51:戦争の足音
51:戦争の足音
ゴブリン王国の夜は静かだった。
だが、その静寂の中で――ゼラは“違和感”に気づいた。
(……魔力の流れが、変だ)
空気がざわつく。
風が逆巻くように、魔力が渦を巻いている。
ゼラは城壁に立ち、アビスフェルドの空を見上げた。
黒い雲が、まるで“何かを探すように”蠢いている。
(……ネクロスが死んだ時の、あの揺らぎに似ている)
リュゼリアが黒翼葬歌を放った瞬間、世界そのものが震えた。
あの時ゼラは、“何かが壊れた”という感覚を確かに覚えていた。
そして今――その“壊れた何か”が、世界に滲み出している。
* * *
翌日、族長たちが慌てて駆け込んできた。
「王よ! 森の魔物が……凶暴化しております!」
「昨日まで大人しかった魔獣が、突然暴れ出したのです!」
「我らが同胞も、突然気性が荒くなり、部族内で諍いが起きております…!」
ゼラは眉をひそめた。
(……これは偶然じゃない)
魔族の魔力は、世界の“理”に強く影響される。
その理を支えていた魔王ネクロスが死んだことで、魔族の本能が暴走し始めている。
(ネクロス……お前の死は、魔族の理そのものを揺るがしたのか)
ゼラは拳を握った。
* * *
その夜。
ゼラは自室で静かに瞑想していた。
だが――部屋の隅の“影”が、勝手に揺れた。
(……?)
影は、ゼラの魔力に反応して動く。
だが今の揺らぎは、ゼラの意思ではない。
影が、まるで“誰かの手”に引かれるように伸びた。
「……ネクロス?」
ゼラが呟いた瞬間、影の中から低い声が響いた。
――異端の王よ……
ゼラの心臓が跳ねた。
(……聞こえた?)
影はすぐに静まり返った。
だが、確かに声がした。
ネクロスの声。
(……これは、呪いか)
ゼラは影を睨みつけた。
(ネクロス……お前は死んだはずだ。だが、“理”は死んでいない……)
* * *
翌朝。
ゼラは国境付近の魔力の揺らぎを調べに向かった。
そこには――黒い霧が渦巻き、地面がひび割れていた。
(……魔力の暴走?)
ゼラが近づくと、霧の中から声がした。
――魔族は争い、奪い、喰らう存在……
――それを否定する者は……世界に拒まれる……
ゼラは歯を食いしばった。
(……ネクロス。お前は死んでもなお、魔族の理を守ろうとしているのか)
霧はゼラの足元に絡みつこうとした。
ゼラは魔力を放ち、霧を吹き飛ばす。
(……俺は負けない。お前の理に従うつもりはない。魔族は変われる。俺が証明する)
だが、霧は消えながらも囁いた。
――ならば、いずれ“世界”が……お前を殺しに来る……
ゼラは拳を握りしめた。
(……これが、ネクロスの呪いか)
ゼラはゆっくりと息を吐いた。
(ネクロスの呪い……それは“魔族の理”そのものの反撃だ。魔族の本能が強まり、魔力が暴走する。世界が“弱肉強食”へ戻ろうとする。)
ネクロスは死の間際に言った。
『……異端の王よ……世界を……見届けよ……』
(……見届けるだけじゃない。俺は、変える。魔族も、人間も、誰もが生きられる世界に)
ゼラは空を見上げた。
アビスフェルドの空は、黒い裂け目を残したまま、静かに揺れていた。
* * *
ネクロスが放った残滓は、大陸中を駆け巡った。
各地で魔物の活動が活発化した。
人々の心が荒み、争いごとが多くなった。
時を同じくして、各国の穀倉地帯を悲劇が襲った。
それは何の前触れもなく表れた。遠くから空気を振るわせる羽音が聞こえたかと思うと、空が、突然暗くなった。
「……日蝕か?」
農夫が空を見上げた瞬間、黒い雲が渦を巻き、地上へ降りてきた。
いや――雲ではない。
蝗だ。
無数の黒い蝗が、空を覆い尽くしていた。
「ひ、ひぃぃぃ!!」
「作物が……全部食われていく!!」
畑は一瞬で丸裸になり、倉庫の穀物は破られ、家畜の血肉さえ喰われた。森の木々さえも喰らい尽くされた。
その中心に、蝗の頭部を持つ魔人が立っていた。
黒い災厄の騎士アバドン。
