43:邂逅
43:邂逅
ゼラは鼻歌を口ずさみながら、山中の道なき道を進んでいた。
その鼻歌は上機嫌ゆえのものではなく、退屈な移動を紛らわせるためのものだ。
不意に鼻歌が止む。
進行方向からこちらへ向かってくる3つの気配を、ゼラの鋭敏な感覚が捉えたのだ。このまま進めば、数分と経たずに鉢合わせになるだろう。
ゼラは全身のばねを使って垂直に跳び上がり、頭上の太い枝に張り付いた。
しばらくして、三人組がゼラの眼下を通り過ぎていく。
腰に剣を帯びた者が二人、身長ほどの杖を携えた者が一人。それぞれ装備はまちまちで、一見すると冒険者の一団に見える。だが、歩幅や歩調の揃い方から、軍隊関係者か、少なくとも軍隊経験者であることが分かった。
三人組は、頭上に張り付くゼラの存在に気づいていないようだ。
このままやり過ごせる――そう胸を撫で下ろした矢先、ゼラの張り付いた枝がミシリと嫌な音を立てた。次の瞬間、折れた枝とともにゼラは地上へと落下した。
突然背後で響いた落下音に三人組は驚きつつも、帯剣していた二人は即座に杖の男を後方へ下がらせ、剣の柄へと手をかける。
「やあ。俺の名前はゼラ。悪いスライムじゃないよ」
努めて明るい声で話しかけてみたものの、三人組の緊張を解くには至らなかった。
「魔物がしゃべった⁉ バルゴっ、カークっ、やるぞ!!」
杖を横に構えた男が前衛の二人に檄を飛ばす。同時に魔素の揺らぎが生じ、男が何らかの魔法を行使しようとしていることが分かった。
バルゴとカークは訓練された剣士らしく、躊躇なく抜剣し斬りかかってくる。
しかし剣がゼラに届くより早く、ゼラは粘体から硬化した触手をウニのように無数に伸ばし、勢いよく飛びかかってきた二人の身体を貫いた。
前衛の二人が一瞬で絶命し、時間稼ぎにもならなかったことに歯噛みしながらも、魔法使いの男は冷静に作戦を切り替える。
当初は大きめの魔法で一気に焼き尽くすつもりだったが、完成が間に合わないと悟り、速射型の魔法へと移行したのだ。
風の刃がゼラの体を切り裂いた。
「むおっ」
ゼラの驚いたような呻き声が漏れた。魔法使いの男はその反応に一瞬だけ安堵した。効いている――そう判断したのだ。しかし次の瞬間、その安堵はあっさりと裏切られることになる。
切り裂かれたはずのゼラの体表が、まるで水面が波紋を収束させるようにゆっくりと閉じていく。裂け目はみるみるうちに塞がり、元の滑らかな粘体へと戻ってしまった。
「……嘘だろ」
男の喉が乾いた音を立てた。速射型の魔法は確かに命中した。だが、致命傷どころか傷跡すら残っていない。魔法使いとしての経験が告げていた。
――これは、相性が悪すぎる。
ゼラは自分の体を軽く揺らし、切られた部分を確かめるように触手を伸ばした。
「いやぁ、びっくりした。痛くはないけど、あんまり気持ちのいいもんじゃないな、これ」
軽口を叩くゼラの声音に、男の背筋が冷たくなる。
逃げるべきか。戦うべきか。判断は一瞬で迫られた。
ゼラはゆっくりと男の方へ向き直った。
その動きに敵意は感じられない。だが、さきほど二人を瞬殺した触手が、ゼラの背後でゆらりと揺れているのが見えた。
男は杖を握り直し、最後の選択をした。
「……来るな!」
叫びと同時に、男の足元から魔素が爆ぜた。
瞬間移動――ではない。だが、爆風を利用して後方へ大きく跳び退く、緊急回避の術式だ。
ゼラはその場で立ち止まり、逃げる男を追うでもなく、ただぽつりと呟いた。
「……あーあ。やっぱり、こうなるよなぁ」
* * *
魔法使いの男は、脇目も振らず必死に駆けた。
息は荒く、汗が滲むどころか噴き出している。首筋にひやりとした感触が走った。
反射的に振り向く。
スライム――ゼラは追ってくるでもなく、先ほどの位置にただ佇んでいた。
その瞬間、男は自分の身体に異変を覚えた。
首から下の感覚が、すっと消える。
「……え?」
足がもつれ、男は前のめりに倒れ込んだ。
ゼラは大きく伸ばした触手の先端を、逃げる男の首元に張り付けていた。
触手から分泌された麻痺毒は、男の肌から瞬く間に吸収され、確実に効果を発揮していた。
ゼラはゆっくりと魔法使いの男へ近づくと、細い触手を男の耳孔へと滑り込ませ、脳の表層を探った。
粘体が神経をなぞるたび、断片的な記憶がゼラの中へ流れ込んでくる。
「やあ、ミルカ。やっぱり帝国の軍人だったか。さて――ここへは何をしに来たのかな? ふーん」
