番外編 その過去を清算し……
「ら、ラフィーナさま、なぜこんなところに?」
久しぶりに再会した知人、ヘルミオネは大慌てでそんなことを言った。
ラフィーナは静かに、建物のほうに目をやる。
古びてはいるが、修繕がしっかりしてある。施設としての問題はなさそうだった。が……。
「あ、ち、違いますわ! “こんなところ”というのは、こう、なんと言いますか、言葉の綾と言えば良いのか……」
そうして、慌てまくるヘルミオネ。どうやら、自分が失言したと思ってしまったらしい。ラフィーナはくすりと笑って……。
「大丈夫よ、ヘルミオネさん。あなたが頑張って、この孤児院での奉仕を続けていることは、母から聞いていますから」
参りましょう、と手で示してから、ラフィーナは孤児院のほうに向かった。混乱した様子ながらもついてくるヘルミオネ。そんな二人を出迎えるように、院長である神父が出てきた。
「これは、ヘルミオネさま、それに、ラフィーナさままで……。遠いところをようこそいらっしゃいました」
「ご奉仕、お疲れさまです。本日は、いろいろとお手伝いさせていただきます」
ラフィーナは清らかな笑みを浮かべて答えた。
それから、ラフィーナは孤児院の仕事を手伝うことになった。
お菓子作りを手伝ったり(誰とは言わないが、指示通りにしない人たちがいなかったので、特に問題もなく作れた!)、子どもたちに読み聞かせをしたり、部屋の掃除を手伝ったり……。
院に勤めている修道女の悩みを聞いたり、院長から建物についての要望を聞いたりもした。
そうして、一通りの活動を終えて、孤児院を後にする頃には、ラフィーナは改めて驚かされていた。
――ヘルミオネさん、慕われているようですね。
子どもたちがヘルミオネに向ける親しみと好意の視線。修道女たちとの距離も近く、とても、打ち解けた雰囲気だった。相談された悩みに本気で考えて、答えを出しているのがとても印象的に見えた。
それは、別に驚くことではないのかもしれない。
神の臣たるヴェールガ貴族家の者として、それは当たり前のことと言えるのかもしれないが……それでも、形だけでは得られないほどの信頼を勝ち得ているように、ラフィーナには見えたのだ。
ヘルミオネのイメージが、かつて、自身を裏切った時のイメージと上手く重ならない。
自分たちは特別な者だから、民草には何をしても良い。当然のように暴力を振るう権限もあるのだ、と……そのように振る舞った彼女と、目の前の彼女のイメージが一致しなかった。
――これは、彼女が変わったと……行いを悔い改めたと……やはり、そういうことなのかしら……?
その認識は、ラフィーナにとって重いものだった。
ミーアのやり方……悪しき者であったとしてもやり直しの機会を与えるという、あのやり方を自分は支持した。
もちろん、いつも単純にそうすればいいというわけではないし、被害を受けた者へのケアは大前提ではあるが……それでも、簡単に見限って、切り捨てるというやり方を、自分は改めたのだ。
であるならば、目の前のヘルミオネに対しても、同じことなわけで……。
『あのぐらいの年頃の子どもならば、親に言われたことに、そのまま従っているだけということもあるでしょう』
母ルーツィエが言っていた言葉を思い出す。
赤子は己が罪を認識しない。
幼子は悪気なく無垢なまま、命を奪うことがある。
罪を罪と認識できるようになる前、人の内なる道徳律が目覚めるには、ある程度の年齢に達することが必要で。それ以前は、大人に言われたことにただ従うだけ。
彼女も成長するにつれて、己が行いを省み、悔い改めたということなのだろうか……。
「変わったのね……ヘルミオネさん」
ラフィーナは、思わずつぶやく。それを聞いたヘルミオネは、わずかに目を見開き、けれど、直後に、少しだけ苦しげな顔をして……。
「ラフィーナさま……私は……その、善良な気持ちでそれを成しているわけではありませんの」
まるで、罪を告白するかのような、苦しげな口調で言った。
「本当は面倒だと感じることもたくさんありますの。行きたくない、笑いたくない、疲れたくない、寝ていたい……そんな気持ちがたくさんありますのよ?」
ぽつり、ぽつり、と言葉を続ける。
「でも、だけど……なんと言えばいいのかわかりませんけれど……それがすべてじゃない、と思うようになりましたの」
それがすべてではない……その言葉は、ラフィーナの心にすとんと落ちた。
親友であるミーアが見せてくれたものを、改めて思い出す。
人は一面的に悪であることはあり得ない。同様に、一面的に善であることもまた、あり得ない。
人はもっと多面的で、時に間違え、されどそれを反省し、正すことができる。
それこそが人間である、と……。いつでもミーアは、深い深い慈愛の心を持って、そう主張していたのだ。
……いや、そうだっただろうか? まぁ、そんなようなことは言っていたかもしれないが……。
「面倒くさくって、疲れるけど、でも、振り返った時、楽しかった瞬間だってたくさんありましたの。泥にまみれて子どもたちと遊ぶのは、汚いし嫌だと感じることもあるけど、屋敷に帰った後、思い出すと、楽しいと感じることもあって……」
途切れ途切れながら、ヘルミオネは言った。
その言葉で、ラフィーナもまた、思い出す。
なぜ、あの日、悲しいと思ったのか?
