シーン3:神崎恭と如月美憂
商業都市連合アルディシアの宿屋の裏手に広がる、石畳で舗装された開けた場所。
夜風が吹き抜けるその空間には、俺が簡易的に展開した【透明な拒絶】の応用結界が張られていた。これでどれほど派手な魔力や轟音が弾けようと、外の世界に漏れることはない。遮音性も抜群だ。
青い月の光の下、俺――神崎恭の正面には、戦闘陣形を敷いた『アニマの器』の五人が対峙していた。
最前線の中央には、身の丈ほどもある大剣を構えたハーフエルヴンの姉・藤原悠希。
その左右の遊撃位置には、左の義手にバチバチと紫電と火炎を纏わせる佐々木冬夜と、逆手に小剣を握るSランクの岡田瑞希。
そして後衛には、短杖を構えるフェリシア族の佐々木夏芽と、悠希の双子の妹・藤原莉子が控えている。
Aランク四名と、世界に十四人しかいないSランクが一名。 今のミラージュ・エデンにおいて、間違いなく最高峰と呼べるパーティだ。
「……手加減はいらねえぞ、お前ら。本気で殺すつもりで来い。そうじゃなきゃ、五秒で終わる」
俺が黒いコートの裾を夜風に揺らしながら静かに告げると、冬夜が獰猛に牙を剥いた。
「上等だ、神崎恭! 俺たちがこの十ヶ月、どれだけ死線を潜り抜けてきたか……その身体に刻み込んでやる! 行くぞ、みんなッ!!」
「「おう(ええ)!!」」
冬夜の咆哮とともに、五人が一斉に動いた。 まず動いたのは、パーティの要であるSランクの瑞希だ。
「【透明な拒絶】!」
瑞希の姿が、気配も足音もろとも空間から完全に消失する。 同時に、後衛の夏芽と莉子が、俺の足元と退路を塞ぐための広域制圧魔術をノータイムで発動させた。
「逃がさないよ! 【水土複合流・濁流の渦】! ――さらに【泥壁の城】!」
「お姉ちゃん、魔力を通すよ! 『共鳴増幅』――暴風の檻、展開!!」
ゴオォォォォッ!!
石畳を抉りながら巨大な水流と暴風の竜巻が俺の周囲を取り囲み、四方を分厚い泥の城壁が塞いで逃げ場を完全に奪い去る。 そこへ、大剣に重厚な魔力を宿した悠希が正面から地響きを立てて突進し、俺の意識を前へと釘付けにした。
「ハアァァァッ! まずは私が動きを止めるわ!」
乱れの無い美しい連携だった。 後衛の二人による退路の封鎖、タンクである悠希の正面突破、そしてその裏では、不可視となった瑞希が死角から俺の首筋を狙い、冬夜が最大火力の雷炎を左腕にチャージしながら上空へと跳躍している。上位竜すら屠った、彼ら自慢の必殺の布陣。
(……なるほどな。十ヶ月でここまで息の合った連携を仕上げたのは、素直に褒めてやるべきか)
だが――俺の目には、そのすべての動きと魔力の流れが、スローモーションのように透けて見えていた。 なぜなら、彼らが今使っている異能のすべては、すでに俺自身の体内に最適化された形で宿っているのだから。
「そこだッ! 【次元の刺突】!!」
正面の悠希の大剣が振り下ろされるコンマ一秒前、俺の背後の空間がグニャリと歪み、死角から現れた瑞希の小剣が俺の肩口(急所を外した峰打ちの軌道)へと超高速で突き出された。 空間そのものを飛び越える、本来なら回避不能の必中の一撃。
しかし、俺は振り返ることすらせず、ただ左手を背後へ軽く振るった。
「――【領域の切断】」
パァンッ!! とガラスが割れるような澄んだ音が響く。 俺の左手から放たれた空間切断の波動は、瑞希が歪めた「次元の通り道」そのものを外側から正確に断ち切った。
「なっ……!? 私の空間跳躍が、途中で切り離された……!?まさか、私の技?」
強制的に空間から弾き出され、空中で体勢を崩す瑞希。 俺はそのまま右足を半歩引き、正面から突っ込んできた悠希の大剣を、宮本玲奈から得た『赤黒い殺意の刃』を纏わせた右手の手刀だけで、正面から無造作に受け止めた。
ガキィィィンッ!!
