シーン10:追跡の狼煙
光すら届かない【天獄】の外郭、冷たく淀んだ暗黒の空間。 後藤光彦の呼びかけによって意識と輪郭を取り戻した五人の少女たちは、半透明に揺らめく自らの手足を見つめながら、震える声で互いの存在を確かめ合っていた。
「……わたし、本当に死んじゃったの……? お父さんとお母さんは……薬草店はどうなっちゃったの……?」
頭頂部の猫耳をぺたんと伏せ、今にも泣き出しそうに瞳を潤ませているのは、フェリシア族の幼い少女――ルナだった。 その隣では、長い耳を持つハーフエルヴンの双子、エリスとエレナが互いの肩を強く抱き寄せ合い、周囲の異様な暗闇を警戒するように見回している。
「落ち着いて、エレナ。……たしか私たちは、ルミナスの家で流行病に倒れて、そのまま意識を失ったはずよ。ここは……死後の世界なの……?」
「お姉ちゃん……わたし、怖いよ……。なんだかすごく冷たくて、さっきまで暗い夢の中をずっと一人で落ちていくみたいだった……っ」
そして少し離れた場所では、腰から下が巨大な八本の蜘蛛の脚になっているアラクネの少女・セシリアが、自分の異形の姿を恥じるように暗がりへ身を縮めていた。
「あ、あの……ごめんなさい……。わたしが近くにいると、みなさんを怖がらせちゃいますよね……」
「ちょっとあんた、こんな訳の分からない場所で謝ってる場合じゃないでしょ!」
怯えるセシリアにハッパをかけたのは、艶やかな蛇の下半身をうねらせるラミアの女冒険者・メーリアだった。彼女は気丈に振る舞ってはいるものの、つい先刻までネルガルの野営地で仲間たちと笑い合っていた記憶が生々しく残っているのか、自身の透けた手のひらを見て激しい困惑を隠せずにいた。
「わたしはネルガルの森で野営をしてたはずなのよ。いきなり胸の奥を抉られるみたいな激痛が走って、気づいたらこんな真っ暗な場所に放り出されてた……。ねえ、そこのお兄さん! あんた、さっきわたしたちに声をかけてくれたわよね!? ここがどこなのか、わたしたちがどうなっちゃったのか、知ってるなら全部教えてちょうだい!」
メーリアの切実な問いかけに、ルナやエリスたちも一斉に光彦へと視線を向けた。 種族も年齢もバラバラな五人の少女たちから注がれる、すがるような眼差し。光彦は「まいったな」と内心で苦笑しつつも、彼女たちをこれ以上不安にさせないよう、意識して明るく穏やかな笑顔を作ってみせた。
「うん、いきなりこんな暗い場所に飛ばされて、本当に怖かったよな。まずはみんな、無事でよかったよ」
光彦は宙に浮いたまま、ルナの小さな目線に合わせるように少しだけ高度を下げ、五人全員に聞こえるようにゆっくりと話し始めた。
「まず最初に、一番大事なことから伝えるね。……君たちは『完全に死んで消滅した』わけじゃないんだ。君たちがいた世界――ミラージュ・エデンにある君たちの身体は、今もちゃんと生きて動いてるよ」
「え……? わたしたちの身体が、生きてる……?」
ルナがぱちくりと目を瞬かせ、エリスが信じられないというように息を呑んだ。
「そう。ちょっと信じがたい話になるけど、この世界は一つじゃないんだ。君たちが暮らしていた『ミラージュ・エデン』とは別に、『オリジン』っていうもう一つの世界がある。……ある悪い神様の企みで、そのオリジンで命を落としかけた人間たちの魂が、強引にエデンへ送り込まれてね。結果として、その人たちの魂が君たちの身体に『成り代わる』形で入っちゃったんだよ」
「な、成り代わるって……じゃあ、わたしたちの身体は、別の世界の人間に乗っ取られたっていうの!?」
メーリアが顔を青ざめさせて声を荒らげる。 無理もない。自分の肉体と日常を突然見知らぬ誰かに奪われたと言われれば、怒りや絶望が湧くのは当然のことだ。だが、光彦は静かに首を横に振った。
「乗っ取ったっていうと聞こえが悪いけど、君たちの身体に入った向こうの世界の子たちも、自分で望んでそうしたわけじゃないんだ。事故や事件に巻き込まれて、気づいたら君たちの身体の中で目を覚ました……言ってみれば、あの子たちも神様の実験に巻き込まれた被害者なんだよ」
(確か、神崎さんやブラフさんから聞いた話だと……エデンでは、あの少年少女たちが元に戻る方法を探して戦ってくれているんだったな……..)
