シーン2:【死神】の品格
ランプの火がパチパチと小さく爆ぜる音だけが、張り詰めた作戦室に響いた。 扉を背にして立つ俺――神崎恭の言葉を前に、佐々木冬夜も、岡田瑞希も、そしてテーブルの向こうに控える夏芽や藤原姉妹も、まるで石像にでもなったかのようにピタリと固まっていた。
『お前たちを電車でこの「ミラージュ・エデン」へ送り込んだ張本人であり、お前たちにちょっとばかりデカい仕事を頼みに来た男だよ』
自分でも、もう少しオブラートに包んだ自己紹介があったんじゃないかとは思う。だが、残された時間は一週間しかないのだ。回りくどい探り合いをしている暇はなかった。
一秒、二秒、三秒。 永遠にも感じられるような奇妙な静寂が室内を満たし――そして次の瞬間、堰を切ったように五人の思考が同時に爆発した。
「……っ、お、おい待て! いま何つったあんた!? 俺たちを電車でこの世界へ送り込んだ張本人だとォ!?」
「で、電車って……あの夜、私が飛び込んだ駅のホームの回送電車のことですか!? なんであなたがそれを知ってるんですか!?」
「ちょっと待って、じゃあ冬夜お兄ちゃんや瑞希ちゃんがこっちの世界に来たのって、事故じゃなくてこの人のせいってこと!?」
「わ、私たちの本名まで知ってるなんて……あ、あなた一体何者なの!?」
「お姉ちゃん、下がって! もしかしたらルミナスの教団が差し向けた新しい刺客かもしれないよ!」
ドタドタッと一斉に距離を詰められ、五方向から全く別の角度の怒号と疑問が機関銃のように飛んでくる。 冬夜の左の義手からはバチバチと紫電の火花が散り、瑞希の小剣の切っ先は俺の喉元から数センチのところで揺れ、夏芽と双子の姉妹は今にも魔術をぶっ放しそうな勢いで杖と大剣を構えていた。
「お、おい、ちょっと待て。落ち着けお前ら、一気に喋るな」
「落ち着けるわけねえだろ!! 十ヶ月だぞ! 十ヶ月前、俺は終電のホームで線路に落ちて、走ってきた電車に轢かれたんだ! あの電車の運転席にいたのがあんたと言うのかよ!?」
「私もです! あの雨の夜、私が飛び込んだ電車を運転していたのが神崎さんなんですか!? そもそも『送り込んだ』ってどういう意味ですか、ただの人身事故じゃなかったんですか!」
冬夜が胸ぐらを掴まんばかりの勢いで顔を近づけてきて、瑞希が信じられないほどの剣幕で反対側から詰め寄ってくる。 その後ろからは夏芽が猫耳を逆立てて「お兄ちゃんたちを騙した悪い人なら許さないんだから!」と威嚇し、悠希と莉子も「私たちのバス事故とも関係があるんですか!?」「ちゃんと説明してください!」と声を重ねてくる。
「……うっ」
俺は思わず半歩後ずさり、引きつる頬をポリポリと掻いた。
(……まいったな。自室のモニター越しにコーヒー飲みながら見てた時は気楽だったが、いざ生身で面と向かうと、こいつら想像以上にガツガツ来てめんどくせえな……!)
