第百七十九話 小驪(シャオレイ)、天馬姫の馬を信じる心に感銘を受ける
さて、荒嵐を率いて颯爽とやってきたのは、セントノエルの練馬場であった。
かつて、革命軍の手から逃れるべく乗馬の腕を磨くため、さらに、レッドムーンの駿馬、夕兎に勝利するために幾度となく通い慣れた場所にて。
ミーアは早速、荒嵐との乗馬を楽しんでいた。
「ふふふ、荒嵐、相変わらずの荒い走りですわね」
びょうっと吹き付ける風、それに体を持っていかれないように、しっかりと鐙にかけた両脚に力を入れる。
カーブに差し掛かると、今度は、ぐぐん、っと外に振り落とされそうになるも、きっちりと体幹を安定させ、荒嵐の走りに合わせていく。
油断していると、すぐに振り落とされてしまいそうな激しい走りだったが、それでミーアが臆することはない。
実になんとも、どっしりした安定感を披露するミーアである。
そうなのだ。数多の経験を始め、さまざまなものをその身に付けて重厚感を増したミーアは、荒嵐が普通に走ったぐらいで落とされるようなことはないのだ。
そして、荒嵐もまた、それを理解しているのか、以前よりもさらに速く、強く走る。どうやら、ミーアの実力に合わせて調整しているらしい。
――乗り手を本気で振り落とすことはしないギリギリのラインの見極め……ふふふ、やはり荒嵐は性格は悪いですけど、優秀な馬ですわ……。性格は悪いですけど……。
心の中でそんなことを考えつつ、ミーアは唸る。
――まぁ、わたくしと荒嵐であれば、このぐらいはできて当然。問題はホースダンスですわ。ただ、荒嵐に任せて走らせていれば良いというわけではございませんし、こちらの指示をきちんと出しませんと……。
ミーア、キリリッと表情を鋭くし、
「あのー、荒嵐、もしも可能でしたら、そのー、あちらに走っていただけないかしら?」
荒嵐にお伺いを立てる。
誰かにお願いする時、下手に出ることには、一切、躊躇いのないミーアである。相手が馬であっても、それは変わらない。
そんなミーアの呼びかけに、チラッと目を動かした荒嵐は、ぶひひん、っと鼻で笑い……反対方向に向かいやがった!
「なっ! そっ、そっちじゃありませんわ! 荒嵐、行ってもらいたいのは、あっち……うひゃああ!」
ぐぐん、っと速度を増した荒嵐。慌てて体勢を整えつつ、荒嵐の顔に目をやれば、ニヤリっと意地の悪そうな笑みを口元に浮かべている。
「くぅ、こいつ……やっぱり性格が悪いですわっ!」
ぐぬぬ、っと歯ぎしりしつつも、
「まぁ、しかし……そうですわよね。気分屋の荒嵐がそう簡単に言うことを聞いてくれるとは思っておりませんでしたわ」
どうやら、久しぶりの全力ダッシュだったようで……気持ちよく走り回る荒嵐がミーアの指示など聞くことも無く……。
ついつい、素直な東風を懐かしく思うミーアである。
「しかし、それにしても、さすがは月兎馬ですわ。この迫力ある走りは、東風には難しいでしょうし……。これを生かして、小驪さんの『落露』と連携が取れれば、なかなか良い感じのホースダンスになるのではないかしら……」
多少、ミーアが失敗したとしても、勢いで誤魔化すことができるかもしれない。なにしろ、騎馬王国の人たちはノリが……以下略。
さて、そんなこんなで、とりあえず一通り走らせてから、ミーアは荒嵐を降りた。
それから、改めて荒嵐のほうを見て……。
「これはなかなかに大変な気がいたしますわ。全然言うこと聞きませんし……」
ぐぬぬっと歯ぎしりするミーアを見て、ぶひひん、っと意地悪げに笑みを浮かべる荒嵐であった。
「こっ、こいつ、完全にわたくしのこと、ナメてますわねっ!」
その内、目に物見せてくれますわ、っと、拳をギュッと握りしめるミーアである。
とりあえず、ニンジンケーキで釣るのが良いか、それともリンゴのような果物類にするべきか……などと、目に物見せるプランを立て始めるミーアであったが……。
「ああ、いましたですの。ミーア姫殿下」
「あら、小驪さんと……ふむ?」
やってきたのは、馬を引いた小驪だった。それはまぁ良いのだが……。
「その馬は……」
傍らに控える馬を見て、小首を傾げる。
小驪が連れていた馬は以前見た山族の至宝、落露ではなかった。
月兎馬ではあるようだったが、幾分、細身でまだ若い。荒嵐に比べると、いささか貧弱さを覚える馬だった。
「今、お父さまにお手紙を出して連れてきてもらっているところ、ですの。今回は使者の役割だけと思ってたから、落露を連れてくるわけにはいかなかった、ですの」
なるほど、それはもっともだ。最初からホースダンスをするつもりだったならいざ知らず、ただの使者の足として、あの馬を出すことはないだろう。
「ところで、それがミーアさまが乗る馬、ですの? 以前とは違う馬ですの」
小驪は、荒嵐のほうに目を向けて、キョトンと小首を傾げた。
「ええ。セントノエルで最も速い馬、荒嵐ですわ」
「ほう……」
っとしかつめらしい顔をしながら、小驪は荒嵐に歩み寄る。その目をじっくりと見つめ、顔つきを観察、さらに、全身を眺めて……。
「うちの落露には劣るけど、なかなか立派な月兎馬ですの……だけど、少し気難しそうですの」
腕組みしつつ、荒嵐を評する小驪。そんな彼女を横目に、荒嵐は鼻をムグムグさせて……。
「あ、小驪さん、その……あまり不用意に近づくと、くしゃみを……」
ミーアの注意は、けれど、残念ながら間に合わない!
「え……?」
っと小驪が、その目を瞬かせた、次の瞬間!
ぶえーくしょんっ!
荒嵐のくしゃみがさく裂!
「うひゃあっ!」
っと小さく悲鳴を上げて、小驪が、ぽてん、っと尻もちをついた。
「なっ、なっ、なな、なになに? 何事ですの?」
「あー、えっと、荒嵐は、くしゃみを吹っ掛けて、人間をからかおうといたしますの。実にこしゃくなやつなんですのよ」
言いつつ、ミーアは小驪を見る。
――ふぅむ、しかし、荒嵐はわたくしのことだけナメてるものだとばかり思ってましたけど、小驪さんへの態度もなかなかに失礼ですわね。
小驪にちょっぴり親近感を抱きつつ、ミーアは荒嵐のほうに目を向けた。
「とても速い馬ですけど、とても気難しいやつで……」
「そんなやつで、ホースダンス、大丈夫なんですの?」
ジトーッとした目で荒嵐のほうを見てから、小驪は言った。
「まぁ、でも……気難しいやつですけど、やる時はやるやつですから、大丈夫ですわ」
……たぶん、っと心の中で付け足すミーアに、小驪は……思いのほか感銘を受けた様子で頷いて、
「なるほど……。馬を、信じている、と? ふふふ、さすがは、天馬姫ですの」
などとつぶやくのだった。




