41:グランツ山岳王国
41:グランツ山岳王国
廃鉱を出た時、シエラの足は震えていた。
ゼロスが消えた後の静寂が、逆に耳を刺す。
盗賊団は全滅。
『黄金の炎』も全滅。
生き残ったのは――自分だけ。
ゼロスが守ったからだ。
だが、その事実を直視するには、心が追いつかなかった。
(……ゼロス……)
名前を思い浮かべるだけで、胸が締め付けられる。
恐怖と、安堵と、混乱と、後悔がぐちゃぐちゃに混ざっていた。
* * *
ガンテのギルドに戻ると、すぐに事情聴取が始まった。
「盗賊団は全滅……? 本当か?」
「『黄金の炎』が……全員死んだ?」
「ゼロスはどこだ? なぜ一人だけ行方不明なんだ?」
シエラは震える声で答えた。
「……戦闘中に……ゼロスは……巻き込まれて……」
嘘ではない。
だが真実でもない。
ギルド職員は眉をひそめた。
「盗賊団を壊滅させたのは誰だ? 君一人でできるはずがない」
「……わかりません。気づいたら……全部終わっていて……」
シエラは視線を落とした。
ゼロスの正体を言うことはできなかった。
(あれを言ったら……ゼロスは“討伐対象”になる)
それだけは絶対に嫌だった。
* * *
宿に戻っても、シエラは眠れなかった。
ベッドに横になっても、瞼を閉じても、ゼロスの姿が脳裏に浮かぶ。
巨大熊の時の、あの頼もしさ。
オルクゥ退治の時の、あの優しい声。
自分の動きに合わせてくれた、あの不思議な感覚。
そして――廃鉱で見た、あの“本性”。
(……怖かった。でも……それだけじゃない)
胸の奥が痛む。
ゼロスは自分だけを避けた。
自分だけを守った。
最後に、自分にだけ優しい言葉を残した。
「君と過ごした日々は、本当に素晴らしかった。ありがとう、シエラ」
その言葉が、何度も何度も頭の中で反芻される。
「……なんでよ……」
シエラは枕を握りしめた。
「なんで……あんなの見せられて……なんで……あんな言葉、残すのよ……」
涙が滲む。
(私は……ゼロスを……)
言葉にできない感情が胸を締め付ける。
* * *
ギルドに向かう途中、シエラは足を止めた。
ゼロスが歩いていた道。
ゼロスが笑った場所。
ゼロスが自分の名前を呼んだ声。
全部が胸に刺さる。
(……ゼロスは、どこに行ったの?私はゼロスをどうしたいの?)
恐怖はまだ消えていない。
だが、それ以上に――
(……無事でいて……)
その願いが、心の奥で静かに灯っていた。
* * *
ルミナス連邦とグランツ山岳王国との国境――といえども、砦で隔てるでもなく、街道筋に税を徴収するための関所が設けられているだけだが――一頭の野良犬が、うろついていた。
「しっしっ。あっちへ行け」
関所を守る兵士は、野良犬を追い立てた。ルミナス領から現れた野良犬は、関所を大きく迂回し、グランツ領へと走り去って行った。
ゼラは、黄金竜王ゼルギウスに面会するため、グランツ王国を訪れた。かの竜は、古代より永きを生き、多くの知恵を蓄えている。魔族と人間族を宥和する方法を知っている可能性があった。また、ゼルギウスが何故、人間族の味方をするのかについても、聞いてみたかった。
(ゼルギウスって、どこで会えるんだ?……しかし、四足歩行って難しいな……)
ローレンの街に入ると、地面を嗅いでまわる。もちろんゼラは犬ではないので、何の情報も得られないが、怪しまれない為の偽装であった。
街の人たちの会話を盗み聞きするが、ゼルギウスの居場所についての手掛かりは、手に入らなかった。
あてもなく街をうろついていると、人混みの中に、見覚えのある顔を見つけた。ゼラが映像越しに見た顔より、髭を伸ばし、老け込んだ印象ではあるが、黒鉄の勇者ラグナであった。
勇者であれば、竜王と会うかも知れない。ゼロは、ラグナの後をつけた。
ラグナは、その巨体に似合わず、人混みをスルスルと縫って進んでいく。ゼラは見失わないように必死であった。
大通りを曲がって、裏路地に入ったところで、ラグナを見失う。しまったと思ったところで、首根っこを掴まれ、宙吊りにされた。
ゼラは身を捩って暴れるが、ラグナの隻腕から逃れる事ができない。
首根っこを掴まれ、ゼラは宙に浮いたまま必死にもがいた。
犬の姿ではあるが、ラグナの握力は岩を砕くほど強い。
逃れようとしても、まるで鉄の鉤爪に捕まれたようにびくともしない。
「魔物くせぇ匂いだな。……それでも犬のつもりか?」
ラグナはゼラの鼻先に自分の顔を近づけ、ギロリと睨みつけた。
その眼光は、かつて勇者と呼ばれた男のもの。
引退したとは聞いたが、獣のような鋭さを失っていない。
(……バレてる!?)
