シーン10:暴走列車の殴り込み
旧魔導領域ネルガルの深淵、黒曜石の古城の最奥にある大礼拝堂。
純白の『光』と漆黒の『闇』を纏う高橋優子と、無詠唱の『四属性魔術』を渦巻かせるSSランクの魔女・九龍。二人の間に割って入ったブロンド髪の侍女の手の中で、巨大な大鎌――【刈り取る者】が冷たい輝きを放っていた。
「なっ……!? そ、その大鎌と魔力は……まさか、あの日、私と後藤さんを襲った……!?」
優子の双眸が、信じられないものを見るように大きく見開かれる。
顔立ちも髪の色も、あの夜に原典世界の路地裏で出会った黒髪の少女――如月美憂とはまったく違う。だが、その手にある禍々しい大鎌の形状と、そこから溢れ出している後藤光彦と同質の『光と闇の魔力』、そして何より、自分の顔を見た時から見せていたあの異様な怯えと罪悪感の理由が、優子の頭の中で一気に繋がった。
「あなた……如月、美憂さんなの!? どうしてあなたがそんな別人の姿で、このエデンにいるの!?」
神崎恭よりも数日早くエデンへと渡っていた優子は、その後オリジンの廃工場で恭とメフィストが激突したことも、美憂がメフィストのオリジナルの大鎌で斬られてこの世界へ強制転移させられたことも知る由がなかった。だからこそ、現世で逃亡していたはずの彼女がなぜこの異世界の魔女の城で侍女をしているのか、まったく理解が追いつかなかったのだ。
「う、ううっ……ご、ごめんなさい、優子さんっ!!」
正体に気づかれた美憂は、大鎌を握りしめたままボロボロと涙をこぼし、必死に声を振り絞った。
「あの時は、本当にごめんなさい! 私、フィストっていう悪い神様に騙されてて、取り返しのつかないことを……っ! で、でも、後藤さんは死んでなんかいません! 恭くんが『天獄っていう場所でちゃんと生きてる』って教えてくれたんです! 私も昨日、そのメフィストに大鎌で斬られて、気づいたらこのマリアっていうお姉さんの身体に飛ばされちゃって……っ!」
「え……? 後藤さんが生きていて、あなたがメフィストに斬られてここへ……!?」
美憂の口から飛び出した思いがけない言葉の数々に、優子がハッと息を呑んで聞き返そうとした――まさにその瞬間だった。
「――へえ。お前たち、あちらの世界でずいぶん派手な因縁があったみたいじゃない」
礼拝堂の奥から、氷のように冷たく、それでいて愉悦に満ちた九龍の声が響いた。
見れば、九龍の周囲に展開されていた火・水・風・土の四属性の魔光が、先ほどとは比較にならないほどの密度にまで膨れ上がり、天井のステンドグラスをビリビリと震わせていた。
「だけどね、もう一人の私。それから私の新しい侍女さん。……この九龍を目の前にして、よそ見をして昔話に花を咲かせるとは、ずいぶん舐めてくれたものね!」
九龍が白く細い指先を、容赦なく前へと突き出した。
「お喋りはあとになさい! ――【四界複合・崩天の咆哮】!!」
――ゴオォォォォォォッ!!
無詠唱で放たれた灼熱の炎の奔流と絶対零度の氷柱、真空の暴風と岩石の砲弾が、巨大な螺旋の龍となって優子と美憂の二人へと同時に襲いかかった。
「っ、くうっ! 来ます、下がっていなさい美憂さん!!」
優子はとっさに美憂の身体を背後へと突き飛ばすと、両手を前に掲げて『光』と『闇』の古代魔法を最大出力で展開した。
「闇よ、呑み込め! 光よ、弾き返せッ!!」
――ドゴォォォォォォンッ!!
