2. ガラクタ機械(きかい)の存在価値(そんざいかち) (9)
ガラクタ機械の存在価値 (9)
'要員程度なら難なく相手にできるみたいだね。'
まず中央階段の脇、機械部品の間に、血まみれの死体があった。
顔に被せるマスクのような部品は、確かにベータという要員のものだった。
もしやと思ったが、顔に掛けていたサングラスまで義体部品だったようだ。
アベルは有栖の肩を掴んでちょっと止まるよう手振りした。
——壊れた部品を調べる時間が必要だったから。
'加速モジュール、電気ショッカー、近距離レーダー、赤外線妨害機、閃光発生器、火炎放射器。
腕はジェネラル・テクニカではなくヘラクレス社の「コルヌコピア」ラインナップ……
近距離パワー型だが、腕力でアンドロイドに負けたんだな。
左ひじが逆方向に折れていた……'
痕跡から見て、戦闘は一方的だったはずだ。
それでも何があったのか高熱切断を受けていないところを見ると、刃物に問題が生じたのかもしれない。
とにかく要員は右の下部肋骨を打たれて押し込まれていったのだろう。
体内臓器が残っており、痛みを抑えるためDNIを使った自動ホルモン調節があったはずだ。
——だが、近接戦では1秒の隙があれば死ぬには十分だ。
その後、左腕を逆方向に折られ刀を防ぐ手段がなくなり、斜め切りで左鎖骨と下部臓器が全てやられた。
その致命傷を退きながら避けようとしたが……
ショットガンを受けて首から心臓まで大きく穴が開いたから、その時点で戦闘は終わっていたはずだ。
'ロボットは人体の構造をよく知らないのか?'
倒れた後で刃物で引っかいたような痕跡が多くあった。
防御や回避の痕跡がない、奇妙な傷。
遺体を相手に引っかいたような傷があるが、確認射殺とは程遠い。
——なぜなら、心臓がなくなっているのに骨盤と膝を刺して切っても何の意味もないから。
'……学習された内容にそって機械的で効率的な動きは見せているが……何だ?
制圧した後に何をすべきかわからないのか?'
アベルはわずかに眉をひそめ、有栖を見て首を振った。
そして北側をあごで示し、動こうと促した。
有栖は小さく頷き、身をかがめて歩き始めた。
内部構造だけ大雑把に造られており、外部のベランダや窓などはまったく作られていない建物だった。
だから、丸い月を眺めるアンドロイドを遮るものは何もなかった。
ロボットの向こうに見える都市はきらめき、華やかだった。
だが、あまりにも四角くて殺伐としていた。
あそこにある明かりのひとつひとつはすべて人が生きている証だろう。
——が、その明かりに人間性を見い出すにはここが遠すぎた。
それよりも近くに、人間のように見える存在がいた。
明るい月明かりがそのまま降ぎ、カツラと人工皮膚を持つアンドロイドを照らしていた。
おそらく後ろ姿だけ見れば、誰もがロボットではなく人間だと思うだろう。
——なぜなら、あれはどう見てもある人がシャツとズボンを着て外套を羽織り、窓際に立って月を見ている姿だから。
'本当に人間みたいじゃないか。'
有栖は背中を見ながら距離を詰め、不思議そうに眺めた。
アンドロイドは呼吸する必要はないのに、肩が周期的に上がり下がりして呼吸を真似ていた。
アンドロイドの目には何の意味もないはずの、空に浮かぶ月を眺める姿はあまりにも人間的に見えた。
だから小銃に取り付けた光学機器越しに見ていたアベルの呼吸を、わずかに乱した。
'!'