「う、嘘……!? 私の全力の斬撃を、片手の手刀ひとつで……!?」
悠希が驚愕に目を見開く。 俺は手刀にわずかに力を込めて悠希を大剣ごと後方へと弾き飛ばすと、周囲を取り囲んでいた夏芽の泥壁と莉子の暴風の檻へ視線を向け、左手のひらをグッと握り込んだ。
「――闇よ、呑み込め」
優子さんから得た、冥界の『闇』の古代魔法。 俺の周囲に漆黒の重力場が展開された瞬間、荒れ狂っていた水と風の竜巻も、分厚い泥の城壁も、ミシミシと音を立てて黒い球体の中へと一気に吸い込まれ、跡形もなく圧縮・消滅させられた。
「きゃああっ!? わ、私たちの合体魔術が、一瞬で消された……!?」
「そんな……魔力の出力が、桁違いすぎるよ……っ!」
夏芽と莉子が蒼白になって声を上げる中、俺はさらに空いた指先で虚空を素早く三度なぞった。 宮本愛奈の具現化能力に『闇』の魔力を掛け合わせた、体長三メートルを超える三体の『黒い処刑獣』が瞬時に実体化し、体勢を崩していた瑞希、悠希、そして後衛の夏芽と莉子の目の前へと音もなく立ち塞がる。
「ぐっ……! この黒い化け物、一体一体の圧がAランクの魔獣以上だわ……!」
巨大な獣の群れに完全に進路と射線を塞がれ、四人の動きが同時に封じられる。 だが、その俺の行動すらも踏み台にして、上空から一つの巨大な閃光が落ちてきた。
「――もらったぜ、神崎ィィッ!! 俺の全力、受け止めてみろォォォッ!!」
空高く跳躍していた冬夜だ。 彼の左の義手には、周囲の大気を焦がすほどの紫電と赤熱の火炎が極限まで圧縮されている。上位竜の頭蓋を粉砕した、彼の最大火力奥義――【極限圧縮の雷炎】。
仲間の四人が俺の注意を引いた一瞬の隙に、すべての魔力を左拳ひとつに一点集中させた会心の急降下一撃。 冬夜の咆哮とともに、落雷の如き速度で灼熱の拳が俺の頭上へと振り下ろされた。
「……いい一撃だ、冬夜。だがな――」
俺は逃げることも避けることもせず、ただその場に立ったまま、自分の右腕を頭上へと真っ直ぐに突き上げた。 俺の右腕に渦巻くのは、冬夜から吸収し、俺の【死神】の権能によってさらに高次元へと昇華された、黒き太陽のような『黒炎と紫電』。そこへさらに、冥界の『白い光』の出力を重ね合わせる。
「本物の『限界突破』ってやつを、見せてやるよ」
――ドゴォォォォォォォンッ!!
二つの雷炎の拳が中庭の中心で正面から激突し、結界の内部が白一色に染まるほどの大爆発が巻き起こった。 凄まじい衝撃波が吹き荒れ、中庭の石畳が半径十メートルにわたってクレーター状に吹き飛ぶ。
「がっ……、ぐ、ああああぁぁぁっ!?」
激突からわずか一秒後。 力の奔流に真っ向から押し潰されたのは、冬夜の方だった。 俺の右拳から放たれた圧倒的な質量の黒炎と紫電が、冬夜の渾身の雷炎をいとも容易く呑み込んで霧散させ、その余波の風圧だけで冬夜の身体を後方へと激しく吹き飛ばしたのだ。
ドサァッ! と地面を何度も転がり、仰向けに倒れ込む冬夜。 左の義手からはプシューッと白煙が上がり、過負荷によって完全に機能が停止していた。
「お兄ちゃん!!」
「冬夜! 今行くわ――っ!?」
瑞希が再び空間を跳躍して駆け寄ろうとした、その瞬間。 俺は右手の指を、パチンと軽く鳴らした。
――『時間停止』。
松岡雅紀から得た、時を支配する権能。 爆風の煙も、宙を舞う石畳の破片も、そして冬夜へ駆け寄ろうとした瑞希や夏芽たちの姿も、すべてが灰色の静止した世界の中にピタリと凍りついた。
俺は静まり返った世界の中をゆっくりと歩き、倒れている冬夜の目の前に立つと、その喉元から数センチの場所に、空間切断の青白い刃を纏わせた右手をスッと添えた。 同時に、瑞希たちの前にいた三体の黒い処刑獣を消去し、止まったままの四人の首元にも、極小に圧縮した『光』の魔力弾をピタリと配置する。
そして――時間が、再び動き出した。
「――え?」
一歩踏み出そうとしていた瑞希の足が、急ブレーキをかけたように止まった。 自分たちの目の前にいたはずの黒い獣が消え、代わりに自分や夏芽、悠希、莉子の喉元のすぐ目の前に、いつ放たれたのかも分からない高密度の光の魔力弾が静止して浮かんでいたからだ。
