26:大地と蟲
26:大地と蟲
「ヴェ、ヴェルゼさん……」
魔王城、円卓の間で映像を見るゼラは呻いた。
この城の主であるサルヴァンは、酷薄な笑みを浮かべている。
「まあ、アイツは殺しても死ぬ様なタマじゃないからね」
ヴェルゼの死を目の当たりにしたゼラには、どういう意味か分からなかった。
* * *
マルスとヴェルゼが死闘を繰り広げる横で、もう一つの戦いが静かに始まろうとしていた。
黒鉄の勇者ラグナは、ウェーブのかかった長髪を褐色の肌に流れるがままにしている。砂色の革鎧、同色の手甲で身を包み、両刃の大斧を背中にくくり付け、蟲将軍グラズと相対していた。昆虫族特有の複眼は、視線が読めず、硬い甲殻に覆われた体は、呼吸による微細な動きが表に出ない。
(やりにくい相手だ……)
グラズは気負うことなく、静かにこちらを眺めている。
(考えていても、始まらんか……)
ラグナは素早く左拳を突き出す。グラズは、その場から動くことなく、首を捻って軽く躱わす。
グラズが体の軸をずらした瞬間、ラグナの右拳が、グラズの腹を打ち抜いた。
岩をも穿つラグナの拳を受けても、グラズはなんの痛痒も感じていないようだ。
「つまらん。様子見は不要だ。背中の得物を使うがよい」
グラズの呼びかけに、ラグナは素直に、背中に背負った斧を手に構えた。
グラズも応える様に、月崩牙を構える。
二人は示し合わせた様に、同時に動き、互いの得物をぶつけ合った。金属同士を打ち合わせたとは思えない、まるで空気が爆発したかの様な音が響き渡る。
武器を持つラグナの腕が痺れる。
続けて、二度三度とぶつけ合う。ラグナは己の武器を落とさない様に、必死に握り込んだ。
「人間にしては、やるな」
グラズが月崩牙を振るう速度を上げる。
ラグナもそれに応えて、速度を上げるが、次第についていけなくなってきた。
ついに対応が出来なくなり、グラズの刃がラグナの体を捉えようとした時、
「金剛身!」
ラグナの肉体が、勇者の異能により、鋼鉄よりも硬くなった。
しかし構わずグラズは月崩牙を振りぬき、ラグナの左腕が切り飛ばされる。
ラグナはお返しとばかりに、残った右腕一本で大斧を振るい、グラズに叩きつけた。
グラズの強固な甲殻が砕け、体液が飛び散る。
「その調子だ。人間」
グラズは心底、楽しそうに月崩牙で切りかかる。
「黒鉄武装 壱式!」
ラグナの金属を操る能力で、月崩牙の動きを鈍らせ、グラズの斬撃を回避する。
再びラグナは大斧を振るうが、迎え撃つ月崩牙と打ち合った瞬間、大斧は砕け散った。
「……! 黒鉄武装 零式!」
砕けた破片すべてが黒鉄の霧となり、ラグナの全身を覆う。次の瞬間、ラグナは黒鉄の巨人と化していた。切断された左腕も補完されている。
「うおおおおお!」
ラグナの拳が嵐のごとく、グラズを襲う。グラズは月崩牙の刃で、石突で迎え撃った。互いに回避も防御も捨てた乱打戦の様相を呈する。
我慢比べを制したのはグラズであった。黒鉄巨人化も解け、荒い息をつきながらラグナはその場に倒れた。
「よく頑張ったが、さらばだ。人間」
止めを刺そうとしたその時、グラズが、その場を飛び退いた。
地面に突如現れた大きな口が、グラズのいた空間を飲み込む。
「おやおや。まだ元気があるようだな。蟲将軍」
「ネクロス!」
白い瞳孔のない両目が、グラズを捉える。
「約定を違える気か!」
グラズが怒気を放つ。
「我らは魔族。いつまで”人間ごっこ”を続ける気だ?強き者が生き残る。それが全てではないか」
ネクロスの影が刃となって、地面を裂きながらグラズへ迫る。
「影穿ち《シャドウ・ピアス》」
黒い槍が三本、音もなくグラズの胸を貫かんと迫る。
だが――
「遅い」
グラズの複眼がわずかに光り、その場から“消えた”。
次の瞬間、影の槍は空を裂き、グラズはネクロスの背後に立っていた。
「……ほう」
ネクロスが振り返るより早く、月崩牙が横薙ぎに閃く。
影が盾となって受け止めるが、甲殻の武人の一撃は影を裂き、ネクロスの頬に細い傷を刻んだ。
白い瞳がわずかに揺れる。
「魔王たる私に、傷をつけるか」
「御屋形様の約定を破る者に容赦はせぬ」
グラズの声は低く、静か。
だがその背から立ち上る殺気は、魔王軍の将としての誇りそのものだった。
ネクロスは笑う。
「ふん。サルヴァンの犬め。だが――悪くない」
影が渦を巻き、ネクロスの足元から巨大な影の顎が生まれる。
「喰らえ、《アビス・デヴォウア》」
地面そのものが口となり、グラズを丸呑みにしようと迫る。
だが――
「見切った」
グラズは月崩牙を地面に突き立て、甲殻の脚で跳躍。
影の顎が閉じる瞬間、その上を踏み台にしてさらに跳ぶ。
空中で体を捻り、月崩牙を逆手に構える。
「――穿て」
落下と同時に放たれた一撃が、影の顎を真っ二つに裂いた。
影が霧散し、ネクロスの影の衣が揺らぐ。
「……やるな、蟲将軍」
ネクロスは影を再構築しながら、わずかに距離を取る。
グラズは静かに着地し、月崩牙を構え直した。
「ネクロス。貴様は――我が刃で止める」
「止める、か。面白い。お前を仕留める絶好の機会だったが……まあいい。またの機会にしようじゃないか」
ネクロスは影を収束させ、白い瞳でグラズを見据える。
「サルヴァンの“理想”が崩れる時、私は動く。今はまだ、その時ではない」
影が塔のように立ち上がり、ネクロスの姿を包み込む。
「蟲将軍。今日のところは退くとしよう」
影が霧散し、ネクロスの気配が完全に消えた。
残されたのは、切り裂かれた地面と、静かに月崩牙を収めるグラズだけ。
「……ふん。逃げたか、影の王」
グラズは周囲を見渡す。
その時――遠くで砂煙が上がった。
ラグナが、黒鉄の霧を散らしながら、必死に戦場を離れていく姿が見えた。
(……逃げたか。よい判断だ、人間)
グラズは追わない。
追う必要もない。
彼の使命は、“御屋形様からの命令を守ること”。
それだけだ。
グラズは月崩牙を背に収め、静かに戦場を後にした。




