シーン7:十四人目の頂
大樹海を覆っていた不気味な濃霧が完全に晴れ、木々の隙間から眩い朝日が差し込んでいた。
遺跡の広場では、意識を取り戻したアルディシア支部のAランク冒険者――『紅蓮の双牙』レイヴンと『鉄壁の操盾』オルガの二人が、ガルドからの説明を受けて複雑な表情を浮かべていた。
「……なるほどな。俺たちを襲ったのは、樹海の奥に潜んでいた古の変異種魔獣……そういうことにするわけか、ガルド」
首筋の痛みをさすりながらレイヴンが呟くと、隣で巨大な塔盾を背負い直したオルガも、ガルドの後ろで小さく身を縮めている朋美を一瞥してため息をついた。
「操られて醜態を晒した挙げ句、Bランクになりたての若造たちに抑え込まれたとあっては、Aランクとしての私たちの顔も潰れる。グラニアの『翠嵐』が責任を持ってその娘を預かるというなら、異論はないわ」
「話が早くて助かるぜ。恩に着る」
ガルドは豪快に笑うと、すっかり魔力が回復して人間の少女の姿【人化】を取り戻した朋美の肩をバンッと叩いた。
「そういうわけだ、瑞希、それに『アニマの器』の連中。俺はこの新入りを連れて西のグラニア支部へ戻る。お前たちはこの二人を連れて、アルディシアのギルドマスターに完了報告をしてきな」
「はい、ガルド先輩! 本当に何から何までありがとうございます!」
瑞希が深く頭を下げると、朋美もおずおずと一歩前に出て、瑞希の手をそっと握った。
「瑞希……。私、ガルド師匠のところで一からやり直すね。次に会う時は、絶対に胸を張ってあなたの前に立てる自分になってみせるから」
「うん。楽しみにしてるね、朋美ちゃん。……またね!」
朝日に照らされた樹海の分岐点で、西のグラニアへと向かうガルドと朋美の背中を見送り、冬夜たち『アニマの器』の五人は、レイヴンとオルガと共に東の商業都市連合アルディシアへと帰還の途についた。
◆
数日後。商業都市連合アルディシアの冒険者ギルド支部【黄金の天秤】の最上階にあるギルドマスター室。
「――見事だ。行方不明になっていたAランク三名の無事の生還、ならびに樹海の異変の完全解決。レイヴンとオルガからの証言もすでに上がっている。文句なしの大功績だぜ」
執務机の向こうで、ギルドマスターが満足げに頷いた。
そして彼は立ち上がると、ルミナスのギルド総本部【オルディナ】との直通通信核から出力されたばかりの、黄金色の輝きを放つ一枚のプレートを取り出した。
「約束通り、総本部への特例推薦はすでに通しておいた。今日この瞬間より、冬夜、ルナ、エリス、エレナの四名はランク『A』へ昇格。……アンド、岡田瑞希」
ギルドマスターの厳かな声が室内に響く。
「お前を、このミラージュ・エデンで十四人目となる最高峰――『Sランク』冒険者として正式に認定する」
差し出された黄金のギルドカードを前に、瑞希は息を呑み、隣にいた冬夜や夏芽たちもゴクリと喉を鳴らした。世界に十三人しかいなかった頂点の座。その十四人目に、いま瑞希が並んだのだ。
「Sランクには『国家権力からの政治的不可侵』に加え、世界の深淵に関わる特務調査権――すなわち、各国やギルドが管理する『禁書指定文献』の一部を正式に閲覧できる特権も付与される。お前たちが探しているものの助けにもなるはずだ」
思いがけない特権の内容に、冬夜たちがハッと目を見開く。ギルドマスターはそこで腕を組み、鋭い眼差しで冬夜と瑞希を交互に見た。
「だがな、一つだけ手続き上の提案がある。お前たちがルミナスの教団から目をつけられていることは、情報網でなんとなく察している。Sランクが持つ不可侵の特権や調査権をパーティ全員に適用させるには、Sランクである瑞希自身が、この『アニマの器』の正式なリーダー(代表者)として登録されている必要があるんだ」
「えっ……!? わ、私なんかがリーダーですか!?」