礼拝堂の中心で四属性の螺旋と光闇の防壁が激突し、凄まじい爆発音とともに黒曜石の床が吹き飛んだ。
爆風で侍女服の裾を激しく揺らしながら、後方へ転がった美憂が「ゆ、優子さんっ!」と悲鳴を上げる。
「……っ、あなたの詳しい事情は、この戦いが終わってから全部聞きます!」
優子は防壁を軋ませる九龍の猛攻を渾身の魔力で押し返しながら、鋭い眼差しで前方の九龍を睨み据えた。
「今はまず、目の前の『もう一人の私』をなんとかしないと、話もできなさそうですからね……!」
「ふふっ、そうこなくっちゃ! さあ、十年分の私の研鑽、どこまで耐えられるかしら!」
再び優子が空へと跳躍し、無数の『光の魔力槍』と『闇の重力球』を九龍へ向けて暴雨のように降り注がせる。九龍もまた、床から巨大な『土の城壁』と『水流の盾』を隆起させてそれを防ぎながら、死角から『爆炎の鞭』を打ち込んでいく。
同じ魂を持つ二人の美女による、SSランク級の超絶魔術戦。
余波だけで礼拝堂の太い石柱が次々とへし折れ、天井から巨大な瓦礫が降り注ぐ。美憂も「こ,このままじゃ二人とも大怪我しちゃうよ……っ!」と大鎌【刈り取る者】を振るい、夏芽の水土防壁や双子の風魔術を使って自分に飛んでくる瓦礫と魔力の流れ弾を必死に叩き落としていた。
そして、戦いが最高潮に達した、その時だった。
「――これで、終わりよ! 私の全力を受け止めなさい、高橋優子!!」
「――ええ、望むところです! 私のすべてで、あなたをひとつに還してみせます!!」
礼拝堂の端と端で、九龍の『四属性の極大魔光』と、優子の『光と闇の極大融合波』がそれぞれの手元に極限まで圧縮され、城全体が崩壊しかねないほどのエネルギーが膨れ上がる。
二人が互いの最大奥義をぶつけ合おうと、同時に一歩を踏み出した――そのコンマ一秒前だった。
――パキィィィンッ!! メキメキメキィッ!!
突如として、優子と九龍のちょうど中間にあった礼拝堂の「空間そのもの」に、まるで巨大な蜘蛛の巣のような青白い亀裂が走ったのだ。
「……え?」
「なっ……!? なによ、この空間のひび割れは……!?」
優子と九龍の動きが、同時にピタリと止まった。
空間操作の魔術にも精通している九龍でさえ、今目の前で起きている現象の意味がまったく理解できなかった。単なる転移門などではない。次元の壁そのものを外側から物理的な質量と暴力で無理やりこじ開けるような、世界の理を完全に無視した未知の権能。
そして次の瞬間、その空間の裂け目の向こう側から、腹の底と大気を揺さぶるような重厚な「音」が礼拝堂中に鳴り響いた。
――ボオォォォォォォーーーーーッ!!
魔力の蒸気を噴き上げながら咆哮する、重々しくも高らかな蒸気機関車の汽笛。
「えっ……!? な、なに、この重たい音……!?」
「汽笛……!? どうしてこんなお城の中に、蒸気機関車の音なんかが響くの……!?」
壁際で大鎌を構えていた美憂が目を白黒させ、優子も呆然と空間の亀裂を見つめる。
優子がかつて原典世界の踏切で神崎恭に轢かれた時に見たのは、現代日本の無機質な通勤電車だった。そして美憂に至っては、恭の能力が列車であることすら詳しく知らない。まさかこのエデンの理に合わせて【幻影電車】が『漆黒の蒸気機関車(SL)』へとその姿を変貌させているなど、その場にいる誰一人として想像できるはずもなかったのだ。
――ドガアアアアアアアアアアッ!!
