2. ガラクタ機械(きかい)の存在価値(そんざいかち) (14)
ガラクタ機械の存在価値 (14)
「接続完了。あ、くそ。手袋がダメになったな。」
アベルがぼやきながらトラックから降りた。
手に持っていた絶縁手袋。
それはあちこちが溶けて破れ、もう捨てるしかない状態だった。
「有栖、じゃあ……」
「くう……」
準備に時間がかかったせいだろう。
有栖は車の脇に座って、うとうとしていた。
アベルはすぐに起こそうかと思った。
だが、有栖の肩に外套をかけてやった。
そして隣に座り、景色を眺める。
アスフォデルの外縁から少し出るだけ。
それだけで、マンションやビル、建物が立ち並んでいた。
そして大半は、こういった場所の人口密度がほぼゼロに近い。
事実上、廃墟と呼ばれていた。
看板は管理されず固定部が外れて風に揺れ、アスファルトはあちこちひび割れたまま、電柱と信号機は横に倒れ、あるいは消えている状態だった。
それでも街灯はまばらに立っている。
夜に車を運転することは、一応できるだろう。
アベルと有栖は、その廃墟の境界線に近い場所にいた。
そこで地平線の果てまで広がる、巨大な都市の残骸を眺めていた。
屋上まで上れる車用のリフトがあるビル。
そこに行き、電力をかろうじて復旧させてから、屋上まで車を上げてきたのだ。
もともと駐車場として使われていたビルだった。
——なぜなら、車が放置されているため、リフトなしでは屋上に来る方法がなかったからだ。
〔ガサガサ……〕
少し肌寒くなった天気。
アベルはそれを考え、有栖に外套をかけてやった。
有栖は厚い狙撃マットの上に座っていた。
その隣には、アベルの体より大きな銃が置かれている。
「うーん……」
数日間。
アベルは有栖の義体とDNIのデータを解析した。
多くのシステムとアルゴリズムを調べた。
だが、アベルが解読できたのはほんのわずかだった。
それ以外にもデータのログや記録を調べた。
しかし、少し見てすぐにやめた。
〔これを見てはいけません!〕
〔うちのアベルは優しいから見ないと信じてるよ!〕
〔レディーの秘密は守ってくれるよね?〕
〔これはわたしの日記帳だよ!〕
〔これは見ていいよ。〕
すでに有栖はデータを渡す前。
そんな注釈を書き込んでいたのだ。
さらに見ていいと言う部分。
そこを開いてみると、その内容は——
'中も温めてね。'
有栖とアベルが出会った日に関する記録。
それを映像で残していた。
さらにシミュレーション可能なように。
そのときの身体の状態や状況も、詳細に記録されていた。
そこまで見ると。
アベルはもう、何かを調べる気が失せた。
個人の私生活を覗き見るのは、少し違う気がする。
——なぜなら、個人データにアベルが必要とするものがあるわけでもないからだ。
〔アベル。聞こえますか?〕
耳に差したイヤホン。
そこから、機械音が大きく混じった声が聞こえた。
アベルは頷く。
有栖の隣に座って、イヤホンを軽く叩いた。
「ああ。よく聞こえる。」
〔作業場を管理するシステムにうまく融合できたようです。自我の連続性も成功裏に保たれているようですし。〕
アベルはその言葉にクスッと笑って頷いた。
かつてお互いに殺し合おうとしていたロボット。
それをアベルが引き取り、作業場のサーバーに繋いでおいたのだ。
もちろん、プライベートなサーバーとは分離されているが。
〔まずはこうして生かしていただいてありがとうございます。〕
「いいよ。何か勝手に調べ回りさえしなければいい。どこかへ行くときは一声かけてくれ。」
〔ふむ。もうわたしは情報生命体です。空間的な制約に何の意味があるのかわかりませんが。〕
「関係を断つか、まったく別の場所に所属したくなることもあるだろうから。別に無理に引き止めるつもりはない。意味もないし。」
アベルはざっくばらんに話す。
保温瓶に入っていた温かいお茶を一口飲んだ。
そろそろ夕日が沈んでいるところだ。
その夕日が見える場所まで、大きなビルの森でできた廃墟が続いていた。
それ自体、なかなかいい景色だった。
静かに眺めてみる。
〔……わたしを完全に人格ある存在として見ているんですね。〕
ロボットはかなり驚いたようだった。
しかしアベルは当たり前とでも言わんばかりだ。
大して反応しなかった。
「その方が楽だと思って。不便なら言ってくれ。」
〔こんなふうに接してくれる方が初めてで驚いただけです。ありがとうございます。〕
「そうか。うまく……やっていこう。あ。共用サーバーにプログラムを一つ上げておくから、少し見てもらえる? 1ヶ月近く調べているんだが、何がなんだかさっぱりわからなくて。」
アベルは携帯端末を操作する。
遠隔で共用サーバーに情報をアップした。
有栖の外部義体と、DNIシステムの情報だ。
人工知能にこんなお願いをした瞬間。
エンジニアとして敗北宣言も同然だった。
だが、アベルは実利主義者だった。
それに意地を張るには——
エンジニアという職業自体が、ほとんどなくなった状況でもあったからだ。
〔これはわたしがアクセスしてはいけないと思います。〕
「え? なんで?」
〔罠が多すぎます。人工知能、特に強人工知能がアクセスすると、論理的な罠でわたしを弾き出すでしょう。〕
「え……例えば?
