
[No signal(信号なし)]
一般視覚、ナイトビジョン、熱映像。
そのすべてに、捉えられる信号は皆無。
何者かが外部から——
有栖 あらの眼球義体に干渉しているのだ。
『何? 襲撃?』
横たわっている場所も、ベッドではない。
脚と背中に感じる、硬くざらついた感触。
アスファルトかセメントに近い。
そして——微かな血の匂い。
「ボタン操作が必要な機械たちは、もうこれ以上マニュアルを作らない。電子製品や家電製品も消費者に親切に教えたりしないのよ。
運転の仕方を知らない人もDNIを通じてデータを受け取れば分かるようになるじゃない。存在するすべてのマニュアルをウェブから受け取って見ることができるわ。軍隊で野戦教範もDNIで伝達する時代よ。特攻隊の戦闘能力はあいつらが使う戦闘モジュールに懸かっているしね」
有栖 あらは周囲を探る。
だが、手に触れるものは何もなし。
目が塞がれているのか。
そう思い触れてみるも、両目は開いていた。
周囲に光がないか——
あるいは、何らかの手段で視覚情報を遮断されたか。
聴覚が生きていることを幸いと思いながら。
有栖 あらは、口の中で舌を転がした。
DNIはまだ作動中。
しかし、外部通信は途絶。
時間を含め、あらゆる情報が遮断されていた。
「コッ」
口で音を鳴らし、音波の反響を確認。
反響音から察するに、小さな部屋だ。
大体、縦横三メートルほどの空間。
経験上、天井もさほど高くない。
「今や記憶さえ電子製品が代替するようになったの。現実感のある生々(なまなま)しい記憶を自分の一部として取り込むことができるようになったわ。逆に私みたいな人間が触れば、こうやって記憶を切り取ることもできるし」
「なるほど」
壁を頼りに、立ち上がる有栖 あら。
その言葉で、状況を完全に把握。
最後の記憶はアベルの作業場。
しかし、ここへ至る過程がプツリと途切れている。
ならば相手は——記憶修正師に違いない。
喉の奥が、紙やすりのようにざらつく。
そして、微かな血の味。
大声で叫んだのか、薬品を飲まされたか。
両手にも鈍い痛み。
どうやら、何かを素手で殴りつけたようだった。
『何があったから加速モジュールまで使ったの?』
DNIインターフェースは沈黙していない。
記録を調べると——
義体各部の、凄まじい使用履歴。
捕えられて連れてこられたというよりも。
機能の過剰使用で、気絶したのではないか。
そう思えるほどの状態だった。
『外部義体も着用されているね?』
未だ、自己復旧は進行中。
だが、確かに肩と骨盤、胸部の一部に——
外部義体の痕跡があった。
可塑性を持つ素子でできているため。
どこに着用しても、形態を変えて作動するはずだが……。
『でもどうして?』
理由が分からなかった。
外部義体は修復の進行中。
基礎的な筋力増強のみ可能な水準。
それにもかかわらず——
最大値まで引き上げ、手足を強化した記録がある。
直接的な戦闘、あるいは交戦があったのだろう。
幸い、たいした損傷や被害はなかったが。