三人が困惑する間もなく、青白い次元の亀裂と礼拝堂の分厚い黒曜石の壁が、内側からまとめて粉々に吹き飛んだ。
紫がかった魔力の蒸気と黒煙を煙突から猛烈に噴き上げ、巨大な動輪を轟かせながら礼拝堂のど真ん中へとノーブレーキで突っ込んできたのは、黒炎と紫電、そして光と闇のオーラを装甲に纏った巨大な『漆黒の蒸気機関車』だった。
「なっ、なにこの黒い鉄の塊はあああっ!? なんか煙を吐きながら空から突っ込んできたわよ!?」
「きゃあああっ!? なんで異世界の魔女の城にSLが突っ込んでくるのよぉぉっ!?」
突然空間をぶち破って現れた謎の巨大蒸気機関車を前に、九龍が人生最大の混乱に目を見開き、美憂がパニックになって頭を抱える。
その直後――猛スピードで突進してくる漆黒の機関車の先頭デッキから、黒いロングコートを翻して一人の青年が豪快に飛び出してきた。
「どけえええええええっ!! 俺の美憂に手ぇ出すんじゃねええええええっ!!」
礼拝堂中に轟いたその聞き覚えのある怒号と、見慣れた黒髪の青年の姿を見た瞬間、美憂と優子の思考が同時に弾けた。
「えっ……!? きょ、恭くん!? なんでその機関車から恭くんが出てくるのぉぉ!?」
「か、神崎くん!? まさかその蒸気機関車、あなたの電車だったの!? というか誤解です、私たちは別に美憂さんを――!」
アルディシアの宿で『観測窓』を見た時、画面の中では優子さんと九龍が城を吹き飛ばしかねない魔力を練り上げ、その真ん中で美憂が大鎌を構えて悲鳴を上げていたのだ。
てっきり「二人の戦いに美憂が巻き込まれて殺されかけている」と勘違いした俺――神崎恭は、細かい事情を把握する暇もなく、全力全開で列車を空間跳躍させて突っ込んできたのである。
優子さんが慌てて両手を振って何か叫んでいるが、両手にフルスペックの複合魔力を宿して飛び出した俺の勢いは、もう誰にも止められなかった。
「問答無用だ、二人まとめて頭を冷やせええええっ!! ――【闇の重力圧縮】、からの【領域切断・衝撃波】ァッ!!」
俺は空中で指を鳴らして『時間停止』をコンマ数秒だけ挟み、美憂の周囲にだけ絶対防御の結界を張ると、優子さんと九龍が手のひらに溜め込んでいた極大魔術を『闇』の力で強引に捻じ伏せて相殺し――そのまま両手から、殺傷力を抜いた純粋な「空間の質量打撃」を二人へ向けてドカンとぶっ放した!
「「えええええええっ!? きゃああああああああっ!?」」
――ズドォォォォォォンッ!!
自分が何をされたのかすら理解できないまま、SSランクの魔女・九龍と、女神サラの半身・高橋優子の二人は、俺の放った規格外の衝撃波と突っ込んできた蒸気機関車の猛烈な風圧にモロに巻き込まれ、揃って木の葉のように宙を舞った。
そのまま礼拝堂の奥の絨毯の上へと、二人仲良くゴロゴロと転がり――「う、ううっ……なによ、あのデタラメな男と鉄の塊は……」「か、神崎くんのバカ……っ」と、全く同じ顔でうめき声を漏らしたかと思うと、揃って白目を剥いてガクリと気絶してしまったのだった。
ガシャン、ガシャン……プシュウゥゥゥゥゥ……ッ!!
