第二百十二話 伝授せよ! 揺らがぬ自分ファースト!
「ミーアお姉さまは未来を……ベルお姉さまの世界を守るために、今、頑張ってるのですよね?」
しばらく歩いた時だった。
不意にパティが聞いてきた。ミーアは視線を巡らせて辺りを確認。
近衛たちはみな気を使ってくれているのか、ギリギリで駆けつけられるぐらいの距離に立っていてくれた。小さな声ならば聞こえる心配はない、と判断。
「……ええ、まぁ……そんな感じですわ」
「ベルお姉さまのために……世界のために、頑張ってる……」
パティは真剣そのものの様子で頷くと、パライナ祭の会場のほうに目をやった。夜になっても消えない篝火、それをまぶしそうに見やってから……。
「ありがとうございます。ミーアお姉さま……。私、この世界が大好きです」
パティが、幼い子どものような、純粋な笑みを浮かべた。
「…………お母さんが死んでしまってから、ずっと辛いことばかりだったけど……ここは毎日が楽しくて、朝を迎えるのが嬉しくって……」
そっと手を握り、パティは続ける。
「みんなで準備したパライナ祭もすごく、楽しかった。だから、この日の光景をずっと覚えておこうと思います。この世界を守るためになら、私のすべてを捨てても構わないって思えるから」
その顔が、決意に満ちた顔が……あまりにも儚くて、触れれば壊れてしまいそうで、今にも消えてしまいそうだったから……。ミーアは思わず息を呑んだ。
――これは、あまり良くない気がいたしますわ。パティをこのまま帰してしまうのは。
寝所にも、過去にも……である。
今、この瞬間に、言っておかなければならないことがあるような気がしたのだ。
辺りをもう一度、確認。話が聞こえていなさそうなことをしっかりと確かめてから、小さく息を吐く。
「ねぇ、パティ……特別にあなたには、本当のことをお話ししておきますわ」
「……本当のこと?」
きょとりん、っと首を傾げるパティに、ミーアはそっと顔を寄せる。
「そうですわ。実は……わたくし、あなたや他の方たちが考えるほど立派な人間ではありませんの。これは、決して謙遜してのことではありませんわ」
不思議そうに目を瞬かせるパティに、ミーアは、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
「実は、わたくしが帝国でやってきたことには、その……理由がございますの」
しばし考えて、どう説明するかを検討。それからおもむろに話し出す。
「あれは、わたくしがセントノエルに入学する前のこと……。わたくしは、ある夢を見ましたの。帝国が、革命の火に焼かれる恐ろしい悪夢を……」
「夢……?」
「そう、夢ですわ。帝国の未来を示唆するような、ね」
ミーアとしては生々しい記憶ではあるのだが、ここは面倒なので夢ということにしておく。それ以外の部分に偽りはない。今のパティにはそうしないと届かないと思ったからだ。
「夢の中のわたくしは、怠惰で傲慢で、あまり良い皇女ではありませんでしたわ。すべきことをなにもせず、多くの人々が飢餓に、戦火に倒れ、町が焼かれ、やがては、憎悪されたわたくしも処刑される。夢でしたの」
あの忘れ得ぬ風景をまぶたの裏に描き出す。
今ではすっかり、遠くになってしまったあの光景、それでも未だ思い出すことのできる恐怖と後悔。
「そんな暗い未来はごめんだと思って、わたくしは行動を始めた。わたくしが嫌だと思う未来の形を、民やほかのみなさまも嫌だと共感していただけたから、わたくしの功績という形になりましたけれど……わたくしはあくまでも、わたくし自身のために行動しただけですわ」
そうして、祖母に伝授していく!揺るぎない自分ファーストを!
「わたくしは、ベルの世界のために頑張っている……というのも、まぁ、完全な誤りではないのですけど……本当は、自分のために頑張っているだけですの」
より良い世界のために、未来のために……自分を犠牲にして、なんて気持ちには、たぶん、きっとずっと、なることはないだろう。ミーアはそう確信していた。
「ただ、ベルの未来を良くすることが、わたくしにとって都合が良いことだから……。あの日、死んでしまったベルとの約束を果たすことが、わたくしにとってのしたいことだから、しているだけのこと。それをしないと後味が悪いからしているだけのことですわ」
あの日、心に決めたことを実現できないのは、きっととても気分の悪いことだろう。
「それに、孫娘の時代にはまだわたくしも生きているでしょうから、その世界がより良く、豊かになるように頑張るのは当然のことですわ。わたくしは、わたくしの都合を優先しているだけですわ」
そうして、ミーアはパティの目をジッと見つめる。
「だから、だからね、パティ。この世界を……わたくしたちを守るために、ただそれだけのために生きるような……そのような生き方はしていただきたくないですわ」
どうしても言っておかなければと思った。そうしなければ、過去に戻ったパティが、喜んで、自分のすべてを犠牲にする姿が想像できてしまったから……。
すべてを犠牲にする、というのは大きな覚悟ではあるが、反面、自暴自棄な態度とも言える。
そのためなら死んでも良いという考えは、それさえ達成できればそれが最善であると満足できてしまうがゆえに、より最善の道を探ることを放棄させる。
より最善、すなわち生き残る道……目的を達成しつつ、自分自身も生き残るという最善の道を覆い隠す、それは、思考の靄だ。
あるいは、それは、覚悟と言う名の思考停止とも言える。
あと一歩、否、半歩でも前に出れば生き残れたのに……そんな道はないと耳元で囁く諦めの誘惑だ。生き残ろうとするのはただの逃げだと、心を折りにくる悪魔の言葉だ。
パティが、そんなふうに不幸に沈んでいくのは、ミーアの望むところではなかった。
そんなのは後味が悪いと、ミーアは思うからだ。ミーアの自分ファーストに照らし合わせて、それは認められないことなのだ。
「パティ、あなたが過去で戦わなければならないものは強大で、きっと過酷な日々が待っているでしょうけれど……そこで少しでも幸せになることを諦めて欲しくはありませんわ。この世界に繋ぐこと……それと比べれば自分の感情は、人生は、取るに足りないものだと……そんな言い訳で目の前の小さな幸せを諦めるような生き方をしてほしくはありませんの」
そうして、ミーアは、そっと幼い祖母の体を抱きしめた。
儚くて、今にも幻のように消えてしまいそうだったその体は、実体を持った、紛れもない一人の少女の体だった。この世界に繋ぎとめるようにギュッと力を入れて抱きしめながら……。
「それに……お祖母さまにそのような生き様を示されてしまうと、孫であるわたくしも、そのように育てられてしまうかもしれませんし……。それは、さすがに遠慮したいところですわ」
冗談めかして、ミーアは笑った。ミーアに身を任せるように力を抜いていたパティは、
「…………わかった」
小さな声で、囁くのだった。