ゼラの独り言めいた声に、ミルカの瞳がかすかに揺れた。
触手を通して読み取った情報が、ゼラの中でひとつの像を結ぶ。
「……なるほどね。飛行船が墜ちた、と」
ゼラは触手を引き抜き、ぬるりとした音を立てて後ずさった。
墜落した飛行船には、帝国の“とても重要な人物”が乗っていたらしい。
名前は暗号化されており、ミルカ自身も知らされていない。
だが、護衛の規模や任務の厳重さから、相当な地位の者であることは明白だった。
そして――ミルカたち三人組は、その人物の“生死確認”を名目に送り込まれた暗殺部隊だった。
「生きてたら殺す。死んでたら証拠を持ち帰る。……ずいぶん物騒な任務だな」
ゼラは倒れ伏すミルカを見下ろしながら、軽く肩をすくめた。
記憶の断片によれば、どうやら帝国の内部では、派閥争いが激化しているらしい。
「で、あんたらは“確認”と称して、見つけ次第とどめを刺すつもりだったわけだ」
ゼラは空を仰ぎ、木々の隙間から覗く薄曇りの空を眺めた。
墜落した人物が誰であれ、帝国の中枢に関わる存在であることは間違いない。
生きていれば争いの火種になり、死んでいれば別の混乱が起きる。
「……面倒ごとの匂いしかしないな」
ゼラは小さく息を吐いた。
「まぁいい。墜落現場、ちょっと見に行ってみるか」
* * *
焦げた金属の匂いが濃くなり、ゼラは木々の間を抜けた。
そこだけ森が抉り取られたように開け、折れた巨木が何本も転がっている。地面には深い溝が刻まれ、飛行船が滑走した跡が生々しく残っていた。
残骸は横倒しになり、船体は中央から裂け、骨組みがむき出しになっている。魔導機関は完全に焼け落ち、青白い火花が時折ぱちりと弾けていた。
そして――その周囲には、護衛の騎士や従者たちの死体が散乱していた。
鎧の継ぎ目から黒く焦げた肉が覗き、剣を握ったまま倒れている者もいる。
従者らしき者は、主を庇うように覆いかぶさった姿勢のまま息絶えていた。
血の匂いはすでに乾き、死の静寂だけが漂っている。
「……ひどい有様だな」
ゼラは残骸の陰を回り込み、さらに奥へと進んだ。
そこで、ひときわ大きな血溜まりが目に入った。
その中心に、一人の男が倒れていた。
男は凄惨な墜落現場に似合わず美しい姿であった。腹部の致命傷を除いては。
だが、まだ息がある。かすかに胸が上下していた。
ゼラが近づくと、男の瞼が震え、ゆっくりと開いた。
濁りながらも強い意志を宿した瞳が、ゼラを捉える。
「……魔物、か」
男は血を吐きながら、かすれた声で続けた。
「死体を……食らいに来たか。魔物が人間の言葉を理解するとは思えんが……」
ゼラは無言で男を見下ろした。
男は薄く笑い、最後の力を振り絞るように言葉を紡ぐ。
「私の痕跡を……残らぬように……食らうのだぞ」
その声音には、恐怖よりも、むしろ強い拒絶があった。
――自分の死が、誰かに知られることを嫌がっている。
ゼラは眉をひそめた。
「……あんた、何者だ?」
男は答えない。
答える力が、もう残っていないのかもしれない。
ただ、ゼラの触手が届く距離に、弱々しく手を伸ばした。
「……仕方ないな」
ゼラは静かに触手を伸ばし、男の身体へと絡めた。
粘体が肉を包み込み、ゆっくりと吸収していく。
人間を取り込むのは、ゼラにとって特別な行為ではない。
だが――今回は違った。
吸収が進むにつれ、ゼラの中に“違和感”が流れ込んできた。
「……ん?」
記憶。
感情。
そして――“形の変わる肉体”。
ゼラは思わず動きを止めた。
「こいつ……人間じゃない?」
いや、正確には“人間ではない部分がある”。
男の肉体の奥底に、別の魔物の気配が潜んでいた。
それは、ゼラも知っている種族――ドッペルゲンガー。
人間に化ける魔物。
姿形だけでなく、声も癖も、時には記憶すら模倣する。
「なるほど……影武者ってわけか」
ゼラは吸収を再開した。
男の肉体は完全にゼラの中へ溶け、最後に残ったのは、微かに揺らめく“人の姿の情報”だった。
そのとき、森の奥から複数の気配が近づいてくるのを感じた。
重い鎧の擦れる音。
規律の取れた足音。
魔素の揺らぎ。
ゼラは残骸と死体の散らばる空間を一瞥し、肩をすくめた。
「さて……俺はそろそろ退散するとするか」
触手を引き、粘体の身体を低く構える。
森の影へと溶け込むように、ゼラは静かにその場を離れた。
背後では、追手たちの気配が確実に近づいてきている。
だが、ゼラの姿はすでに森の奥へと消えていた。




