第二百十九話 大いなる歴史の転換点は日々の些細なやり取りの中にも
シャロークとの会談の話を取り付けたミーアは、そのままの足でレムノ王国の展示会場へと向かった。
先に報せを走らせておいたため、すぐにクラリッサが出迎えに出てきた。
「ミーア姫殿下、ご機嫌麗しゅう」
心なしか、初めて会った時より堂々とした態度で、クラリッサは頭を下げた。
パライナ祭の準備をする過程で、色々と自信がついてきたのかもしれない。これならば、少なくともダサエフ宰相を前に、委縮することもないだろう。思い切り過ぎて、木剣を持ち込んだりしないかだけが不安なところではあるが……。それはさておき。
「ああ、クラリッサおね……、姫殿下、ご機嫌麗しゅう。突然のことで申し訳ありません」
「いえ、お心遣い感謝いたします」
それから、クラリッサはチラリと自身に付き従う、レムノ王国の従者たちに視線をやってから、
「それで、シャローク殿は、こちらにいらっしゃるのですか?」
わずかばかり、声をひそめる。
「ええ……そう」
ミーアもまた、レムノ王国の文官たちのほうを気にしつつ……。
「レムノ王国の展示会場に興味をお持ちのようですわ。あの方もミラナダ出身ですし、近くのレムノ王国のことは気になるのではないかしら?」
さすがに、女学校の資金面を整えるため、などとは言えない。レムノ国王がクラリッサを警戒して、従者に見張らせているとは思わないが、それでも警戒は必要である。
蛇がレムノ王国を引っ掻き回そうとしている可能性は十分にあるのだ。
――ルードヴィッヒが一掃してくれた帝国内とは違って、レムノ王国にはまだまだ潜んでいそうですし……。
ということで、迂闊なことを言わないように気を付けつつ、
「それに、わたくしも興味がございますし、彼が来るまでレムノ王国の展示会場の見学をさせていただきたいですわ」
それから、隣に立つアベルに視線を向けて……。
「アベルの育った国のことをもっと知りたいですし」
「そう改めて言われると、少し気恥ずかしいな……」
ちょっぴり照れくさそうに頬をかくアベルに、不覚にも、少しばかりときめいてしまうミーアであった。
そう、ミーアにとって今はあくまでもお祭りデートの最中なのだ。クラリッサの目の前だから自重しているが、さっきまで手を繋いだりなんかしちゃっていたのだ!
そうして、大胆なスキンシップを取ることで、大人のお姉さん(笑)ミーアは、ついに大人のお姉さん(真)ミーアに進化しようとしていたのだ!
…………そうだろうか?
若干の疑義を生じつつも、ミーアは展示会場の中にずんずん歩み入る。
刹那、心地よい香りがミーアの鼻に届いた。
「あら……この香りは……」
鼻をヒクヒクさせつつ、向かった先には大きな鍋があった。
「ああ、レムノキャベツの肉包み煮込みだね。レムノ王国の伝統料理だよ。懐かしいな」
アベルが穏やかな笑みを浮かべる。
「本当は、お料理のことなどではなく、もっといろいろと……有益な情報を共有できれば良かったのですけど……」
一方で、クラリッサは残念そうにつぶやいた。
恐らく、レムノ王国内において、料理の知識というのは取るに足りない、惜しくもない知識という扱いなのだろう。もしかしたら、国王や国の高官たちから、伝統料理の情報でも出してお茶を濁せ、とでも言われたのかもしれない。が……さにあらず……。
ミーアは料理の知識を価値の低いものとは思わない。
なにしろ、食文化はその国の国民性をよく表すものだ。何を食べているかで人柄も大体わかるものだし、文化レベルも大体察しが付くもの。
それに、外交的な繋がりなども、そこから洞察することが……。
――ふふふ、どの展示会場に行っても美味しい物があるのは素晴らしいですわ! 美味しいお料理がたくさん知れて、非常に満腹……ではなく、満足ですわ!
まぁ…………そういうことである。
「ところで、伝統料理ということは、もしや、アベルもこれを食べておりましたの?」
「そうだね。よく母上が作ってくれた。クラリッサ姉さまも……それに、昔は、ヴァレンティナ姉さまもね……」
「まぁ、そうなんですのね。とすると、レムノ王家の家庭の味でもありますのね」
ミーアは、静かにその鍋に目を落とす。落として……ふと思った。
――こういうのって、わたくしも作れたほうがいいんじゃないかしら? 以前読んだ恋愛小説にもそういうの、ございましたし……。
ふと、ロクでもないことを、思い始めていた!
――わたくしもだいぶ料理に慣れて来ておりますわ。さすがに料理長並というのはおこがましいですけど、それなりにはスキルもついてきているはずですわ。
などと、おこがましいことも考えていた!
――レシピさえいただければいけるはずですわ……。
レシピ通りに作りさえすれば、あるいは、いけたのかもしれないが……。
――独自の改善を加えて、より高みを目指すことだってできるはず……。やはり、ここはレムノ王国由来のキノコを足すとか……。
ミーアのあくなき向上心が、アベルに襲い掛かろうとしていた!
最近、ベルが読むのをサボっているルードヴィッヒ日記に、アベルが食中毒で暗殺された記事と、ミーアに下手な料理アレンジをさせるな! の警告文が、にょきにょきにょっき! と生え出そうとしていた、まさにその時だった!
「では、機会があれば一緒に作りませんか?」
弟の危機を察した! ……のかどうかは、定かでないが、クラリッサが声をかけてきた。
「これから、色々と……レムノ王国にいらしていただく機会も増えるかと思いますし……」
「ああ、そうだな。ミーアが王家の味を気に入ってくれたら、とても嬉しいな……」
アベルが、優しい笑みを浮かべる。
「まぁ、アベル……!」
ミーア、思わずキュンとする! そうして、ミーアの中、至上目標が「より美味しい伝統料理」ではなく「アベルの思い出の中にある伝統料理=レシピに可能な限り忠実に!」と書き換わった!
それはまさに、一つの奇跡。
大いなる歴史の転換点……だったのかもしれない。
こうして世界は、人知れず、さまざまな綱渡りを経て、連綿と続いていくのであった。




