54:狼煙
54:狼煙
「結構、残ったな。感心。感心……」
ゴブリン王ゲブは、ゴブリンたちを前に頷いた。
「偏に、王のカリスマによるものです」
跪いた族長の一人が、頭を下げたまま言った。族長の言葉は世辞でもなんでもなかった。
ネクロスの呪いは、短期間で大陸中を駆け巡った。
人間、魔族、動物、魔物の区別なく、弱い者ほど影響を受け、凶暴化した。
本来なら、魔族の中でも比較的弱い存在であるゴブリンは、即座に暴れだしても不思議ではなかったが、一部の者を除き、平静を保っていた。
「実は、今日集まってもらったのは外でもない。俺は暫くの間、旅に出る事にした。その間にこの国を取り仕切る国王代理を、みんなに決めて貰いたい。もちろん、俺が戻らない時は、その者が次期ゴブリン王だ」
族長たちはどよめいた。
「我らは、その旅に連れて行ってもらえないのですか?」
恐る恐るといった感じで年若の族長が尋ねる。
「危険な旅だ。それに、ちょっと色々、一人で考えたいしな……」
「それならば、ゲブ王が、ご指名ください」
族長の一人が発言した。
「いや。みんなで話し合って、決めてもらいたいんだ」
それから喧々諤々の議論が行われ、時にゲブの助言をもらいながら、ズァーク氏族の族長――ズァーク・グルマが、国王代理として選出された。
一月の後、ゲブが旅立つ日。
「後は宜しく頼んだぞ。グルマ」
ゲブは王の証として、己の剣を与えた。
「王のお帰りをお待ちしております……」
ズァーク・グルマは、恭しく剣を受け取った。
魔族と人間族の戦争には加担しないこと、どうしてもの時には旧魔王軍を頼ること、そしてもし自分が暴走したときは自分を止めること、を言いつけて、ゲブはしばしの別れを告げた。
* * *
アルシア海洋王国、軍港リュミエール。
ここに築かれた帝国軍宿舎を一人の若者が訪ねていた。
「責任者に会いたいだと!?小僧、ここがどこだか分かっているのか?」
応対に出た兵士が恫喝する。
「もちろん、存じ上げているとも。軍務官――ヘルマンに、ウラジミールが会いに来たと伝えてくれないか」
銀髪を短いおかっぱに揃え、スカイブルーの瞳を細めて、若者は微笑んだ。
* * *
「で、殿下、どうしてこの様なところに?供も連れずに……い、いや、それより殿下の飛空船が墜落したとの噂を聞きましたが、よくぞご無事で……」
兵士から言付けを聞いた、ヘルマン・ハインマールは泡を食って、訪問者――ウラジミールを自室に通した。
ヘルマンは飛空船事故で、勢いを失った第三皇子派の軍人で、派閥の凋落を機に、アルシアへ左遷されたいた。
「ヘルマン、苦労を掛けたね。供回りの者たちは、墜落の時に失ってしまった……命の危険がある以上、アストリアにも戻れないし……あちこちを逃げるうちに、ここにヘルマンが居ると聞いてね」
髪と同じ銀色の長い睫毛を伏せがちにして、アストリア帝国第三皇子ウラジミール・アストリアは答えた。
「墜落は仕組まれたものであると?」
「証拠はない」
「殿下。帝国は第二次聖戦の準備で、各国の軍を召集しています。今、各国は“空白”です。……危険ですぞ」
「だからこそ、行く価値がある」
ウラジミールは静かに言った。
「帝国の支配に苦しむ国々を、見て回りたい。父上の……いや、帝国のやり方が正しいのかどうか、確かめたいのだ」
ヘルマンは息を呑んだ。
(……殿下は、帝国の支配に疑問を?)