画面の向こうで彼らが苦悩したり戦ったりしているのを、神の視点から冷静に俯瞰していた時は、自分がすべてをコントロールしているような気でいた。 だが、実際に目の前にいるのは、理不尽な異世界に放り込まれてから十ヶ月間、血反吐を吐きながら死線を潜り抜けてきた生身の少年少女たちだ。その熱量と圧力をゼロ距離でぶつけられると、さすがの俺もペースを乱されてタジタジになってしまう。
「わ、わかった、全部説明する! 説明するから、まずはその物騒な義手と刃物を引っ込めろって。俺は敵じゃない、ルミナスの教団とも一切関係ないから!」
「……本当でしょうね?」
「嘘をつく理由がないだろ。殺す気なら、お前らが気づく前に外から部屋ごと空間を切り裂いてるよ」
俺が両手を上げて降参のポーズをとると、瑞希は冬夜と視線を交わし、わずかに小剣の切っ先を下げた。 それでも警戒は解かないまま、冬夜が顎で部屋の隅にある椅子を示した。
「……そこに座れよ、神崎恭とやら。少しでも怪しい動きをしたら、容赦なくこの雷炎で消し炭にする。……それでいいな?」
「ああ、構わないさ」
俺は言われた通りに木製の椅子を引き寄せ、コートの裾を払って腰を下ろした。 対面のテーブルを挟んで、冬夜たち五人が扇状に並び、食い入るような視線で俺を見据えている。
「じゃあ、何から話せばいい……と言いたいところだが、まずはお前たちの疑問にまとめて答えておこう」
俺は深く息を吐きだし、先ほどまでのタジタジとした空気を拭い去って、真面目なトーンで口を開いた。
「結論から言うと、冬夜、瑞希。お前たちが原典世界――つまり元の日本の駅のホームで轢かれた電車は、ただの電車じゃない。俺が神様から授けられた【死神】の権能――『幻影電車』だ」
「幻影、電車……? 【死神】の権能……?」
「ああ。線路に落ちたり飛び込んだりして、本来なら現世で命を落とすはずだった人間の『事故の事象』を書き換え、肉体と魂ごとこの世界へと転移させる能力だ。俺は鉄道会社の車掌として働きながら、その力で何人かの人間をこっちの世界へ送り出した。……そして、送り出したお前たちがこの世界でどう生きているのか、俺はずっとあっちの世界から『観測窓』っていうモニター越しに見ていたんだよ」
「「なっ……!?」」
五人が同時に息を呑み、目を丸くした。
「み、見ていたって……じゃあ、私たちがアビス・ヴァレーで苦労していた時も、ルミナスの地下で戦っていた時も、全部ですか!?」
「ああ。ヴァルハイトの霊峰で上位竜を温度差でぶっ壊したのも、グラニアの樹海で瑞希が幼馴染の佐伯朋美と決着をつけたのも、そのあとクロムウェルって執行者をSランクのカード一枚で追い返したのも、全部見てたぞ」
俺がさらりと具体的な出来事を並べ立てると、夏芽が「ひゃあっ!? な、なんか恥ずかしいよぉ!」と両手で顔を覆い、瑞希も「じゃあ、私の黒歴史の二つ名でからかわれてたところまで……!?」と耳まで真っ赤にしてテーブルに突っ伏しかけた。 だが、冬夜と悠希だけは険しい表情を崩さず、鋭く一歩踏み込んできた。
「……待てよ。俺と瑞希を送り出したのがあんたというのは分かった。じゃあ、夏芽や、悠希と莉子、それに佐伯朋美たちはどうなんだ? あいつらは電車じゃなくて、バスツアーやトンネルのバス事故に巻き込まれて、この世界の住人の身体に『転生』してるんだぞ。それもあんたの仕業なのか!?」
「いいや、そっちは俺じゃない。……俺の恋人である、如月美憂の力だ」
「「……っ! 如月、美憂……!!」」
その名前を出した瞬間、悠希と莉子、そして夏芽の瞳が大きく揺れた。
「あの時の、バスガイドの美憂さん……! やっぱり、あの不思議な光で私たちをこの世界へ送ってくれたのは、美憂さんだったんですね!」 悠希がテーブルに手をつき、身を乗り出して声を上げた。
「トンネルで松岡先生がナイフを持って暴れてバスが横転した時、私たちは潰れた車体の下敷きになって死にかけていました。それを、美憂さんが苦しみから救うために助けてくれたんです!」