その瞬間、アベルの直感が警告を発した。
あの人間を模倣するアンドロイドが、近づく者を感知したようだった。
はっきりとした反応は何もなかった。
それでも抑えられない不安感から、アベルは顔をしかめて叫んだ。
「バレた! 走れ!」
突然の叫びにも有栖は躊躇しなかった。
左に刃を寝かせたまま、広い廊下を一直線に駆け抜けた。
〔ピュッ! ピュッピュッ!〕
アベルの小銃が火を噴いた。
アンドロイドの周囲にかすかな白い膜が生成される。
歪曲場が弾丸の軌道を歪めた。
後ろから見たときとは違い、正面を見て確かにわかった。
上半身の衣服がほぼすべて焦げており、人工皮膚もボロボロになっていた。
その中に見える機械の駆動部と、点滅するLEDの明かり。
あれは間違いなくロボットだった。
中でも最も異質だったのは、レーザーを埋め込んだかのように赤く光る左目だ。
遠くからでも確実にわかるほど鮮明な赤い光で、肉眼で見るのが辛いほどだった。
「はっ!」
足が遅くなったアンドロイドに、有栖が接近するのは一瞬だった。
ロボットは横に歩いて柱の陰に隠れようとしたようだ。
だが、作りかけのベランダの端に立っていたから、完全に身を隠すことは不可能だった。
歪曲場をリアルタイムで展開するために遅くなった脚。
それは有栖の刃を躱せず……
〔キィン!〕
二つの刃がぶつかり、鉄が絡み合う音がした。
二人の腕力は凄まじかった。
一度の衝突だけで、刃が半分近くお互いに食い込んで絡み合った。
〔ピュッ!〕
アベルの射撃の腕は並外れていた。
刃が絡み合うや否や、6発を連続して発射する。
弾丸はすべて親指の爪ほどの大きさの範囲に収まるほどの高精度だった。
だからアンドロイドは歪曲場を切ることができず、全体的な出力低下を余儀なくされた。
そして当然、歪曲場が有効なのでショットガンも使えない。
〔キィン、ガッ〕
2度の衝突だけで有栖の環刀が真っ二つになった。
さすがに市販の環刀では、最先端の工学で作られた専用武器には敵わなかった。
〔カドッ〕
ただ、武器がなくても行動が止まるわけではなかった。
有栖はすぐに太ももの手斧を右手で取り出し、刃を打ち払った。
無垢チタンの手斧程度でなければ、自らの武器に大したダメージなく防ぐことはできない。
それほど、アンドロイドの刀と腕力は凄まじかった。
アンドロイドは片手で刀を操りながら、拳を握った手で有栖を殴ろうとした。
極めて人間的な、ボクシングのフックのような大きな振り抜き。
だが、その速度はまったく人間的ではなかった。
——風を切る音がアベルにも聞こえるほどだったから。
「ふっ。」
しかし有栖は身を低くするだけで難なく拳を躱した。
膝の駆動部に斧を打ち込みながら横に抜ける。
人間なら致命傷だっただろうが、ロボットだから大したダメージではないだろう。
すり抜けながら引っかく程度で、駆動部を断ち切れるわけはない。
それでも外装が剥げて配線が露出する程度のダメージはあった。
〔ピュピュピュッ!〕
アベルの3点射がアンドロイドのこめかみに向いた。
有栖が離れるや否や何かしようとしていたのか、体勢を変えかけていたロボット。
それは再び歪曲場を有効にしながら、一瞬よろめいた。
予期せぬ出力低下で、手足の動作に過負荷がかかったのだ。
〔カドッ〕
有栖はそれを逃さず、斧の背、斧頭でロボットを打ち下ろした。
すぐロボットの手に阻まれて止められたが。
外皮の防御力も相当なのか、斧の重みをまともに受けても、手にはわずかな傷がついた程度だった。
「畳みかけろ! あれに学習する隙を与えるな!」
アベルがロボットのかかとを撃って歪曲場を維持するよう強いた。
'要員の野郎は何をしてるんだ!'
内心苛立ったが、どうしようもなかった。
ここで要員を呼んだら、ロボットが「まだ何かある」と判断して奇襲を予期するかもしれない。
だから最大限悟られないように、南側へ追い込んで投げ捨てるのが最善だった。
「大丈夫! まだやれるから!」
有栖はわずかに笑みさえ見せながら叫んだ。
ベルトから抜いた短剣まで左手に握り、ロボットと距離を保つ。
アベルはロボットの背後へ回り込み続けていた。
大きく回らなければならないが、早歩き程度で動くだけでも十分に気になる位置には行けた。
'問題は南側にほとんど動かないってことだ。'
短い攻防だから確信はできないが、ロボットはこの場所から離れようとしていない。
有栖の攻撃と防御に対し、最小限の動きで効率的に対処していた。
むしろアベルを意識した動きだと見てもいいほどに。
もちろんアベルとは10m近く離れている。
歪曲場で出力が落ちたロボットが、一瞬で来られる距離ではないだろうが。
「アルファに連絡。交戦中。」
【確認。健闘を祈ります。】
通信を入れたが、返ってきたのは応援だけだった。
アベルは今からでも要員を投入して早く終わらせるべきだと判断する。
しかし、要員はどこにいるのか見えもしなかった。
〔カドドドドッ!〕
有栖は逆手に握った短剣で、ロボットの腕を切り裂いて通り過ぎた。
拳を振るうロボットをすり抜けながら、刃で引っかいたのだが……
確かに有栖の格闘技術は完璧だった。
しかし、ロボットの防御力が高すぎた。
〔ピュッ!〕
'……有栖は一体何者なんだ?'
