48:アビスフェルド再び
48:アビスフェルド再び
大陸中を駆け巡り、一大勢力に膨れ上がったゴブリンたちは、北上してアビスフェルドを目指した。
食料も道具も持たない強行軍。全ては現地調達で賄った。
彼らの指導者の意思で、人間族のものには手を出していない。自然と、その場にいる魔獣を含む野生生物を獲物とすることになった。
他氏族、他種族を吸収することで数は増えた反面、強行軍に耐えられずに倒れた者も多かった。離脱者は全て、ゴブリンたちの腹に収まった。
こうして、荒涼たるアビスフェルドの平原にたどり着いた一団――ゲブ軍を待ち受けていたのは、やはりゴブリンの一団であった。
アビスフェルドの厳しい環境で育つゴブリンは、数こそ少ないものの、より精強であった。 グ=ゴン、ザルーヴァ、ズルバド、ヴェルドグの四氏族連合軍。
その四族長の後ろから現れた一匹のゴブリンを見て、ゲブ軍の面々は驚いた。
小柄ながら、精悍な顔つき、そしてスカイブルーの瞳――自らの王、ゲブに瓜二つであった。
両軍が息を呑んで見守る中、両軍の代表者が互いに近づき、握手を交わす。次の瞬間、二匹は混ざり合い、一匹のゴブリンを象る。
「本日、この刻を以て、十七氏族は再び一つとなった! 我はゴブリン王ゲブ。我が旗下に集いし者どもよ。人間を襲い、喰らう、野生の時代は終わった!我らはこの地にゴブリンの王国を打ち建てるのだ――」
* * *
グランツ山岳王国で、ひ弱そうなゴブリンを襲い、その皮を奪い取ったゼラは、吸収したゴブリンから、彼らの言語を学んだ。
初めは一つの群れを内部から崩壊させてやろう程度に考えていた。しかし、自分の命を狙った族長を返り討ちにし、族長の座に収まったゼラは次第にその考えを変えていった。
ゴブリンは確かに、粗野、不潔、狡猾、残忍であった。しかし、彼らは彼らなりの生活があり、その生態も厳しい環境の中で生き延びるために備えられたものであった。
襲われる人間からすれば、確かに害獣ではある。しかし、人間も獣を殺し、喰らうことはある。自分たちが食物連鎖の頂点に立てないからといって、それ即ち悪とするのは、あまりに人間本位ではないだろうか。
そう考えたゼラは、方針を転換し、ゴブリンたちに文化を与えることを思いついた。まずは人間と生活圏を分ける必要がある。大陸中を回り、ゴブリン族と、ついでに近似種である、オルクゥ族を集めた。
強引で、使いつぶす勢いであったことは否めないが、増えすぎた数の調整にもなった。
そして――ついに、ゼラはアビスフェルドの地に“ゴブリン王国”を建てる準備を整えた。
アビスフェルドの平原は荒涼としていた。
草木は少なく、地面は黒い砂と岩で覆われ、昼は灼熱、夜は凍える。
だが、ゼラはこの地を見て、確信した。
(……ここなら、人間と争わずに済む。ここなら、ゴブリンたちの“国”を作れる)
ゲブ軍の面々は、王の言葉を待っていた。
十七氏族の旗が風に揺れ、オルクゥ族の戦士たちも沈黙している。
ゼラは一歩前に出た。
「我らは今日より、この地に“王国”を築く!」
ゴブリンたちがどよめいた。恐らく意味は分かっていないだろう。
その声は、荒野に響き渡った。
「人間を襲う時代は終わった。我らは獣ではない。我らは“民”だ。文化を持ち、言葉を持ち、誇りを持つ――新たなゴブリン族となるのだ!」
その宣言は、ゼラ自身の心にも深く刻まれた。
(……俺はもう、ただのスライムじゃない。ただの魔族でもない。“王”として、この者たちを導くんだ)
だが、アビスフェルドは魔族の大地。
当然、先住の魔族たちが黙っているはずがなかった。
ゲブ軍が平原に陣を敷いて三日目。
黒い霧をまとった魔族の一団が現れた。
先頭に立つのは、魔王ネクロスの配下――“影将軍”ザル=メルド。
「貴様ら……何者だ?この地は魔王陛下の領土。ゴブリン風情が勝手に国を名乗るとは――」
ザル=メルドの声は冷たく、殺意を含んでいた。
だが、ゼラは一歩も引かなかった。
「我らはゴブリン王国の民だ。魔王の支配を受けるつもりはない」
「……ほう?」
ザル=メルドの影が揺れた。
「面白い。ならば――力で証明してみせろ」
その瞬間、影が地面から伸び、ゲブ軍の前衛を飲み込もうとした。
だが――。
「退け」
ゼラの声が響いた。
次の瞬間、ゼラの身体が“消えた”。
虚空修行で得た短距離転移。
ゼラは影の真上に現れ、触手を叩きつけた。
影が裂け、ザル=メルドが後退する。
「……空間転移……?ゴブリンが……いや、貴様は……何者だ?」
「ゴブリン王ゲブ。この地を治める者だ」
ザル=メルドはしばらく沈黙した。
やがて、影が静かに揺れた。
「……よかろう。魔王陛下に報告する。貴様らが“国”を名乗るなら――いずれ、正式に相対することになるだろう」
影将軍は霧のように消えた。
ゲブ軍は息を呑んだ。
(……魔王軍との衝突は避けられない。だが、それでも――俺はこの国を守る)
ゼラはアビスフェルドの平原と地下に、ゴブリンたちの“集落”を作り始めた。
氏族ごとに役割を分け、狩猟と採集の効率化を行った。
文字や料理、合議制とった文化の導入を図った。
算術や道徳といった教育も施した。
オルクゥ族には手を焼いたが、上手く取込み、協力体制を築いた。
粗野で野蛮だったゴブリンたちが、少しずつ“社会”を形成していく。
ゼラは夜、焚き火の前で独りごちた。
(……人間は、ゴブリンを害獣と呼ぶ。でも……彼らはただ、生きているだけだ。人間が獣を殺すように、ゴブリンも生きるために狩るだけだ)
ゼラは空を見上げた。
(……俺は、ゴブリンを“悪”とは思わない。だが、人間と争わせるつもりもない。だからこそ――この地に“国”を作るんだ)
その思想は、ゼラが人間だった頃には持ち得なかったものだった。
* * *
翌朝、ゼラは十七氏族の族長たちを集めた。
「我らは今日より、人間族の領土には決して侵入しない。狩りも、略奪も、襲撃も禁止する」
族長たちはざわめいた。
「だが、食料はどうする?」
「冬はどうやって生き延びる?」
「人間を襲わねば、我らは……!」
ゼラは手を上げ、静かに言った。
「この地を豊かにする。狩りの方法を変え、農耕を学び、魔族の交易路を開く。人間に頼らずとも生きられる“国”を作る」
族長たちは沈黙した。
ゼラは続けた。
「そして――人間族と魔族の“境界”を作る。互いに干渉しない。争わない。それが、俺の目指す世界だ」
その言葉は、族長たちの心に深く刻まれた。
* * *
夜、ゼラは一人で丘に立ち、レーヴェン王国の方向を見つめた。
(……俺は、魔族も人間も、どちらも守りたいんだ)
ゼラは拳を握った。
(……この国を作れば、ゴブリンは人間を襲わなくなる。人間の国も守られる。それが……俺の答えだ)
ゼラは静かに呟いた。
「……必ずやり遂げる。人間も、魔族も……誰もが生きられる世界を」
その決意は、アビスフェルドの夜風に溶けていった。