光彦は事前に聞いていた情報を元に、優しい笑顔を作って五人に語りかけた。
「それにね、安心していいよ。今、エデンでは君たちの身体に入った子たち――特にルナちゃんやエリスさん、エレナさんの身体を使っている子たちが、自分たちが君たちの身体を奪ってしまったことにすごく心を痛めててさ。『元の持ち主である君たちの魂を絶対に救い出して、身体を返す方法を見つける』って、命懸けで世界中を旅して戦っているんだ」
「……っ! わたしの身体に入った子が……わたしを助けるために……?」
ルナが両手で小さな口元を覆い、ぽろぽろと涙をこぼした。 隣で聞いていたアラクネの少女・セシリアも、おずおずと胸に手を当てて顔を上げる。
「あの……わたしの身体に入った人も、わたしの代わりに人間さんと仲良く生きてくれているんでしょうか……?」
「ああ、最初はちょっと色々あったみたいだけど……今は立派な師匠の下で、君の分まで真っ当に生きようと頑張ってるみたいだよ。だから、君たちの居場所が永遠に失われたわけじゃない。俺たちもこっち側から協力して、必ず君たちを元の身体に戻す道を見つけるからさ」
光彦が力強く請け負うと、張り詰めていた五人の表情から、ようやく絶望の色が和らいでいった。 エリスとエレナは「私たちの身体を使ってくれている人が、そんなに一生懸命戦ってくれているなんて……」「うん、なら私たちもここで希望を捨てちゃダメだね、お姉ちゃん」と頷き合い、メーリアも「……ふん。勝手に人の身体に入ったのは腹が立つけど、元の身体に戻れる可能性があるなら、あんたの言葉を信じてあげるわ」と腕を組んで息をついた。
「ありがとう、みんな。理解が早くて助かるよ」
光彦がほっと胸を撫で下ろしたところで、彼はふと周囲の広大な暗闇へ視線を巡らせ、五人に尋ねた。
「ところでさ。俺が声をかける前、君たちはここで眠ってるみたいな状態だったと思うんだけど……この天獄の暗闇の中で、他に誰かの気配を感じたりしなかったかい?」
十年前にオリジンから拉致された犠牲者たちの魂。光彦がここへ来る途中に感じた微かな残滓の他に、まだ生き残っている魂があるのではないかと考えての質問だった。 すると、一番長くこの空間を漂っていたルナが、何かを思い出すように猫耳をピクリと揺らした。
「……あのね、お兄さん。わたし、意識がぼんやりしてた時……ずっと遠くの方から、たくさんの人の『声』が聞こえてたの」
「たくさんの人の声?」
「うん。エリスさんたちよりも、もっとずっと前からここにいる人たちみたいで……『見つかったら連れていかれる』『早く隠れて』って、何かにすごく怯えて逃げ惑ってる声が、あっちの奥からずっと響いてたの……」
ルナが小さな指で差したのは、ベルゼが幽閉されている中心部とは正反対の方向――天獄の外郭のさらに深い暗闇の底だった。 エリスとセシリアも、ルナの言葉にハッとしたように頷く。
「そういえば、私も眠っている間に何度か感じたわ。あっちの奥に、たくさんの魂が身を寄せ合って隠れているような気配が、以前からずっとあったの」
「わたしもです……。なんだかすごく悲しくて、必死に助け合っている『集まり』みたいな気配がして……。でも、あっちの方には黒くて冷たい霧みたいな壁が渦巻いていて、わたしたちが近づこうとしても弾き返されちゃうんです」
少女たちの証言に、光彦の双眸が鋭く細められた。
(何者かから逃げ惑う、たくさんの魂のコミュニティ……。間違いない、十年前のオリジン大虐殺でメフィストに拉致された被害者たちの生き残りだ。実験材料にされるのを逃れて、天獄の死角に集まって隠れ住んでるんだな)
だが、同時にセシリアが言った「黒くて冷たい霧のような壁があって近づけない」という言葉も引っかかる。おそらくメフィストが張った隔離結界か、あるいは天獄特有の次元の歪みが障壁となっているのだろう。
(あっちのコミュニティもすぐに調べに行きたいところだけど……今はまだ、目覚めたばかりのこの子たちをこんな吹き溜まりに置いていくわけにはいかないな。万が一、メフィストの手下にでも見つかったらたまったもんじゃない)
優先順位は明確だった。まずは無防備なエデンの魂たち五人を、天獄内で最も安全な場所――女神ベルゼの神気が満ちている最奥の封印の間へと避難させるのが先決だ。