半分崩壊した礼拝堂のど真ん中で、巨大な動輪が火花を散らして止まり、漆黒の蒸気機関車――【幻影電車】が白い魔力の蒸気を盛大に吐き出しながら完全に停車する。
後続の客車の扉が開き、あまりの急発進と急停車に目を回した佐々木冬夜や瑞希、夏芽、悠希、莉子たちが、よろよろと転がるように降りてきた。
「お,おい恭さん……! いくらなんでも突っ込み方がむちゃくちゃすぎるだろ……!」
「し、心臓が口から出るかと思いましたよ……! お城の壁ごと空間をぶち抜くなんて、やっぱりこの人ヤバすぎますって……!」
冬夜と瑞希が青い顔で膝に手をつく中、俺は荒い息を吐きながら、魔力の蒸気が晴れていく礼拝堂の壁際へとバッと視線を向けた。
そこには、俺の結界に守られて無傷のまま、黒銀の大鎌を握りしめてポカンと目を丸くしているブロンド髪の侍女――美憂の姿があった。
「……あ、あの……」
侍女の姿をした美憂が、信じられないものを見るように俺を見つめ、その碧い瞳からみるみるうちに大粒の涙が溢れ出していく。
「……恭、くん……? 本当に、恭くんなの……!?」
「……ああ。やっと見つけたぞ、美憂」
俺が安堵の息を吐いて両手を広げた瞬間、美憂は手の中の大鎌を光の粒子へと霧散させると、侍女服の裾を翻して全力で駆け出し、俺の胸へと勢いよく飛び込んできた。
「恭くぅぅぅぅんっ!! うわああああんっ、会いたかった、会いたかったよぉぉぉっ!!」
「おっと……! よしよし、もう大丈夫だ。見知らぬ世界で一人にして悪かったな、美憂」
俺は胸に顔を埋めて子どものように泣きじゃくる美憂の華奢な背中を、壊れ物を扱うように優しく、そして力強く抱きしめた。
半年間の逃亡生活の末、やっと廃工場で触れられたと思ったらまた別の世界へと引き裂かれたのだ。器こそブロンド髪の侍女に変わってはいるが、腕の中に伝わる温もりと魂の波長は、間違いなく俺が追い続けてきた如月美憂そのものだった。
「美憂さんっ! 本当に美憂さんなんですね! よかった、無事だったんですねぇっ!」
「わああん、美憂さん、会いたかったですよぉ!」
そこへ、客車から降りてきた猫耳の少女と、長い耳を持つ双子の姉妹が涙ぐみながら駆け寄ってくる。
だが、俺の腕の中から涙顔を上げた美憂は、見知らぬ異世界の美少女たちに親しげに名前を呼ばれ、「えっ……? あ、あの、どうして私の名前を……?」と目を白黒させて戸惑っていた。
「あはは、ごめんごめん! 美憂さんと同じで、私たちもこっちの世界の人の身体に入ってるから、見た目じゃ分かんないよね!」
猫耳をピョコピョコと揺らした夏芽が涙を拭って笑顔を向け、双子の姉妹も一歩前へと進み出た。
「私だよ、美憂さん! 最初のバスツアーの事故の時、美憂さんに助けてもらった、佐々木夏芽だよ!」
「私たちは、トンネルのバス事故で車体の下敷きになっていたところを助けていただいた、藤原悠希と莉子です! あの時は本当にありがとうございました、美憂さん!」
三人の自己紹介を聞いた瞬間、美憂の碧い瞳がハッと大きく見開かれた。
近づいてきた彼女たちの身体から、自分自身の内にある『水と土』や『風と共鳴』の魔力と寸分違わぬ、温かな魂のバイパスの共鳴を感じ取ったのだ。
「えっ……!? な、夏芽ちゃん……? それに、あの時のバスの藤原さんたちなの……!? ほんとだ、私の中の魔力と同じ、すごく温かい感じがする……! ううっ、本当にみんな、この世界で元気に生きてたんだね……っ!」
自分が奪ってしまったと思い込んで半年間苦しみ続けてきた少女たちが、目の前で笑顔で生きている。その事実に、美憂は再びポロポロと安堵と感動の涙をこぼし、夏芽や双子たちと手を取り合って無事を喜び合った。
そうして、崩れかけた礼拝堂の真ん中で感動の再会が繰り広げられる中――。
周囲の惨状を見渡した冬夜と瑞希が、礼拝堂の奥の絨毯の上で、全く同じ顔をして仲良く気絶して伸びている二人の黒髪の美女――高橋優子と九龍を指差し、なんとも言えない乾いた声でツッコミを入れたのだった。
「……なあ、恭さん。感動の再会のところ悪いんだがよ」
「……あの奥で白目を剥いて気絶してる、瓜二つの美人お姉さん二人は……いったいどうするんですか?」
「俺の美憂がピンチだと思って……むしゃくしゃしてやった。だが後悔はしていない!」
「……………………」
笑顔を向けて言う恭に、一同は生暖かい目線を向けるのであった。