瑞希が目を丸くして慌てて手を振った。彼女はすぐさま冬夜の方を向き、困ったように眉を下げる。
「そんな、私なんかがみんなのリーダーなんて無理です……! 『アニマの器』を作ったのは冬夜だし、いつも前を向いて私たちを引っ張ってくれているのは冬夜なんだから、私なんかが代表なんて……」
謙虚に遠慮して尻込みする瑞希。だが、冬夜は呆れたように鼻を鳴らすと、自分の鉄のプレートを迷いなく受付用のトレイに置いた。
「バカ言え、瑞希。ここで遠慮してどうすんだよ」
冬夜はニヤリと笑い、右の拳で瑞希の肩を軽く小突いた。
「霊峰の銀竜戦でも、今回の樹海でも、一番の要になって道を切り開いたのはお前だろ。俺たちの安全を守るためにも、禁書を調べるためにも、お前のその黄金のカードが必要なんだ。胸を張って俺たちの上に立てよ、新リーダー」
「冬夜……」
「そうだよ、瑞希ちゃん! 私たち、瑞希ちゃんがリーダーならすっごく誇らしいもん!」
「ええ、年下なんて関係ないわ。私たちの頼れるエースにお願いするわね」
「異存なし、だよ!」
夏芽、悠希、莉子の三人も笑顔で背中を押す。仲間の温かい信頼に包まれ、瑞希は顔を少し赤らめながらも、やがて覚悟を決めたように小さく頷いた。
「……わかった。不束者だけど……みんなの盾になれるよう、精一杯やるわ」
瑞希が黄金のギルドカードを受け取り、リーダー変更の署名欄に自らの名を刻み込む。こうして、Sランク冒険者・岡田瑞希を新たな筆頭とする新生『アニマの器』が正式に誕生したのだった。
◆
手続きを終えた五人は、ギルド一階にある特別作戦室を借り受け、大きな円卓を囲んでいた。
テーブルの上には、ルミナスの地下書庫から命がけで持ち出した禁書と、『特級封印指定・保管区画一覧』の羊皮紙が広げられている。
「さて……これで目標だったSランクの盾は手に入った。しかもSランクの特権で一部の禁書も正式に閲覧できるとなれば、もうコソコソ忍び込む必要もない。この羊皮紙に記された他国の保管区画を堂々と回って、弾き出された元の魂を救う具体的な術式を探せるわけだが――」
冬夜が地図に指を這わせた、まさにその時だった。
――バァンッ!!
作戦室の重厚な扉が、前触れもなく外側から乱暴に押し開けられた。
室内に流れ込んできたのは、刃物のように冷え切った殺気。純白の法衣を纏った十数名の男たちが、瞬く間に円卓の周囲を包囲する。
「見つけたぞ、異邦の迷い子たちめ」
隊列が割れ、その中心から静かに歩み出てきたのは、冷徹な瞳をした細身の男――ルミナスの特務異端審問局『白の執行者』の隊長、クロムウェルだった。
「ルミナスの地下からよくもここまで逃げ延びたものだ。だが、鬼ごっこもここまでだ。教団の威信にかける、貴様らの身柄をここで拘束し、塵へと還す」
クロムウェルが懐からあの魔力封じの『音叉』を取り出そうとし、部下たちが一斉に武器に手をかけた。
一触即発の緊迫した空気。冬夜が即座に左の義手に魔力を走らせ、悠希が大剣の柄に手を伸ばしかけた――その瞬間。
「――お待ちなさい」
凛とした声と共に、瑞希がすっと椅子から立ち上がり、冬夜たちの前へと一歩踏み出した。
瑞希は武器を抜くことすらせず、ただ懐から一枚の『黄金に輝くプレート』を取り出し、クロムウェルの目の前へと無言で突きつけた。
「……なっ!?」
黄金のプレートに刻まれた紋章と文字を目にした瞬間、クロムウェルの動きが氷漬けにされたかのようにピタリと止まった。
周囲を取り囲んでいた執行者たちの間からも、隠しきれぬ動揺のざわめきが広がる。
「お、おい……あれは、総本部オルディナ発行の『Sランク』の紋章……!?」
「た、隊長……! こいつら、Sランクをリーダーに据えた特例保護パーティです……! ギルドの敷地内でこいつらに手を出せば、国際条約違反で我が教団と全大陸のギルドとの全面戦争に……っ!」