ウラジミールは続けた。
「ヘルマン。君の協力が必要だ。帝国の目を欺き、私は“死んだ皇子”として動く」
ヘルマンは迷った。
(あの、ひ弱な印象すらあった殿下が、飛空船の墜落を生き延び、なおかつ遠く離れたアルシアまで単独で……何か違和感を感じる……)
ちらりとウラジミールを見る。ウラジミールは、腰に帝国の紋章の入った剣を佩いている。精巧な紋章は偽物ではあり得ない。
結局、第三皇子派としての忠誠心が勝った。
「……殿下の御意のままに」
ウラジミールは微笑んだ。
「ありがとう、ヘルマン。君が居てくれて、心強いよ――」
(――帝国の支配は、ここで終わらせる)
* * *
ウラジミールは、ヘルマンが付けてくれた僅かな護衛を連れて、陸路で隣国レーヴェン王国に入った。
レーヴェンには帝国軍が駐留しておらず、王都は、白狼騎士団と白銀の勇者ミリアの出立準備に追われていた。
白銀の雪が静かに降り積もる王都。
王城ヴァルフロストの謁見の間は、冬の冷気と緊張を孕んだ沈黙に包まれていた。
玉座に座るのは、白髪混じりの銀髪を後ろに撫でつけた老王――レオポルト・レーヴェン王。
その瞳は蒼灰色に沈み、長年の政治と戦の疲れを隠そうともしない。
そこへ、銀髪の若者がゆっくりと歩み出た。
「……お久しぶりです、レオポルト陛下」
その声は柔らかく、しかしどこか底に鋼を秘めていた。
レオポルト王は目を細めた。
「……ウラジミール殿下。帝国は、殿下が飛空船事故で亡くなられたと発表しておったが……」
ウラジミールは微笑んだ。
「死んだ方が、都合が良い者たちがいるのでしょう」
レオポルト王は深く息を吐いた。
「殿下。帝国の“聖戦”は、我らレーヴェンにとっても重荷ではあります。白狼騎士団は誇り高い……帝国の盾として活躍するでしょう」
ウラジミールは静かに首を横に振った。
「無理をなさらなくとも良いのです。レーヴェン王国は――帝国の支配から離れるべきだ」
謁見の間の空気が凍りついた。
レオポルト王は、玉座の肘掛けを強く握った。
「……殿下。それは、帝国への反逆を意味しますぞ」
「これは反逆ではありません。“自立”です」
ウラジミールは一歩、王へ近づいた。
「帝国軍は聖戦の準備で各国から兵を引き上げています。今なら、帝国はレーヴェンを押さえつける余力がない」
レオポルト王の瞳が揺れた。
「……殿下。レーヴェンは小国だ。帝国に逆らえば、滅ぼされる……」
「滅びません」
ゼラは断言した。
「アルシアも、ルミナスも、帝国から離れつつあります。レーヴェンだけが従属を続ける必要はない」
レオポルト王は、玉座の上でゆっくりと背を伸ばした。
「……殿下。あなたは、帝国の皇子であろう。なぜ、そこまで……?」
ウラジミールは一瞬だけ目を伏せた。
(……俺は皇子じゃない。だが――この国を守りたいという気持ちは本物だ)
そして顔を上げ、レオポルト王を真っ直ぐに見つめた。
「力での支配は永くは続かない。共に手を取り合うことこそ、永き繁栄に繋がると私は考えています。貴国は誇り高き白狼の国だ。その誇りを、守ってほしい」
レオポルト王は、長い沈黙の後、静かに立ち上がった。
「……殿下。あなたの言葉は、老いたこの身に……まだ戦う力が残っていると教えてくれた」
そして、王は玉座の前で深く頭を垂れた。
「レーヴェン王国は――帝国の聖戦への参加は表向きのみとする」
ウラジミールは静かに微笑んだ。
「ありがとうございます、陛下」
レオポルト王は、その微笑みを見つめながら思った。
(以前に会ったことのあるウラジミールとは印象が違う……この若者は、本当に“皇子”なのか?いや……何者であれ、レーヴェンにとって必要な存在であることは確かだ)
謁見の間の外では、白い雪が静かに降り続けていた。
レーヴェン王国は、今まさに帝国の鎖を断ち切ろうとしていた。




