29:慟哭
29:慟哭
サルヴァンが城に戻った時、幹部の誰もがその姿に息を呑んだ。
「御屋形様……!」
グラズが駆け寄ろうとするが、サルヴァンは手を上げて制した。
「……大丈夫。少し……疲れただけだよ」
その声は、いつもの柔らかさを保っていたが、かすかに震えていた。
「すまないが、玉座まで連れて行ってくれないか……」
リュゼリアがサルヴァンを優しく抱き上げ、そっと玉座に座らせる。
「皆、ご苦労だった。この場に全員揃っていないのは残念だけど、皆のこと、誇りに思うよ」
現在、城に戻ってきているのは、グラズ、バル=サンガ、ダリオン、リュゼリアの4人だけだった。
サルヴァンは掠れた声で、幹部たちを労った。
「この体たらくは僕の弱さが原因だ。でも魔族軍の強さは十二分に人間族に知らしめたと思う。今後については魔族国家の樹立を宣言し、人間族国家と対等な国交を確立する……そのためにバル=サンガ、君が僕の代理となってくれ。リュゼリアとゼラを相談役として交渉にあたって欲しい。グラズ、ダリオン、僕はしばらく眠りにつく。その間、僕の体を守ってくれ。くれぐれも僕が眠りに付いたことは秘密にするんだ……いいね」
サルヴァンは目を閉じた。
「……少し、眠るよ。みんな……頼んだ」
その言葉を最後に、サルヴァンの身体は黒い繭に包まれ、深い眠りへと落ちていった。
それは、魔王が“再生”のために行う、長い長い眠り。
幹部は誰も声を出さなかった。
ただ、静かに頭を垂れた。
サルヴァンの眠りは、アビスフェルドにとっての“夜”の始まりだった。
* * *
「御屋形様のお言葉は聞いたな?某は、御屋形様の御身体をお守り申す。バル=サンガよ、この玉座の間ごと地中に沈める事は可能か?」
バル=サンガは無言で頷く。
「ダリオン、某が御屋形様と共に地中で、来る日を待つ故、そなたはこの城を守ってくれ」
ダリオンは腰の剣を鳴らして、承諾の意を表した。
「でも……サルヴァン様は何故、勇者ごときにやられたんだ?」
リュゼリアが疑問を口にする。
「不敬なるぞ!」
グラズが一喝するが、そこへバル=サンガが口を挟む。
「確かに。敗因を知ることは今後の対策にもなる」
グラズの反論が無いとみると、バル=サンガは円卓の間の水晶球を操作した。
戦場の様子を監視できる、単眼の鴉が見た映像は、水晶球に記録されている。
そこへ報せを聞いて、急ぎ戻ってきたガルド、ヒミカ、ゼラが合流する。
映像はちょうど、神官ビルゲンが祝詞を唱える場面だった。
『聖なる神よ。かの敵の真名を捧げる。その名は"こーちん"。御敵を封じ賜え』
映像の中のサルヴァンが硬直する。
「これか。しかし、”こーちん”とは何だ?」
ガルドが誰ともなしに問いかける。幹部たちもヒミカも顔を見合わせるばかりだった。
そんな中、びくっとゼラが明らかに動揺する。
「お前、なんか知ってんのか?」
「な、なんで……そのあだ名を……俺は誰にも言ってない!」
ガルドの詰問に、粗い息をつきながらゼラが答えた。
「詳しく話せ」
グラズの底冷えする声。
「サルヴァン様と俺は”異界渡り”だ。この世界に来るまでは別の名前で友達同士だった――ソレはその時に、親しい友を気安く呼ぶための呼び名だった……」
ゼラがつかえる声を振り絞って答える。
「幾ら魔術を究めようとも、異界の情報を手に入れる事は出来ん。この世界で手に入れられる情報は、この世界での出来事に限られるはず」
バル=サンガが説明する。
「そう言えば、あの時……」
ゼラは思い出していた。自分がこの世界に来た日、サルヴァンに助けられ、目を覚ましたその時に、彼の名を呼び、前世の名は”真名”だから口にしてはいけないと言われた時の事を。
ゼラは泣きながら、その時の事を説明した。
「貴様っ!」
リュゼリアが激高して、ゼラに掴みかかろうとするのを、ヒミカが間に割って入る。
ガルドは腕組みをしたまま、空中を睨みつけている。
「御屋形様の御言葉なれど……こうなってはゼラ、お前を魔王軍に置いておくわけにはいかん」
グラズが絞り出すように言った。
グラズの言葉が落ちた瞬間、玉座の間の空気が、氷のように冷たくなった。
ゼラは唇を震わせながら、必死に言葉を探す。
「ま、待ってくれ……!俺は……サルヴァン様を裏切るつもりなんて……!」
「裏切るつもりがあったかどうかなど、どうでもよい」
グラズが静かに言った。
その声は、沼の底から響くように冷たく、重い。
「事実として、お前の“声”が、サルヴァン様を封じる術式に組み込まれたのだ」
「……っ!」
ゼラは言葉を失う。
ガルドがゼラの胸倉を掴み、乱暴に引き寄せた。
「お前の言葉一つで、サルヴァン様が動きを止められたんだぞ!ふざけんなよ……!」
「ガルド殿、落ち着け」
ヒミカが制したが、その声にもいつもの柔らかさはなかった。
「ゼラ殿。お前が悪意を持ってやったとは思わぬ。だが――魔王軍は“結果”で動く」
ゼラは震える声で言った。
「俺は……サルヴァン様のために戦ってきたんだ……!あの日、助けてくれたから……!俺は……恩返しがしたかっただけで……!」
「恩返し、だと?」
リュゼリアが冷笑した。
「その恩を、真名を漏らすことで返したわけだな?」
「違う! 違うんだ……!俺は……ただ……!」
「ただ、何だ?」
グラズの声は、刃のように鋭かった。
「ただ、軽率だっただけか?ただ、無知だっただけか?ただ、勇者の術に利用されただけか?」
ゼラは体を震わせ、俯いた。
「……ごめん……」
その言葉は、あまりにも小さかった。
ヒミカが静かに告げる。
「ゼラ殿。お前は優しい。だが、その優しさは戦場では毒だ」
バル=サンガが一歩前に出た。
「サルヴァン様が眠りについた今、我らはお前を庇う余裕がない。今日をもって――お前を魔王軍から除名する」
「……っ!」
ゼラの肩が震えた。
ガルドがゼラを突き飛ばす。
「出ていけ。お前を引き裂く事を我慢できる自信がねぇ」
ゼラはよろめきながらも立ち上がる。
「俺は……サルヴァン様のために……!」
「そのサルヴァン様を危険に晒したのは、お前だ」
リュゼリアの言葉は、容赦がなかった。
「……出ていけ。次にここへ足を踏み入れたら、殺す」
ゼラは唇を噛み、拳を握りしめた。
「……わかったよ」
その声は震えていたが、涙は見せなかった。
ゼラはゆっくりと玉座の間を出ていく。
扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。
その背中を、誰も追わなかった。




