2. 蝶(ちょう)と自由(じゆう) (4)
蝶と自由 (4)
「そうでもあるし、企業の機密に直接アクセスするわけだから、バレたら命が危ないだろうな」
おそらく企業が知れば、ここに爆撃でもしてくるだろう。
実際、アベルが収集した義体プログラム。
それだけでも各企業ごとに一揃いになるのだから。
義体で食い扶持を稼ぐ企業たち。
彼らが自分たちの飯の種を奪われたと知れば——。
総力を挙げて消し去ろうとしてくるはずだ。
「ひとまず診断上にノイズや問題になるようなものはないが……一ヶ月前と比べて義体のバランスが変わっているみたいだ。前と同じように戻してやろうか?」
「ああ。誰かの警護中にノイズに気を取られたら大変だからな。少しでも異常があると思ったら全部元に戻してくれ」
アベルは頷き、各部位の細部数値を表示させた。
全て誤差範囲内にはあったものの——。
一ヶ月前と比べ、微妙にズレている部分の存在。
身体的な部分よりはホルモン関連の数値。
目標値を一ヶ月前と同じに修正することで、調整は終わった。
「でも変なものがあるんだが。誰かDNIをいじったか?」
最後にDNIチップを一度点検してみる。
すると、数値とは無関係な注釈処理されたテキスト。
妙なデータブロックが、ポツンと離れていたのだ。
「いや? お前以外の誰からも受けてないぞ」
「ふむ……」
おかしな状況に、アベルは小首を傾げる。
テキストになっているから、特に問題はないだろう。
そう思いつつも——インジェクションというハッキング技術。
それを考えれば、迂闊に開くのも難しいのが事実だった。
だが、これがアベルの調整のせいで生じたエラーやバグであれば大問題だ。
分析くらいはしてみる必要があった。
「以前に調整した時と同じようにデータをコピーするよ。個人情報は除いてな。構わないか?」
「久しぶりだな。でも、俺の義体構成は変わってないはずだが?」
「ノイズがあったって言うからな。もしかしたらエラーや問題があるかもしれないから、以前のものと比べてみるんだ」
「ああ、それならこっちから頼まないとな。これ、解決できそうなら教えてくれ」
リアムは、もしかしたら良くなるかもしれないという希望。
それを抱いてアベルに言った。
随分と気になっていたようだ。
「そうしよう。料金はいつも通りもらうよ」
「今度一杯飲もうぜ」
整備が終わったリアムが席から立ち上がる。
そして、アベルに手を差し出した。
本当に握手が好きな客だと思いながらも——。
アベルは笑って、その手を握り返した。
「飯の方がいいな」
アベルは明るく笑ってリアムに言った。
カクテルバー『オン・ザ・クラウド』。
いつものように、薄暗く青い照明だった。
「記憶修正士? いや、そんな大層な連中はこんなバーには来ないよ……」
ランシーが困ったように言った。
彼女はアベルが知る唯一の情報屋。
誰か紹介してもらえるかと思ったが——期待が過ぎたようだ。
「そうか。結構いいバーだと思ったんだけどな」
アベルも、記憶修正士がどんな仕事をするのか。
それは断片的にしか知らなかった。
DNIに干渉し、人の記憶を操作する人間——。
その程度にしか。
「自分で言うのもなんだけど、ここってそんなに高級な雰囲気じゃないだろ? お酒だって……まあ、たまに本物じゃなかったりするし」
「マジで?」
「あ、今のは冗談。忘れて」
ランシーが短く言いながら、アベルに一杯注いでくれた。
サービスでおごるから黙っていろという意味のようだったが——。
アベルからしてみれば、これも偽物ではないかという疑念。
もっとも、酒ではなくゼロコーラではあったが。
「とにかく、合法的に記憶を修正する人間は本当に少いのよ。この前にあるアスフォデル総合病院でフリーランスとして数人雇われている程度が関の山じゃないかしら」
「医療に使うのか?」
少し珍しいアプローチ。
そのため、アベルは驚いて尋ねた。
ランシーは頷くと——布でグラスの水滴を拭き始めた。
「ええ。精神科で患者のトラウマを治療するのに使ったり、治療の過程で羞恥心を覚えて記憶したくないっていう患者がいれば消してあげるのに使うのよ。元々(もともと)の開発目的はこれだから。
考えてみて。眼球の手術をする時、全身麻酔じゃなかったら針が目を刺すのをまっすぐ見てなきゃいけないのよ。誰だって注射器や鋭い物にトラウマを抱えるでしょ?」
「案外穏健だな?」
「そうよ。病院の集中治療室に行ったことある? 看護のために患者は下着も着けられないの。その状態で医者たちが傷を見て処置したりするのよ。消したくなることもあるわ」
「精神科関連なら、戦争の後遺症とか犯罪被害者のトラウマ治療用に使うのかな?」
「そうね。大半はそっち系よ。特に自殺の危険があるグループから同意を得て行うケースが多いわ。
とにかく、合法的な記憶修正では、当事者が自分で残しておきたいことを日記形式で記録しておくの。後で医療的にも個人的にもその記憶が必要になるかもしれないから」
「もちろん記憶修正は保険がきかないけど」
そう呟いたランシーは、深くため息を吐いた。
アベルは納得したように頷きつつ——再び首を傾げた。
「でも、なんでマスコミは悪の枢軸みたいに叩くんだ? 十分良いように使われてる気がするけど」
アベルはランシーから聞くまで、病院で働く記憶修正士がいることすら知らなかった。
たまにマスコミに出てくる記憶修正士。
彼らは金をもらい、犯罪の記憶を消す連中ばかりだったからだ。
そしてその度にマスコミは特集報道を組む。
まるで悪の根源であるかのように——彼らを追い詰めていた。
「そういう悪い記憶修正士がいるのも事実だからね」
「ふむ。マスコミが刺激を求めて悪魔化してるのか?」
「そういうのもあるし……実際、ほとんどの人間は真面目に働いてるじゃない? 全ての国会議員が腐敗しているわけじゃないのと同じように」
アベルは『全ての権力は腐敗する』と言いかけた。
だが、アメリカは違うかもしれないと思い——言葉を飲み込んだ。
「でも、随分詳しいんだな? 知り合いに記憶修正士がいるのか?」
ランシーは、その言葉にクスッと笑って肩をすくめた。
「驚くことに、私がその記憶修正士として少し働いていたのよ。才能がなくて辞めたけどね」
「おお……俺の目の前に歩く年収億超えの金持ちが……」
アベルは少しの間、考え込む。
ランシーの整備費用を、もっと高く吹っ掛けてもいいのではないか——と。
「くすくす。一ヶ月働いても、あんたに整備を頼むのも難しいくらいの額だったわよ? 実績が少しでも悪ければ家賃がギリギリだったんだから」
「うわ、それは最悪だな……」
一般的な会社員の給料に、遠く及ばないレベル。
それほどなら、存在してはいけない職業ではないのか?
「記憶修正士という職業自体、所得の格差が激しいの。コネがなきゃ、金をたくさん稼いでる連中の記憶なんて修正できないわ。それに、職業に対する認識自体がすごく悪いじゃない?」
あり得る話だと思い、アベルは頷いた。
ランシーと話す前の認識。
本当になくなるべき、人の記憶を歪曲する職業——だとばかり思っていたからだ。