ゼラの心臓が跳ねた。
皮衣の術は完璧なはずだ。
だが、ラグナの嗅覚と勘は、常人のそれではなかった。
「まあいい。お前みたいな妙な奴は――“あいつ”に見せるのが一番だ」
ラグナはゼラを片手でぶら下げたまま、裏路地をずんずん歩き出した。
「グッ……!」
「おやあ?この犬は喋るのか?怪しい犬だな!」
ゼラは慌てて口を閉じた。
* * *
街を抜け、険しい山道へ入る。
ラグナは片腕でゼラをぶら下げたまま、まるで散歩でもしているかのように軽々と登っていく。
「お前、何者だ? 魔物か? それとも……誰かに使役されているのか?」
ゼラは答えられない。
答えれば殺されるかもしれない。
だが、沈黙もまた怪しい。
「……俺は、ただの魔族です」
「犬の姿で何してる?」
「……事情がありまして」
ラグナは鼻で笑った。
「まあいい。俺は嘘を見抜くのは得意じゃねぇが、“悪意があるかどうか”は分かる。お前からは……妙な匂いしかしねぇが、悪意は感じねぇ」
(……助かった?)
ゼラは胸を撫で下ろした。
「だが、判断するのは俺じゃねぇ。この山の主――“黄金竜王ゼルギウス”だ」
ゼラの心臓が跳ねた。
(……ついに……!)
* * *
山の中腹に差し掛かった時、空気が急に重くなった。
風が止まり、鳥の声が消え、世界が静寂に包まれる。
ラグナが足を止めた。
「来たな……」
次の瞬間――空が黄金色に染まった。
巨大な影が山の上空を覆い、翼が風を巻き起こす。
黄金竜王ゼルギウス。
その姿は、まさに神話の存在だった。
「ラグナよ。また妙なものを連れてきたな」
雷鳴のような声が響く。
ラグナはゼラを地面に放り投げた。
「こいつ、犬の皮を被ってるが……中身は“魔族”だ。本性をお前の目で見てやってくれ」
ゼルギウスはゼラをじっと見つめた。
その瞳は、すべてを見透かすような深さを持っていた。
「……偽りの姿だが――悪意はない。むしろ、迷いと痛みの匂いがする」
ゼラは息を呑んだ。
(……見抜かれた……!)
ゼルギウスはゆっくりと首を下げ、ゼラと同じ高さに視線を合わせた。
「名を名乗れ。偽りの皮の下にいる者よ」
ゼラは震える声で答えた。
「……ゼラ。俺は……魔族です。でも……人間と争いたくない。あなたに……聞きたいことがある」
ゼルギウスの瞳が、優しく細められた。
「よかろう。ならば、我が巣へ来るがいい。話すべきことは多い」
ラグナがにやりと笑った。
「ほら行け。竜王が呼んでるんだ。光栄に思えよ、犬っコロ」
ゼラは立ち上がり、黄金竜王の後を歩き始めた。




