第二百十五話 聖女ラフィーナのカニ初体験!
「ゆえに、わたくしはこう考えますわ。災害を前に神を呪うことしかできないことは、我ら統治者にとっては怠慢であり、責任放棄である、と。災害を前にしてなお平常を守り、民の心を安んじることこそが我らの責務である、と」
静かに、力強く、ミーアの言葉が響いた。
その言葉は、王侯貴族の高慢を咎め、責任の重さを説くもの。
ラフィーナとしては、心の底から同意できるものだった。
ふと隣を見ると、レアもリオネルも、うん、うん、っと頷いている。
でも……。
「これからわたくしたちが食すのは、その研究の成果ですわ」
そんな言葉と共に、ミーアが指し示した先、ぐつぐつと煮え立つ鍋が見えて、ラフィーナの顔が若干引きつる。
さらに、
「これはアシタカガニって言ってー、海底に生息してますー。今日はー、鍋料理にして食べていただこうと思ってますー」
オウラニアが朗らかな顔で説明する。ごくり、っと生唾を呑み込んで見つめていると、それに先んじて、ミーアの前にお皿が置かれた。
何気なくそちらに目を向けて……瞬間、ひっ、と思わず息がこぼれる。
――あっ、あれはアシタカガニ……の足? あれを、食べる……の? ど、どうやって……?
ぐるぐる混乱する頭で、懸命に考える。
どうやって食べるのか……そして、もしも、次に自分のもとに運ばれてきたら食べられるだろうか、と。
――いいえ、そうではない、わね……。
小さくつぶやき、悲痛な覚悟を決める。
そう、できるか、できないか、ではない。やるのだ! やるしかないのだ!
基本的なことではあるが……ラフィーナは聖女である。
善なることのためならば、命だって惜しまないのだ!
先ほどミーアは言った。
「何が食べられるのか、知識の共有はとても大切なことだ」と。ラフィーナも同意である。
見た目に囚われて、食べることをせず、捨ててしまう。そのせいで、飢え死にする者が出るかもしれない。あるいは、食べられぬ毒を食べて死んでしまうかもしれない。偏見に囚われず、食べられることをみなに見せ、示すことは、間違いなく善なる行いだ。
そうして、覚悟を決めるラフィーナの目の前で、ミーアは躊躇いなくアシタカガニの足を食べ始めた。まるで自らの言葉の正しさを証明するかのように、むしゃむしゃ食べていた!
あのこわぁい赤い巨大蜘蛛の足を、すんごーく美味しそうに食べてた!
それはもう、美味しいケーキを食べるのと同じぐらい嬉しそうな顔で、なーんの躊躇いもなく食べていた!
そう振る舞うことに深い意義があるのであれば、決して揺らぐことなく、恐れることなく突撃する……帝国の叡智の凄みがそこにあった。
呆然とミーアを眺めていると、自分たちのところにもお皿が置かれた。
幸い、カニの足そのものではない。深いスープ皿に入っていたのは、琥珀色を湛えたスープだった。一見すると普通のスープだ。表面に浮かぶのは、まるで愛らしい花のようにフワフワ揺れる、カニのお肉だった。
――綺麗だけど……、あの恐ろしい見た目を意識してしまうと、どうしても躊躇いを感じてしまうわ……。でも、これなら、なんとか食べられるかも……。
正直、作る前の状態なんか見なきゃよかったと思う反面、見ずに食べた後、目の前にドーンっと実はこの肉でした! っとアレを出されたら、きっと気絶するだろうという確信があった。
だから、あれはあれで、正しい段取りであったのだと信じることにする。
ラフィーナは静かに口の中で祈りをつぶやく。
日毎の糧を感謝します、と同時に……どうか守ってください、と神に祈りをささげてから、一思いにスプーンを口に含む。
瞬間、舌の上に花開く旨みに、思わず、口を押えた。
「……美味しい」
自分と同じタイミングで食べたであろう、レアがつぶやくのが聞こえる。
同じく、恐々、スプーンを口に持って行ったパティとも目が合った。
美味しさに、目を見開いていた!
――あんなに恐ろしげな見た目だったのに、こんなに美味しいだなんて……。
ああ、これも同じなのかもしれない、と思った。
思い出すのは、とある令嬢の顔だ。
ずっと断絶していた、古い友人。再会する前までは想像もできなかったけど、実際に会って、謝れば、そこに待っていたのは、心地よい和解と再修復された友情だった。
このアシタカガニも同じだ。見た目だけで怖がっていたけど、いざ食べてみれば、素晴らしい味が待っていた。
ラフィーナは、そのことに心から感動した。そして……。
――この感動を分かち合うのも、お友だちというものかもしれないわ。
ラフィーナはミーアから教えられたのだ。
一人ですべて背負うことの誤りを。
そして、ミーアは共に担おうと言ってくれた。
だけど、思うのだ。分かち合うのは、なにも苦しさだけではない。一緒に過ごす楽しい時間、嬉しい時間もそうだし、それだけでもなくって……自分が嬉しかったこと、感動したこと、胸に抱いた喜びもまた、分かち合う……それこそが友というものなのではないか、と。
アシタカガニの恐ろしげな見た目と、意外な美味しさとに、大いに心を揺さぶられたラフィーナは思うのだ。
今、この瞬間に自分の胸にある感動を、ぜひヘルミオネ・ルトラにも感じてもらいたい。一緒に、このカニ鍋について語らい合いたい、と。
こうして、カニ鍋パーティーにヘルミオネがご招待されることが決定してしまったのであった。
ご令嬢たちの心をハサミで掴んで止まない、アシタカガニなのである。
――ふふふ、でもよかった。このぐらいなら、簡単だったわ。
っと、見事に聖女の仕事を全うしたつもりになっているラフィーナであったが……。
「ええとー、続きましてメニューは、吸盤ウナギのかば焼きと言ってー」
直後、オウラニアの声が遠くに聞こえる。
何気なく視線を上げた先……現れたのは、奇怪な魚で……。
――え……アレ、魚? いや、なに、コレ……ナニ……?
蛇のように細く、無数の吸盤を持った奇怪なお魚を見て……思わず、頭がクラァッとするラフィーナ。
ミーアの一番弟子、オウラニアは参加者にきちんと気を使い、難易度の低いアシタカガニから出していく、非常に気遣いのできる人なのであった。