青ざめる部下たちの報告を聞きながら、クロムウェルの額にうっすらと冷や汗が浮かんだ。
彼は政府と教団に絶対の忠誠を誓う冷酷な執行者である。だが同時に、組織の論理と権力の力学を誰よりも熟知した、極めて現実的な官僚でもあった。世界で十四人しかいないSランクという「絶対に逆らってはならない超特権階級」を前にして、彼の中の天秤はコンマ一秒で結論を出した。
そう、彼はいかなる時も、長い物には綺麗に巻かれる男なのである。
「…………」
クロムウェルは無言のまま、振り上げかけていた音叉をスッと懐へしまい込んだ。
アンド、先ほどまでの絶対零度の殺気が嘘のように、ぴしりと背筋を伸ばして見事なまでの営業用の微笑みを浮かべた。
「――これは失礼いたしました、Sランクの岡田瑞希様、ならびに『アニマの器』の皆様。我々はただ、近隣で発生した不審者の聞き込み調査を行っていただけでございます。まさか皆様のような高貴な方々がこちらにいらっしゃるとは露知らず、大変無礼を働きました」
「……は?」
冬夜が呆気に取られて目を瞬かせる中、クロムウェルは深々と、それはもう美しい角度で一礼してみせた。
「我々ルミナス教団は、冒険者ギルドの崇高なる自治権とSランクの不可侵特権を全面的に尊重しております。どうぞ、アルディシアでのご滞在を心ゆくまでお楽しみください。――総員、撤収!」
『ハッ!!』
クロムウェルが踵を返すと、純白の暗殺部隊は一糸乱れぬ見事な足並みで部屋から退出し、最後の一人が丁寧に扉をパタンと閉めて、嵐のように去っていった。
後に残されたのは、呆然と立ち尽くす五人だけだった。
数秒の沈黙の後――冬夜が頭を抱えて天井を仰いだ。
「……おいおい、マジかよ!? あの地下で死ぬほど苦戦したヤバい暗殺部隊が、カード一枚見せただけで『失礼いたしましたーっ!』って帰っていったぞ!?」
「す、すごすぎるよ瑞希ちゃん!! Sランクの権威って、あんなに効くものなの!?」
「開いた口が塞がらないわね……。私たち、本当に国家権力が手出しできない領域に足を踏み入れちゃったんだわ……」
「瑞希ちゃん、なんかもう大魔王みたいにかっこよかったよ!」
夏芽や悠希、莉子がわっと歓声を上げて瑞希に抱きつく。当の瑞希本人も、手元の黄金のカードと閉まった扉を交互に見比べ、「えぇっと……なんか、思った以上にすごい威力だったみたいだね……」と、拍子抜けしたように苦笑いを浮かべるしかなかった。
ひとしきり笑いと驚きの渦が収まった後、冬夜はふっと表情を引き締め、テーブルの上の古地図へと向き直った。
「……よし。これで本当に、教団からの公式な邪魔は完全に封じられたわけだ」
冬夜は仲間の顔を一人ずつ見渡し、力強く拳を握りしめた。
「安全は確保したし、禁書へアクセスする正式な鍵も手に入れた。ここからは、俺たちの本当の戦いだ。世界中に残された封印区画の文献を解き明かし、ルナやエリスたち、そしてセシリアの弾き出された魂を救う方法を必ず見つけ出すぞ!」
「ええ。このSランクの力は、そのために使うわ」
瑞希が凛と頷き、五人は次なる目的地へ向けて、揺るぎない決意と共にそれぞれの手を高く重ね合わせた。
◆
――その頃、原典世界。
冷たい雨が降り続く東京の片隅、明かりのない薄汚れた廃ビルの空き部屋で。
如月美憂は、冷え切ったコンクリートの床にへたり込み、ガタガタと激しく肩を震わせていた。
「あ……あぁ……っ、はぁ、はぁ……っ……」
彼女の視線の先には、震える自分の白い両手があった。
血はついていない。けれど、その手のひらには、つい先刻、高橋優子を庇って立ち塞がった青年――後藤光彦の魂を【刈り取る者】の大鎌で断ち切った感触が、生々しくこびりついて離れなかった。
(また……やっちゃった……。私、また関係ない人の命を、この手で刈り取っちゃった……っ!)