「飢えよ……人間ども。飢饉こそ、世界の理……!」
* * *
アルシア海洋王国の穀倉地帯。
黄金色の麦畑が広がるこの地は、王国の食糧の半分以上を支える生命線だった。
だが今、その空を覆い尽くす黒い影があった。
――蝗の大群。
空を埋め尽くすほどの数。
その羽音は雷鳴のように地を震わせ、畑を食い荒らしながら進む“災厄”そのものだった。
雷鳴の勇者ライゼンは、その中心に立っていた。
「……来いよ。全部まとめて焼き払ってやる」
彼は両手を掲げ、魔力を集中させる。
空気が震え、雷光が収束し、巨大な雷球が形成された。
雷球はゆっくりと前進する。
蝗たちは本能的にそれを避け、左右に分散した。
(避けた……? いや――)
次の瞬間、雷球を中心に紫電が四方へ奔った。
分散した蝗たちを、逃さず焼き払う。
焼かれた蝗は地面に落ち、水面に落ち、そして――溶けるように黒いシミを作った。
黒いシミは、地面を侵し、水を侵し、毒の沼のように広がっていった。
「……なんだ、これ……?」
ライゼンは息を呑んだ。
焼けば焼くほど、大地と湖が“死んでいく”。
雷で倒すことはできる。
だが倒した瞬間、蝗の死骸が毒となり、土地と水を汚染する。
つまり――倒せば倒すほど、アルシアの穀倉地帯が滅ぶ。
ライゼンは雷球を消し、拳を握った。
「……クソッ……!」
彼は雷鳴の勇者。
今までも雷と召喚術で数多の魔物を討ち倒してきた。
だが――この“蝗”は、倒してはいけない敵だった。
倒せば土地が死ぬ。
倒さなければ食糧が尽きる。
どちらを選んでも、アルシアは滅ぶ。
「……どうすりゃいいんだよ……」
ライゼンは空を見上げた。
蝗の大群は、なおも押し寄せてくる。
雷鳴の勇者は、生まれて初めて“無力”を感じていた。
* * *
アストリア帝国・皇城、蒼天宮の円卓の間に集まったのは、皇帝アウレリウス三世を筆頭に、宰相ヴァルムンド=レグナス、外務卿レシウス=ハルド、内務卿マルティナ=グレイ、財務卿ゴルド=バルネス、大将軍レオニダス=ヴァルク、先の魔王討伐で連合指令を務めた、アンドレイ=バーダッド侯爵。そして聖教皇アウグスト。
会議は紛糾していた。魔物の狂暴化と、新たな魔王出現の予言に対して、聖教皇アウグストが、『第二次聖戦』を求めたのに対して、外務卿、内務卿、財務卿が揃って反対の意見を述べていた。
財務卿ゴルドが震える声で答える。
「国内の収穫は……九割がた失われました。備蓄も三ヶ月と持ちませぬ……」
外務卿レシウスが続ける。
「周辺諸国も同様の被害を受けております。各国は“魔族の仕業”と断定し、帝国に協力を求めております。」
内務卿マルティナが机を叩く。
「前回の遠征の傷が未だ癒えず、軍も国内も疲弊しております。そこへ加えて、この蝗害騒ぎ。食料価格は右肩上がりです。とても外征できるような状況ではありません」
皇帝に一礼して宰相ヴァルムンドが献策する。
「今こそ、大陸統一の悲願を成し遂げる時――その力を以て、”第二次聖戦”を成そうではありませんか。どうだね?大将軍どの?」
「我が帝国軍は、未だ意気軒高。陛下の御裁可あらば、必ずや大陸統一を成し遂げましょう」
宰相の提案に、恭しく答える大将軍レオニダスの瞳が、僅かに紅く光ったことに、誰も気づかない。
次の瞬間――皇帝の背後に、誰にも見えない“赤い影”が立った。
戦争の災厄、バルバロス。
バルバロスは、皇帝の耳元で囁くように語りかけた。
――怒れ、皇帝よ。
――飢えは戦争を呼ぶ。
――戦争は力を示す。
――力こそ、帝国の証。
皇帝の瞳が、ゆっくりと赤く染まっていく。
「……そうだ。魔族を滅ぼし、大陸を統一するのだ……!」
バーダッド侯爵が身を乗り出す。
「陛下……!?」
皇帝は立ち上がり、王笏を高く掲げた。
「アストリア帝国は、大陸の秩序を守るため――魔族領アビスフェルドへの遠征を開始する!」
大将軍レオニダスが膝をつき、恭しく頭を垂れた。