そして、瑞希たちが視線を向けた先――。 数メートル離れた場所にいたはずの俺が、いつの間にか仰向けに倒れている冬夜の真上に立ち、その喉元に青白い次元の刃を突きつけて見下ろしていた。
「チェックメイトだな。」
「なっ……!? い、いつ、そこに……!? 気配どころか、移動した瞬間すら見えなかった……!?」
「う、嘘でしょ……。空間跳躍じゃない、時間そのものが飛んだの……!?規格外過ぎる。」
瑞希が戦慄に声を震わせ、夏芽と双子の姉妹も指一本動かせずにその場にへたり込んだ。 自分たちが十ヶ月かけて積み上げてきたAランク、Sランクとしての誇りも戦術も、目の前の男がほんの数秒間本気を出しただけで、赤子の手をひねるよりも簡単に、文字通り「完膚なきまでに」粉砕されたのだ。
地面に倒れたまま、喉元に突きつけられた冷たい刃を見つめていた冬夜は、しばらくの間、信じられないものを見るように呆然と目を見開いていたが――やがて、全身から力を抜いて大の字に寝転がり、乾いた笑い声を漏らした。
「……はっ、あははははっ! なあにが『俺たちの力を刻み込んでやる』だ……! 全力の一撃を片手で上からねじ伏せられた挙げ句、気づいたら首の皮一枚かよ……!」
冬夜は煙の上がる左の義手を顔の上に掲げ、心底参ったというように深く、長い息を吐き出した。 その瞳からは、先ほどまでの疑念や突っ張った棘が完全に消え失せ、圧倒的な「格上」の怪物を前にした純粋な畏敬と納得の色が宿っていた。
俺が右手の次元の刃をすっと消して手を差し伸べると、冬夜はその手をしっかりと掴んで立ち上がり、服の土埃を払って、これまでとは全く違う真っ直ぐな眼差しで俺を見て頭を下げた。
「……疑って悪かった。完全に俺たちの負けだ。あんたは間違いなく、俺たちなんかより遥かに上の次元の本物のバケモノだよ」
冬夜はニヤリと不敵に、けれどどこか頼もしそうに笑って言った。
「今日からあんたのことは『恭さん』って呼ばせてもらうぜ。……俺たち『アニマの器』の命も、Sランクの特権も、全部あんたに預ける。一緒に美憂さんを見つけ出して、その天獄にいるメフィストって野郎をぶっ潰しに行こうや、恭さん!」
「冬夜がそこまで言うなら、私たちも文句なしです! よろしくお願いします、恭さん!」
「うんっ! 恭さん、すごすぎたよぉ……!」
瑞希や夏芽、悠希、莉子も緊張を解いて駆け寄り、笑顔で頷く。 俺は「……ああ、頼りにしてるぞ、お前ら」と小さく口角を上げ、ここに、最凶の【死神】とSランクパーティ『アニマの器』による、反撃の同盟が結ばれた瞬間だった。
◆
――一方、その頃。 アルディシアから遥か西方の果て、黒き瘴気と荒涼とした大地が広がる『旧魔導領域ネルガル』。 その深淵にそびえ立つ黒曜石の古城の一室で、もう一つの奇妙な邂逅が幕を開けていた。
『マリア、目が覚めたかい? 急に倒れたから心配したよ。……入ってもいいかな?』
静かなノックの音とともに扉が開き、魔導師の黒いローブとつば広の帽子を纏った城の主――SSランクの魔女『九龍』が室内へと足を踏み入れてきた。
「あ……あなた、は……!?」
クラシカルな白と黒の侍女の制服に身を包み、ブロンドの髪を揺らして窓辺に立っていた私――如月美憂は、部屋に入ってきたその女性の顔を見た瞬間、呼吸の仕方を忘れたかのように凍りついた。
(う、そ……。た、高橋、優子さん……!?)
見間違えるはずがない。 黒いローブを纏い、紫がかった妖艶な瞳でこちらを見つめているその魔女の顔立ちは、私が原典世界の夜道でフィストに唆されて襲撃し、後藤光彦さんが命を懸けて守り抜いたあの女性――恭くんの先輩の妹である『高橋優子』と、寸分違わぬほど瓜二つだったのだ。
(な、なんでここに高橋優子さんが……!? ううん、違う……! 恭くんが言ってた、この世界には元の世界の人間と対になる『同位体』がいるって……! じゃあ、この『九龍』っていう魔女が、高橋優子さんのエデン側の同位体なの……!?)