「私もだよ! 最初のバス事故の時、生死の境をさまよう私の手を握って、美憂さんが助けてくれたんだもん! 美憂さんは今、元の世界でどうしてるの!?」
双子の姉妹と夏芽が、命の恩人である美憂の安否を気遣うように声を張り上げる。 俺は小さく息を吐き、彼女たちが知る由もなかった残酷な経緯を告げた。
「……お前たちがこっちの世界へ送られた後、美憂はずっと地獄を見てきたよ。トンネルの事故で一人だけ現場に残った伊藤南が、松岡を庇って『バスガイドの女が乗客を皆殺しにした』と警察に嘘の証言をしたせいでな。美憂は日本中から大量殺人鬼として指名手配され、半年間、たった一人で逃げ続けていたんだ」
「えっ……!? な、なんですかそれ……!?」
「ひどい……! 美憂さんは私たちを助けてくれた恩人なのに、殺人鬼だなんて……っ!」
言葉を失い、悔しそうに拳を握りしめる悠希と夏芽。
「だが安心しろ。ついさっき、俺が美憂に直接会って『お前が助けた夏芽や藤原姉妹たちは、みんな向こうの世界でちゃんと生きて感謝してる』って伝えてやったさ。あいつ、ボロボロ泣いて救われてたよ」
「美憂さんに、会えたんですね……! よかった……!」
「ああ、一度はな。……だが、そこからが俺がここへ来た本題だ」
俺は声を低く落とし、五人の顔を順番に見渡した。
「お前たちがルミナスの地下禁書庫で調べたと思うが、成り代わりした後の魂は何処かに飛ばされると認識している筈だ。俺は既にその答えを得ていて、答えは【天獄(月)】に送られるんだ。あれは、2層世界と1層世界の境目にあるゲートの役割を果たしている。その2層世界にいる悪魔――『メフィスト』っていう野郎が、十年前に美憂の家族を惨殺した上で、神『フィスト』という別人の仮面を被って美憂に近づき、復讐を餌に【刈り取る者】という大鎌を渡して利用していたんだ」
俺は、これまで起きたすべての裏側を、包み隠さず彼らに話して聞かせた。 美憂が半年間、殺人鬼の汚名を背負いながら逃亡していたこと。 メフィストの真の目的が、エデンから玉突きで弾き出された本来の持ち主の魂を『天獄(月)』で回収し、つぎはぎの怪物を作る【ソウルイーター計画】であったこと。 そしてつい数時間前、廃工場で俺がメフィストを追い詰めた土壇場で、奴がオリジナルの大鎌を使って美憂自身の魂を刈り取り、このエデンのどこかにいる美憂の同位体の身体へと強制的に飛ばしてしまったことを。
「美憂さんが……このエデンのどこかに飛ばされた……!?」
「それだけじゃない。美憂がエデンの同位体に入ったことで、玉突きで押し出された『エデン側の美憂の同位体の魂』が天獄へ落ちた。俺に片腕を切り落とされたメフィストは、計画を『ソウルイーター計画・改』へと変更し、天獄にいるルナちゃんたちの魂と、十年前の犠牲者の魂、そしてエデン側の美憂の魂を全部まとめて回収するために、今まさに天獄へ戻っている」
「なっ……!? じゃあ、天獄にいるルナちゃんやエリスたちの魂が危ないってことか!?」
冬夜が顔色を変えて立ち上がった。夏芽や悠希、莉子も蒼白になって息を呑む。
「落ち着け。今すぐ奪われるわけじゃない。天獄には俺の協力者である女神ベルゼと、後藤光彦っていう頼れる調査員がいてな、ルナちゃんたち五人の魂を安全な結界の中で保護してくれてる。あいつらが命懸けで防衛網を張って、手負いのメフィストの侵攻を食い止めてくれているんだ」
俺はテーブルの上に、指を一本立てて突きつけた。
「だが、光彦たちが天獄でメフィストを抑え込める限界は、最大で『一週間(七日間)』だ。一週間を過ぎれば障壁は破られ、ルナちゃんたちの魂もすべてメフィストに喰われる。……だから俺は、その一週間のうちにこの広いエデンから美憂を探し出し、俺の【幻影電車】でお前たち『アニマの器』を全員乗せて、エデン側からあの空に浮かぶ『月(天獄)』のメフィストの喉元へ直接殴り込むつもりだ」
静まり返る作戦室に、俺の言葉が重く響き渡った。 美憂の魂には、俺の『観測窓』は繋がっていない。夏芽たちが持つバイパスから大まかな方角や気配を探ることもできないため、この広大なエデンから一週間以内に美憂を見つけ出すには、世界で十四人目のSランク冒険者となった瑞希が持つ「大陸全土のギルド情報網」と「特務調査権」を使って足で割り出すしかないのだ。