裏切られたことがショックだったのか……?
なんのことはない。ラフィーナもまた、ヘルミオネとの関係を好ましく思い、あの幼き日々を楽しいものと記憶していたからなのだ。
出会いの日、普通の令嬢として声をかけられたことも、お茶会も、一緒に遊んだことも……。
楽しい思い出はたくさんあって……それが、裏切られたという負の思いに覆い隠されてしまっていたのだ。
彼女に一面的に悪感情を抱くなんて……一つの負の面が、彼女のすべてであるだなんて……そんなことあり得ないはずなのに……。
「だから、私は全然、善良な気持ちでなんかしていません。あの頃から、どれぐらい成長で来ているのか、全然わからないですわ……。ラフィーナさまにそのように言っていただくことなんか……」
「いいえ、ヘルミオネさん、あなたは、確かに変わったわ」
そっと首を振り、ラフィーナは言った。
――そして、私も……。
と、心の中で付け足す。
今の自分は、ミーアとの出会いを経て、新しい視点を知ったのだ。
過去に自分で閉ざしてしまった道……友として彼女に働きかけ、互いに悪しきところを改めながら、共に成長の道を歩むことはできなかった。そのことに、後悔がないわけじゃない。
だけど……それをずっと続けなければならないなんてことはない。
今を正すのに、遅すぎるなんてことはないはずで……。だから……。
「ヘルミオネさん、あの時は、ごめんなさい。私は……もっとあなたに寄り添って、もっと、たくさん話をするべきだった」
ラフィーナの言葉に、ヘルミオネは目を丸くした。
「いえ……あれは……。私は、ラフィーナさまのおかげで、自分が間違っていたとわかったのですわ……それに、ルーツィエさまが教えてくださいましたし……」
慌てた様子のヘルミオネに、それでも、ラフィーナは首を振る。
「あなたの友であったなら……あのような態度を取るべきではなかった。あなたと顔を合わせないようにしたって、何も良いものをあなたに……友に与えられなかったのだから……」
それから、ラフィーナは改めてヘルミオネを見つめる。真っ直ぐに、その目を見つめてから、ラフィーナは言った。
あの日、言ってもらった言葉、嬉しかった言葉を……今度は自分の口で……。
「ヘルミオネさん、もしよかったら……もう一度……私とお友だちになっていただけないかしら?」
「え……? あ、え……えと、は、はい」
その急展開に、目を丸くするヘルミオネだったが……。直後、その顔には、パッと輝くような笑みを浮かべて……。
「よろしくお願いいたしますわ、ラフィーナさま」
こうして、ラフィーナは、過去を精算した。
心機一転、まっさらな聖女の心持ちでパライナ祭に参加できることになった彼女であれば、きっと、どのような困難にも立ち向かえることだろう。
聖ミーア学園とセントノエル学園の共同研究の結果が、そして、水産物研究所が、どんな奇怪な食べ物を差し出して来ようとも……。きっと! ……たぶん。