アベルはほとんど習慣的に銃を撃ちながら、頭の片隅で別のことを考えていた。
常識が少し欠けており、一銭もない。
外部義体を持ち、複数の企業が連携して作ったロボットにも負けない格闘技術。
おそらくアベルだったら、今頃アンドロイドに捕まって血まみれになっている。
その自信があるのに、有栖は余裕たっぷりに躱しながら、ところどころ攻撃をねじ込んでいた。
一般的な人間の格闘技術でも、肉体的な能力でもない。
しかし今重要なのは有栖が何者かではない。
あのロボットをどうやって建物の南側に投げ飛ばすかだ。
'問題は防御力だが。'
ロボットの技術は教科書的だ。
ロボットが動いているというより、人間の動きをそのまま再現している感覚。
だからこそ、考える必要のない人間の呼吸や、筋肉の弛緩・緊張まで考慮した動きを見せていた。
腰や腕を一回転させることなど、造り物の体には朝飯前なのに。
正直に肩と肘を動かして、人間のように戦っていたのだから。
〔ドドッ!〕
しかし防御力はどう見ても人間的ではない。
どんな素材を使っているのかわからない。
有栖が短剣を握ったままカウンターを入れ、逆手で打ち込んでも、刃は入らずに横に弾かれた。
チタン合金のようだが、斧でも大きなひびを入れられないほどだった。
こうなると、歪曲場は単なる装飾品に過ぎない。
実は銃弾を受けても無傷なのではないかと思えるほどだった。
〔チャキッ〕
アベルは2本目の弾倉を交換した。
弾倉はもう少し残っているが、問題はそれではない。
このまま膠着状態になれば、不利なのはアベルと有栖だ。
有栖は体の状態が万全ではない。
おそらく今ちゃんと動けているのは、DNIチップを使っているからだ。
——ホルモン調節をしながら、体を酷使しているのだろう。
無理をしている体は、いつ倒れても不思議ではない。
アベルも弾倉の容量には限りがある。
近接戦を考えれば、アベルでは有栖とロボットの動きについていけないのは明らかだ。
「有栖! 撤退を考えろ!」
撤退は追い詰められた状態ではなく、余裕があるときの選択肢にしなければならない。
安全な撤退には時間と資源が消費されるから。
アベルは、あと2本の弾倉を使い切るまでに活路が見えなければ。
その時は手段を選ばず、撤退することを心に決めた。
「なんで! やっと面白くなってきたのに!」
「遊んでるんじゃないから!」
「はいはい。おじさんはさっさと家に帰って寝なきゃ。もう寝る時間過ぎてるじゃない!」
「俺がお前より早く寝たことないんだけど!」
有栖の戯言に付き合いながらも、アベルはできることをすべてやっていた。
ロボットの歪曲場に万が一エラーがないかと、かかとや指の先端。
体の幹から最も遠い場所を何度も狙った。
しかしその度に弾丸は大きく軌道が曲がり、とんでもない方向に飛んでいく。
弾を換えて火薬を多く詰めたホットロード弾も撃つ。
曳光弾や徹甲弾も試みたが、結果は変わらなかった。
じれったい気持ちで、床に転がっているレンガを拾って投げてみたりもした。
だが、ロボットは肘で難なく砕き、目もくれなかった。
小さな虫が、象かブルドーザーに向き合えばこんな感覚だろうか。
あれを生け捕にしなければならないのに、逃げることすら難しそうな感覚だった。
ロボットに背中を向けた瞬間、背中の大型ショットガンが狙われる。
それは何より明らかだった。
隠された武器やシステムが、さらにあっても不思議ではなく——。
〔チャカッ……〕
あと一つ弾倉を使えば撤退しなければならないと思い始めた。
要員はどこで何をしているのか連絡もない。
有栖の体力消耗も凄まじいようだった。
すでにシャツが汗でぐっしょり濡れており、左腕の反応が少しずつ遅くなっていた。
一般型義体では耐えられない動きだから仕方ないのだが。
——有栖が今着けているのは、戦闘用ではないからだ。
〔チッ!〕
「あ、くそっ……」
アベルの銃が初めて作動不良を起こした。
薬莢が詰まって給弾がうまくできず、ボルトを一度引いてやる。
もちろん歪曲場がその隙に切れるような、即応性のある代物ではないから幸いだったが……
軍用小銃もそろそろ限界なのだ。
単発、3点射で撃ったとはいえ、ほぼ90発を撃ったのだ。
一度くらい不良が出るのも当然だった。
「撤退準備!」
弾倉が半分ほど空になったところで、アベルは決断した。
弾倉もそうだし、銃のコンディションが悪化してきている。
このまま膠着状態を維持しても良いことはない。
早急に脱出の準備をしなければならなかった。
しかし——戦闘の終わりは突然やってきた。




