第二百十四話 明るい未来を味わい尽くす
鍋に先んじて、ガラガラと音を立てて、ワゴンが入ってきた。載せられた大きな桶には、でっかいアシダカガニが入っていた。
運んできた職員は、それを頭上高く持ち上げる。会場内が、ザワザワし始めた。
当たり前のことだろう。
なにしろその見た目は、足の長い巨大な蜘蛛である。いかにも堅そうで、いったいどこを食べれば良いかわからない。
「これはアシダカガニって言ってー、海底に生息してますー。今日はー、鍋料理にして食べていただこうと思ってますー」
オウラニアの声に合わせるように、鍋を乗せたワゴンが中央に進み出る。
ぐつぐつと煮立った鍋。そこから漂ってくる美味しそうな匂いに、ミーアのお腹の虫が、キュウッと鳴いた。
――ふふふ、楽しみですわ。あの見た目で美味というのは、実にギャップがありますわね。どんな味なのやら……。
ワクワクして見守っている内に、鍋の中身がお椀に注がれていく。
それと同時に、ミーアの前には細長いお皿が置かれた。そこにあったのは……。
「ミーア姫殿下には特別にー、足の部分を茹でた物を先にお出しさせていたきますねー」
「おお、スペシャルメニューですわね!」
恐らくパフォーマンスの一環なのだろう。帝国皇女の食べっぷりを通して、集まった者たちの関心を惹こうということだろう。
――ふぅむ、しかし、別にわたくし、それほどたくさん食べるほうでもございませんし、パライナ祭がヴェールガのお祭りである以上は、わたくしよりも、ラフィーナさまやレアさんのほうが適任のような気がしますけど……。
と思わないでもなかったが、それはそれ。美味しいものを一番にどうぞ、と言われて遠慮するような無作法をする帝国の健啖家ミーアではない。
オウラニアの思惑に華麗に乗って、ミーアはお皿の上に目をやった。
大きなお皿には、はみ出さんばかりの大きさの、棒状のものが載せられていた。
「ひっ!」
っと、どこかから、息を呑む声が聞こえたような気がするが……それはさておき。
「すでに、堅い殻の半分は切ってありますからー、殻からお肉を外しながら食べてみてくださいー。そのフォークを使ってくださいねー」
オウラニアに指示されるままに、ミーアは小さめのフォークを手に取った。先端がとがった、変わった形のものだ。それから、殻を手に取る。ゴツゴツとした手触り。なるほど、これはそのまま食べるわけにはいかなそうだ。
「ほう、変わった色をしておりますわね。なにやら、細い糸を重ねたような……」
その身はまるで、美しい花のように、白と赤が交じり合っていた。
じっくりと観察しつつ、フォークを使って殻から外していく。しゅ、っしゅしゅっと……その手腕は、実に見事なものだった。
そうなのだ。こう見えてミーアは、実は某大国の皇女殿下だったりするのだ。どのような相手と、いつ会食になっても良いように、一通りのマナーと美しく食べる術を教え込まれているのだ。
どんな食べ物が出てきたとしても、その気になれば、美しく上品に食べることができるのだ。
だからまぁ……、ぱくり、もぐもぐ、ごくり……とか、ちょっと一口で行くには多すぎやしませんか? みたいな時とか、ちょっと姫さまとしてアレレな食べ方をしている時は、必然的に気を抜いている時と言えてしまうのだが……。まぁ、それはさておき。
そうして外した柔らかな身に、塩をパラリの、そのままパクリ。
もぐもぐしつつ、舌でゆっくりと味わう。
「ほほう、これは、潮の香りがしますわね。それに、今までに食べたことのないお味ですわ」
さらにミーアはもう一本の足には、ソースをかけてみる。小魚を塩につけ込み、発酵させて作った調味料だという。
パクリ、と口に入れた……瞬間!
「うんっ!」
ミーア、思わず笑みを浮かべる。
それから、オウラニアのほうに目を向けると、オウラニアが自信満々の顔で「どうですか? 美味しいでしょう?」という顔で頷いていた。
「これは……確かに美味しいですわ。このホロホロとした食感は、強いて言うならばチキンに近いかもしれませんけど……お味はさらに淡泊。けれど、まったく味がないわけではない。先ほど、塩のみでいただいた時には、仄かに感じる程度でしたけど……このソースを付けると一気にお味が花開きましたわ!」
ミーアは頬に手を当て、ほわぁ、っと声を上げる。
「ああ、このお味、いくらでも食べられてしまいそうですわね」
っとひとしきり褒めたところで、改めて、深めのスープ皿が運ばれてくる。
そこには、先ほどとは異なり、殻から外された身だけが入っているようだった。
プカプカと浮かぶ身は、よく解されており、先ほどのように塊を食べるという感じではなさそうだ。
これならば、ミーアのような食のエキスパートだけでなく、普通のお嬢さま方も綺麗に食べられるだろう。
チラリと横を確認すると、ラフィーナが恐る恐るスプーンでスープをすくっていた。その隣、ちょっぴり顔色を悪くしたレアが、同じようにスープをすくっている。
一方でリオネルはというと、むしろ興味深げに中身を確認している。
そういえば彼は、先ほどミーアの前に運ばれてきたアシダカガニの足を見ても、特に気にした様子はなかった。
大変、冒険心に溢れた少年なのである。
さておき、他の令嬢たちも普通のスープ感覚で、それを味わっているようだった。それは良いのだが……。
――しかし、ある程度、大きめの塊のほうが美味しいのではないかと思いますけど……。
ちょっぴり不満に思いつつも、スープを一口。瞬間、ミーアはカッと目を見開いた。
――これは……っ! 汁の中に、先ほどのカニの味が溶け込んでおりますわ!
思わず、口元に笑みが浮かぶ。
「ふふふ、なるほど。なるほど。これは身の味そのものを楽しむというよりは、全体を楽しむお料理というわけですわね」
やりますわね! っとオウラニアのほうに目を向けると、オウラニアがドヤァッという顔で胸を張るのが見えた。
そんなこんなで……海産物研究所の研究の成果物を存分に味わい尽くすミーアなのであった。