「お前たちは、自分たちに身体を貸してくれているルナやエリスたちの元の魂を救い出したい。俺は、エデンに飛ばされた美憂を見つけて、天獄のメフィストをぶっ潰したい。……俺たちの最終目的地は、一致している。『天獄』だ。だからこそ、お前たちのSランクパーティ【アニマの器】の情報網と戦力を、俺に貸してほしい」
俺が真っ直ぐに五人を見つめて頭を下げると、瑞希と夏芽、そして悠希と莉子は互いに顔を見合わせ、強い決意を宿した瞳で頷き合った。
「……美憂さんは、私たちの命の恩人です。その美憂さんがこの世界のどこかで一人ぼっちで困っているなら、絶対に放っておけません!」
「うん! それに、天獄っていう場所にルナちゃんやセシリアちゃんの魂が無事でいてくれてるなら、私たちが助けに行かなきゃ!」
「私のSランクの権限で使えるギルドの情報網、すべて動かします。一緒に美憂さんを探しましょう、神崎さん!」
女性陣四人が即座に賛同の声を上げる。 だが――その中でただ一人、腕を組んで黙り込んでいた佐々木冬夜だけが、鋭い三白眼で俺をじっと睨み据えていた。
「……おい、神崎さん」
冬夜の低く落ち着いた声が、室内の空気を再びピンと張り詰めさせた。
「あんたの事情も、俺たちの利害が一致してるって話もよく分かった。美憂って人が夏芽たちの恩人なら、俺だって全力で借りは返したいと思ってる」
冬夜はゆっくりと一歩前へ進み出て、左の黒鉄の義手を俺の目の前へと突きつけた。
「だがな、いきなり現れたあんたの口先だけの説明で、大事な仲間たちの命を預けて『はいそうですか』と突っ込めるほど、俺はお人好しじゃねえんだよ。……俺たちはこの十ヶ月、何度も死にかけながら必死に強くなってここまで来た。あんた、本当に俺たちを巻き込んで、そのメフィストって奴をぶっ潰せるだけの『強さ』があるのか?」
冬夜の真っ直ぐで不遜な視線――俺はその視線を受け止めるた途端に口元が、自然と三日月型に吊り上がった。
「……ふっ。いい目をするようになったじゃねえか、佐々木冬夜。十ヶ月前、駅のホームで死にかけていた頃とは別人だな」
俺は椅子からゆっくりと立ち上がり、羽織っていた黒いコートのボタンを外した。
「 ――なら、試してみるか?」
俺がポケットから両手を抜き、軽く指先を鳴らした、その瞬間だった。
――ズオォォォォォンッ!!
部屋の中の空気が、物理的な質量を持ったかのように重く沈み込んだ。 オリジンでの五〇パーセントの制限すら完全に外れ、一〇〇パーセントのフルスペックで解放された俺の【死神】の権能。 右手のひらには、冬夜自身のものよりも遥かに高密度に圧縮された『紫電と黒炎』、そしてすべてを浄化する『白い光』が渦を巻き、左手のひらには、空間そのものを削り取る『青白い次元刃』と、底なしの重力を孕んだ『漆黒の闇』が同時に顕現する。
「っ……!? な、なんだ、この魔力は……!?」
「う、嘘でしょ……!? 冬夜の雷炎と、私の空間の力……それに、見たこともない光と闇の魔力を、一人で同時に練り上げてる……!?」
圧倒的な魔力の奔流に当てられ、夏芽と双子の姉妹が悲鳴を上げて後ずさり、Sランクである瑞希ですら額に冷や汗を浮かべて小剣の柄を握りしめる。 正面に立つ冬夜の左の義手が、俺の放つ同質の雷炎のプレッシャーに共鳴してビリビリと激しく震えていた。
俺は冷徹な【死神】の双眸で五人を見下ろし、静かに、しかし絶対的な覇気を込めて言い放った。
「口先だけの説明じゃ信用できねえって言うなら、身体で教えてやるよ。おっとその前に、狭い部屋を壊すわけにはいかないからな。」
再び、指を鳴らすと空間がグニャリとして、突然目の前の風景が変わった。
俺は、今の一瞬の出来事に呆然と息を呑む冬夜と瑞希に向かって、不敵に顎をしゃくってみせた。
「さぁ、遠慮はいらない。SランクだろうがAランクだろうが――かかってこい。お前ら五人、全員まとめて相手してやるよ」