〔基礎的なゲーデルの不完全性定理を応用していますね。有限な数の定義と公理だけでは……〕
「完全に論理的な矛盾のない数学体系は作れない。無限の概念を引き込んで演算能力を過負荷させるわけか。」
〔かなりよくご存じですね?〕
「基礎的な人工知能侵入防止だから。それと……いや。」
アベルは何か続けて言おうとして首を振った。
〔それ以外にも、国家級ブラックウォール演算と思われるものがあります。コードの断片だけ見たのですが、この程度ですから。〕
「そうか。じゃあいい。自分でやるしかないな。」
予想通りすぎる。
アベルはとくに失望しなかった。
有栖を見る。
彼女は座ったまま頭だけ垂れ、よだれまで垂らしてぐっすり寝ていた。
かなり疲れていたのだろう。
そう思って、そのままにしておいた。
「名前は考えてみた?」
〔デッカードにしようかと思っています。〕
「デッカード……デッカード?」
どこかで聞いたような。
そんな顔で、アベルが首を傾げた。
〔『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の主人公です。映画にもなりましたよね。〕
「あ、あれか。電子書籍を買っておいたやつだ。」
〔ええ。一番気に入っている物語なので、デッカードにしました。〕
アベルはこの状況がおかしくてクスッと笑った。
人を殺そうとしていたアンドロイド。
それが、1世紀前に発表されたSF小説を「気に入っている」と言っている。
どれだけアベルが、デッカードを人格ある存在として見ようとしているとしても。
この状況がアイロニカルでおかしいことは変わらないだろう。
「そうか。フィリップ・K・ディックは巨匠だよな。俺もおもしろく読んだから電子書籍で持っていたわけで。」
〔栞を見ると、最近は『老人と海』を読んでいらっしゃるようですが……〕
「うん。なんだか海洋生物に詳しくなってきている気がする。カジキマグロとか。ほぼ絶滅しているけど。」
保温瓶の蓋をカップ代わりにする。
飲み物を注いだアベルは、有栖の前に置いてやった。
「とにかくよろしく、デッカード。今のところは作業場のサーバーに置いているが、それ以外に必要なことや望むことがあれば言ってくれ。互いにうまくやっていこう。適当なアンドロイド筐体が見つかったら移してあげる。」
〔こちらこそよろしくお願いします。体はそれほど急いでいません。それよりもまずは、アベル、あなたについて知りたいです。〕
「え? 俺?」
〔はい。あなたも有栖も……わたしを人間として扱うことが、あまり普通のことには見えないんですよ。わたしが持っていたデータからかなりかけ離れた事例ですので、興味が湧きます。〕
あの短い言葉の中。
アベルは何度も苦笑を堪えた。
機械が人間を判断している。
その中で「お前たちはおかしい」と言わんばかりだ。
しかも興味があるから、もっと観察したいと言っている。
これをどう表現すればいいかわからなかったが——
'まあ、人と出会うのはいつもそういうもんだ。'
デッカードを普通の人間として考えることにした。
そうでないふりをしていた。
だが、頭のどこかでは、ロボットだと思っていたのかもしれない。
「わかった。よろしく。」
〔こちらこそよろしくお願いします。〕
初めて会う人と話し、友達になる。
何かを一緒にするということは、いつもこういうものだろう。
お互いが持っている知識と経験が違う。
その分、意見を交わして理解し合う必要がある。
相手が実体のない情報生命体であっても、同じことだろう。
「夕焼けがきれいだな。スマホのカメラを共有したら見える?」
一人で見るのはもったいない。
そう思って、アベルはデッカードに聞いた。
〔いいえ。別にそうする必要はないかと思います。〕
「え? どういうこと?」
アベルがデッカードに聞いたとき。
隣でガサガサという音がした。
「うわあ、めちゃくちゃ寝てた。」
有栖がアゴとズボンについたよだれを拭く。
そうしながら起き上がった。
「あ。ちょうど起きたな。それじゃあ有栖と視覚共有すればいいかな?」
〔今申請しました。〕
「え? デッカード? これは誰?」
有栖は突然入ってきた申請に戸惑った。
「俺たちが助けたロボット。デッカードって自分で名前をつけたんだ。」
「ああ……そうか。視覚共有は開いてあげればいい?」
まだ寝起きの顔で聞く有栖が可愛い。
アベルは有栖の髪を、軽くくしゃくしゃにした。
「うわっ。家に櫛でも買っておいてからくしゃくしゃにして!」
「櫛か……そうだな。買っておかないとな。」
絡まるほど長い髪でもない。
アベルはまったく使っていなかった。
だから家に櫛がなかったのだが。
有栖はけっこう気にしていたようだ。
「でも視覚共有はなんで? 目も義体だから別にいいけど……」
「景色がいいから。」
「あ。うん。確かに。あそこに全部人が住んでるの?」
有栖の言葉に、アベルは首を傾げた。
アスフォデルに車で来たなら。
この廃墟を通らないわけにはいかないはずだ。
それなのに、有栖は初めて見るような様子だった。
しかし、アベルが問い詰めることでもない。
そのままにしておいた。
——なぜなら、ここに来たのは別の理由だからだ。
「いや。ほとんど人はいないと思う。あるのは安い宿とかギャングの秘密のアジトくらいだろう。」