激しい自己嫌悪と拭い去れない罪の意識が、美憂の精神を内側から引き裂いていく。
しかし、それと同時に美憂をさらに深い恐怖へと突き落としていたのは、自分自身の「肉体の感覚」だった。
あれほど全身を軋ませ、内側から自我を食い破ろうと暴れ狂っていた異能の過負荷。その暴走状態が、後藤光彦の魂を取り込んだ瞬間から、嘘のようにピタリと静まり返っていたのだ。
それどころか、右手のひらには白く輝く『光』が、左手のひらには深く沈み込む『闇』の魔力が、まるで最初から自分のものだったかのように静かに渦巻いている。
(痛くない……苦しくない……。あの人を殺して、力を奪ったおかげで、私の身体が……楽になってる……っ)
暴走の苦痛から解放されたことに、無意識のうちに安堵してしまっている自分がいる。人の命を奪った代償で得た平穏にホッとしている自分がたまらなくおぞましく、美憂は両腕を強く抱きしめて嗚咽を漏らした。
『――やれやれ、ずいぶん震えているね。けれど、丁度良かったじゃないか。結果的に当たりの方を引いたようだ』
突如、暗闇の奥からマイペースで軽やかな声が響き、窓際の影からフィストがふわりと姿を現した。
「フィスト……っ! 当たりって、なにそれ……っ! 私は関係ない人を殺しちゃったんだよ……!?」
『落ち着きなよ、美憂。僕としては、君の邪魔をする目障りな連中が消えてくれればどちらでも良かったんだ。それに、あの女は魂が半分しかなかったからね。もしあっちを刈り取っていたら、君の暴走は収まらずに今ごろ自壊していたかもしれない』
「え……?」
『つまり、あの男が勝手に飛び込んできたおかげで、君は欠けていない完全な魂を取り込んで一命を取り留めたってわけさ。不可抗力だよ、君は何も悪くない』
フィストは鬱陶しいほど気軽に肩をすくめると、美憂の手のひらに宿る光と闇の残滓を見つめて満足げに目を細めた。
『しかも、その男から「光と闇の古代魔法」まで引き継げたようだね。器が完璧に安定した上に、それだけの高次元の力を手に入れたんだ。……ほら、顔を上げなよ美憂。もうすぐだよ。あと少しで、君の悲願であるメフィストへ届くくらいの強さが手に入る』
「メフィストに、届く……」
『そうさ。君がこれまで背負った罪を無駄にしないためにも、そこへ辿り着くしかないんだろう? ……とにかく、君が無事に安定してくれて僕はホッとしているよ』
どこまでもマイペースに退路を塞いでくるフィストの言葉に、美憂は言い返す言葉を失い、ただ光と闇の力が脈打つ自分の両手を見つめて唇を噛み締めるしかなかった。