「教えてくれてありがとう、ルナちゃん、みんな。……あっちの奥にいる人たちのことは、後で俺がしっかり調べてくるよ。まずは君たちを安全な場所へ案内するから、俺についてきてくれるかい? 奥にちょっと口は悪いけど、めちゃくちゃ頼りになる綺麗な女神様がいるからさ」
「女神様……?」
「うん。その人のそばにいれば、悪い奴らも手出しできないからね。さ、はぐれないようについてきて!」
光彦が先頭に立って手招きすると、ルナたち五人の少女は互いに手を取り合いながら、光彦の背中を追って暗黒の空間をふわりと移動し始めた。
◆
数時間後。天獄の最奥部にある巨大な封印の間。 幾重もの神聖な鎖に繋がれたまま、手持ち無沙汰そうに待っていたベルゼは、通路の暗がりから戻ってきた光彦の姿を見て『おお、戻ったか後藤光彦! して、外郭の様子はどうじゃった――』と声をかけたところで、ピタリと動きを止めた。
「ただいま戻りましたー、ベルゼ様! いや〜、見ての通り大収穫っすよ!」
にこやかに手を振る光彦の背後から、猫耳の幼女、ハーフエルヴンの双子、下半身が蜘蛛の少女、さらには下半身が蛇の女性という、種族も見た目もてんでバラバラな五人の半透明な少女たちが、ひょっこりと顔を覗かせたのである。
『…………は?』
神界の誇り高き元空挺部隊長は、思わず間の抜けた声を漏らして目をパチクリとさせた。
『な、なんじゃその大所帯は!? 貴様、ただ様子を見てくると言って出て行ったはずじゃろうが! なんでそのような異種族の娘たちをゾロゾロと引き連れて戻っておるのじゃ!?』
「いやあ、外郭で人魂みたいにぷかぷか浮いてたんで、声をかけたら意識が戻って本来の姿になったんすよ。この子たちが、例の【刈り取る者】でエデンから玉突きで弾き出されてきた、本来の器の持ち主たちっす」
光彦が説明すると、五人の少女たちは、目の前の神々しい鎖に繋がれた美しい女神の姿に圧倒され、緊張した面持ちで一斉にぺこりと頭を下げた。
「あ、あの……わたし、フェリシア族のルナといいます……!」
「エリスと、妹のエレナです。急にお邪魔してしまって、申し訳ありません……」
「セ、セシリアです……」
「わたしはメーリアよ。あんたが、このお兄さんの言ってた女神様……?」
礼儀正しく挨拶する少女たちを前に、ベルゼは『う、うむ……』と威厳を取り繕うように咳払いをした。
『なるほどな。貴様らが、神崎恭の送った者や如月美憂の因果によって器を奪われ、この天獄へと弾き飛ばされてきたエデンの魂たちか。……よし、もっと近くへ寄るがよい』
ベルゼが封印陣の中から優しく手招きすると、床に刻まれた神聖な魔法陣が淡く温かな光を放ち、封印陣のすぐ外周に心地よい光の領域を作り出した。 ルナたちがその光の中に足を踏み入れると、天獄特有の骨まで凍えるような冷気がすっと消え去り、少女たちの顔に安堵の色が広がる。
「わぁ……すごく、あたたかいです……!」
『ふふん、当然じゃ。我は今こそこのような鎖に縛られておるが、我が神気の余波が届くこの部屋の中であれば、メフィストの瘴気も雑魚の魔の手も絶対に入っては来られん。元の肉体へ戻る道が見つかるまで、我が直々に護ってやるゆえ、ここで安心して羽を休めておるがよい』
「ありがとうございます、ベルゼ様……!」
ルナやセシリアたちが笑顔でお礼を言うと、ベルゼはまんざらでもなさそうに鼻を高くして頷いた。 光彦は「いや〜、やっぱりベルゼ様は頼りになるなぁ」と感心しつつ、声を少し落としてベルゼに報告を続けた。
「それでベルゼ様。この子たちから聞いたんすけど、外郭のさらに奥――黒い霧みたいな障壁で近づけない場所に、以前からずっと『何者かから逃げ惑うたくさんの魂の気配』があるそうなんすよ」
『なに……? 近づけぬ障壁の奥に、他の魂の集まりがあるじゃと?』
「ええ。おそらく、十年前にオリジンから拉致された被害者たちの生き残りが、メフィストの実験から逃れてコミュニティを作ってるんだと思います。この子たちをここで預かってもらえれば、俺一人でその障壁の奥も調査しに行けますけど……まずは一度、ここまでの状況を地上の神崎さんたちに報告しときましょうか」