頭の中が激しい混乱の渦に呑み込まれる。 しかも私は、オリジンでこの人の半身である優子さんを大鎌で殺そうとしてしまった張本人なのだ。もしその記憶や感覚がこの魔女にも共有されていたらと思うと、恐怖と罪悪感で心臓が破裂しそうになり、私は無意識のうちに後ずさって身構えた。
そんな私の激しい動揺を見て、九龍は帽子のつばの下でふっと紫の瞳を細め、値踏みするように私の頭の先からつま先までを眺めた。
「……ふむ。目が覚めた途端、ずいぶんと他人行儀な反応をするじゃないか。それにお前のその目つきと、体内に渦巻いている複数の異質な魔力の塊……どうやら、ただの貧血で倒れたわけじゃなさそうだね」
九龍が一歩、私へと近づく。 ただ歩み寄られただけなのに、肌がビリビリと粟立つような底知れない魔力の圧が部屋を満たした。
「で、お前、私の侍女のマリアじゃないね? ……マリアの器の中に、別の世界から強引に別の魂が入り込んでいる。いったい何者だい?」
「っ……! わ、私は……っ!」
たった一目で、この身体の中に別の魂が入っていることを見抜かれた。 どうしよう、なんと答えればいいのだろう。嘘をついてもこの魔女には絶対に見透かされる。 私が必死に言葉を探して口ごもっていると、九龍は私が彼女の「顔」を見て異様に怯えていることに気づいたのか、自分の頬に白い指先を添えて、くすりと妖しく微笑んだ。
「ああ、それともう一つ。お前、さっき私の顔を見た瞬間、まるで幽霊でも見たみたいに凍りついたね。……なるほど、お前がいた『あっちの世界』で、私と同じ顔をした女――『高橋優子』を見たことがあるんだね?」
「えっ……!? な、なんでその名前を……!?」
私が思わず声を上げると、九龍は「やっぱりね」と面白そうにクスクスと笑みを浮かべた。
「驚くことはないさ。あっちにいる『高橋優子』は、十年前にある目的のために自分自身の魂を二つに割ってオリジンへ飛び込んだ、私の片割れそのものだからね。記憶の大部分はあっちが持っていったけれど、彼女の性格の癖や、本来の能力、そしてあっちで『高橋優子』として暮らしていることくらいは、魂の根底でうっすらと把握しているのさ」
(そ、そうなんだ……。この人は優子さんのことを知ってる……! でも、今の話しぶりだと、つい先日、私がオリジンで優子さんを襲ったことまでは伝わっていないみたい……っ)
最悪の事態だけは免れたことに、私は内心でわずかに胸を撫で下ろした。 一方の九龍は、顎に手を当てて私をじっと観察しながら、小さく独り言のように呟いた。
(……それにしても、奇妙なタイミングね。少し前に私の片割れである優子がこのエデンの北の地に降り立った気配を感じたかと思えば、今度は私の城の侍女の器に、あっちの世界から複数の異能を持った魂が飛び込んでくるなんて……。これはきっと、世界の理が壊れ始める何かの『前触れ』に違いないわね)
九龍の紫の瞳に、研究者としての深い知的好奇心の光がよぎる。 私はゴクリと唾を飲み込み、彼女からどんな厳しい尋問や処罰が下されるのかと身を固くした。
ところが――。
「――まあ、いいわ」
九龍は、拍子抜けするほどあっけらかんとした調子で手をひらひらと振ったのだ。
「え……?」
「お前がどこの誰で、どんな事情でマリアの身体に入ったのかは知らないけれど、そんな事は私にとってはどうでもいいのさ。私は面倒事が嫌いでね、この城の掃除と洗濯、それにお茶の用意さえ今まで通りしっかり働いてやってくれるなら、中身が誰だろうと文句は言わないよ」
そう言い捨てて、九龍は本当に興味を失ったかのようにくるりと背を向け、部屋の扉へと歩いていく。 あんまりにもマイペースで淡白な態度に、私が「た、助かった……?」と呆気に取られて力を抜いた――まさにその時だった。
扉のノブに手をかけた九龍が、ピタリと足を止めた。 そして、長い黒髪を揺らしてゆっくりと首だけをこちらへ振り返り、三日月のように妖艶な笑みを浮かべて言ったのだ。
「――ああ、そうそう。ひとつだけ確認し忘れていたわ、新しいマリア」
紫の瞳が、私の奥底に眠る『光と闇』、そして複数の異能の魔力をロックオンするように妖しく輝く。
「お前、それだけ面白い魔力をいくつも抱え込んでるんだ……当然、『戦える』わよね?」
「……えっ?」
「ずっとこの城に引きこもって研究ばかりしていたせいか、少し身体が鈍っていてね。ちょうどいい、城の裏庭へ出て、ちょっと私の『運動相手』になってちょうだい。……断るなんて言わないわよね、私の可愛い侍女さん?」
有無を言わせぬSSランクの魔女のプレッシャーに、私――如月美憂の背筋に、冷たい汗がツーッと流れ落ちたのだった。