『うむ、それがよかろう。恭のやつも、エデンの娘たちの魂がどうなっておるか気にかけておったからの』
ベルゼが頷き、再び地上の神崎恭の部屋へと通信の回線を開いた。
◆
原典世界、恭の自室。 空間に再び展開された『観測窓』の向こうには、先ほどとは打って変わって賑やかになった天獄の最奥部が映し出されていた。 ベルゼの封印陣のすぐ傍で、猫耳のルナ、ハーフエルヴンのエリスとエレナ、アラクネのセシリア、そしてラミアのメーリアの五人が、半透明の姿ながらも落ち着いた様子で身を寄せ合っている。
「――ってなわけで、神崎さん! エデンから弾き出されてた五人の魂を無事に発見して、ベルゼ様の部屋の安全圏に保護しましたよ!」
画面の向こうでピースサインを作る光彦の姿と、その後ろで少し緊張しながらこちらを見つめている五人の少女たちの姿を見て、恭はパイプ椅子から身を乗り出し、大きく息を吐いた。
「……そいつらが、夏芽や藤原姉妹、佐伯朋美や伊藤南が向こうで肉体を奪ってしまった『本来の持ち主たち』か。消滅せずに五人とも意識と姿を保っていたんだな」
「はい! みんなに事情を話したら、エデンで冬夜くんたちが自分たちを救う方法を探してるって聞いて、すごく安心したみたいっす。……あと、この子たちの話だと、天獄のさらに奥の近づけない領域に、十年前のオリジンの被害者らしき魂たちが逃げ込んでコミュニティを作ってる気配があるそうなんで、次はそっちの調査に行ってみようと思います」
手際よく的確な光彦の報告。 もし光彦が天獄へ吸い込まれず、ベルゼが一人で封印されたままだったら、外郭で怯えていたルナたちの魂はいずれメフィストに回収され、『魂キメラ』の材料としてすり潰されていたかもしれない。 冬夜たちがエデンで命を懸けて守ろうとしている「約束」の根幹を、光彦が天獄側で繋ぎ止めてくれたのだ。
恭は真っ直ぐに画面の中の青年を見据え、普段の皮肉めいた態度を消して、静かに、しかし心の底からの誠意を込めて言った。
「……助かった。本当にありがとう、光彦」
これまでずっと苗字で呼んでいた恭の口から出た、名前での呼びかけと率直な感謝の言葉。
画面の向こうで、光彦が一瞬だけきょとんと目を丸くし――すぐに嬉しそうに顔を綻ばせて、照れくさそうに鼻の下を擦った。
「へへっ、神崎さんに名前で呼んでもらえるなんて、死んでみるもんっすね! ま、同じマンションのよしみってことで、天獄のことは俺とベルゼ様にドーンと任せといてくださいよ!」 『うむ! そちらに跳んだサラのことも、エデンの行く末も、そして美憂のことも……すべて繋がっておるのじゃ。恭よ、地上でのメフィストの動きにはくれぐれも気をつけよ!』
「ああ。そっちも無理はするなよ、光彦、ベルゼ」
恭が頷き、天獄との通信回線を閉じた、まさにその直後だった。
――バンッ!!
静まり返っていた恭の部屋のドアが、廊下側から勢いよく押し開けられた。 肩で荒い息を吐きながら部屋へ飛び込んできたのは、先ほどまで別の場所で神界の監視網と情報端末をフル稼働させていた高橋尚人――神たるブラフだった。
「……高橋先輩? どうしたんですか、そんなに慌てて」
椅子から立ち上がった恭に向かって、ブラフは普段の穏やかな先輩の仮面を完全にかなぐり捨て、鋭く緊迫した神の眼差しで手元の携帯端末の画面を突きつけた。 そこに表示された都内のマップの一点に、赤く明滅する不吉な魔力反応のマーカーが浮かび上がっている。
「――神崎、見つけたぞ。ついさっき、都内の廃工場エリアで微かな『光と闇』の魔力波長と、歪んだ空間バイパスの残滓が引っかかった」
ブラフの低く張り詰めた声が、狭いワンルームの空気を一瞬にして張り詰めさせた。
「如月美憂の現在地が割れたぞ……! まだそこを動いていない、今すぐ向かえば確実に接触できる!」
「……ッ!!」
その言葉を聞いた瞬間、恭の双眸に、すべてを射抜くような烈火の覚悟と冷徹な光が宿った。 美憂が失踪してから半年。電話も繋がらず、メフィストの掌の上で孤独に血の涙を流しながら罪を重ねてきた愛しい恋人へ、ついに直接手が届く瞬間が来たのだ。
「……よくやってくれましたね、先輩。すぐに行きますよ」
恭はハンガーにかけてあった黒いコートを乱暴に鷲掴みにすると、迷うことなく部屋の出口へと駆け出した。




