シーン2:特秘の依頼
「次の舞台は、生半可な覚悟じゃ生き残れねえ。どうだ、お前ら。受ける覚悟はあるか?」
アルディシアの酒場の喧騒の中、ギルドマスターがテーブルの中央に置いた一枚の羊皮紙。 通常のクエストボードには貼られない『特秘』の印が押されたその依頼書を前に、冬夜と瑞希は息を呑んだ。
「……具体的に、何が起きてるんですか?」
冬夜が尋ねると、ギルドマスターは太い腕を組んだまま、周囲に声が漏れないようトーンを落として語り始めた。
「場所はここから西――このアルディシアと『辺境樹海国グラニア』を繋ぐ国境の樹海エリアだ」
「グラニア……!」
聞き馴染みのある国名に、瑞希の肩がわずかに揺れた。 辺境樹海国グラニア。そこは、現世で電車に飛び込んだ瑞希が最初に漂着し、半年間を過ごした「第二の故郷」とも呼べる場所だった。
「知っての通り、グラニアの自然資源や薬草は、このアルディシアの経済を回す重要な取引品だ。だがここ数週間、その樹海を通る商隊や護衛の冒険者たちが、戦闘の痕跡も残さずに姿を消す事件が相次いでいる」
「魔獣の仕業じゃないんですか?」
夏芽が眉をひそめるが、ギルドマスターは首を振った。
「ただの魔獣なら、俺が直接出向いたりしねえよ。問題なのは、事態を重く見たうちの支部と、グラニアの支部が合同で出した調査隊まで連絡を絶ったことだ。……しかもその中には、世界に五十人しかいない『Aランク冒険者』が三名も含まれている」
「「っ!? Aランクが、三人も!?」」
悠希と莉子が息を呑み、冬夜も目を見開いた。 先日自分たちが討伐した上位竜のような魔獣が相手でもなければ、三人ものAランクが同時に音信不通になるなど考えにくい。
「この事実が表沙汰になれば、街は混乱し、西の交易路は封鎖される。……だから、Aランクの瑞希がいて、今一番勢いのあるお前たち『アニマの器』に話を持ってきた。行方不明になったAランク三名の捜索、および異変の元凶の排除だ。成し遂げれば、瑞希を『Sランク』の昇格審査へ推薦する。他の四人も、Aランク昇格に届くだけの特例ポイントは約束しよう」
Sランクへの推薦。
ルミナスの教団が放った『白の執行者』の手配網から逃れ、ギルドの庇護を得るために欲しかった条件が目の前に提示された。しかも方角は、追手が迫る東のルミナスとは反対の西――グラニア方面である。
だが、瑞希の心には、報酬以上に気になることがあった。
グラニア支部から派遣されたAランク冒険者。嫌な予感が胸をざわつかせる。
「あの……ギルドマスター。その行方不明になった三人のAランクの中に、グラニア支部の人は……」
「ん? ああ、一人いるぞ。瑞希、お前もグラニア出身なら知ってるんじゃねえか? 戦斧使いのベテランで、『翠嵐の剛斧』の二つ名を持つ男――」
ギルドマスターが、羊皮紙に記された名前を読み上げた。
「――『ガルド』だ」
その瞬間、瑞希の手からグラスが傾き、テーブルの上にエールがこぼれた。
「ガルド……先輩、が……?」
声がかすれた。 見知らぬ異世界の森に放り出され、右も左も分からなかった瑞希に、冒険者としての基礎から魔物の解体のコツ、生き抜くための歩法までを教えてくれた恩人。 ルミナスへ旅立つ日、『無茶して死ぬんじゃねえぞ』と頭を撫で、地図とメモを持たせて送り出してくれた人だ。 いつも酒場で気さくにジョッキを傾けていたあのガルド先輩は、Aランクの実力者であり――そして今、樹海で消息を絶っている。
「瑞希……お前の言ってた、師匠って人か……!」
冬夜が瑞希の肩に手を置く。 ギルドマスターが続けて語った言葉が、瑞希たちの空気をさらに重くした。
「実はな、数日前に調査隊の斥候が一人だけ、大怪我を負って樹海から戻ってきた。そいつは意識を失う前、こう言っていたよ」
ギルドマスターの目が細められる。
「『森の奥で、失踪したはずのガルドたちが虚ろな目で立っていた。声をかけた瞬間、糸に引かれる人形のように、無言でこちらへ刃を振り下ろしてきた』……とな」
――糸に引かれる、人形。
テーブルを囲む五人の動きが止まった。 悠希と莉子が、無意識に自分たちの首筋――かつて黒い糸を刺され、操られた傷跡のあたりを押さえて顔を青ざめさせる。
(……朋美、ちゃん……っ!)
瑞希はテーブルの下で拳を握りしめた。 この樹海で起きている事件の元凶は、ルミナスの廃聖堂から逃げ延びた幼馴染――佐伯朋美だ。
『覚えていなさい、瑞希……! 今度はもっと素敵な網を用意してあげるわ……!』
逃げ去る間際に残した、あの声。 朋美は、瑞希の古巣であるグラニアへの道を塞いで騒ぎを起こせば、瑞希が放っておけずにやって来ることを計算して罠を張ったのだ。 瑞希が大切にしていたグラニアでの思い出も、恩人も、すべて自分の「人形」に変えてぶつけようという悪意。
「……許さない」
俯いていた瑞希の口から、低い声が漏れた。 顔を上げた彼女の瞳には、もう迷いはなかった。恩人を傷つけられた怒りと、自分の因縁に決着をつける覚悟が宿っている。
「ギルドマスター、その依頼……私たち『アニマの器』が受けます。事件を解決して、ガルド先輩たちを連れ戻します」
「……ほう。いい目をするじゃねえか」
ギルドマスターが口角を上げた。 隣に立つ冬夜も、左の義手から紫電の火花を散らしながら、瑞希の背中に手を添えた。
「そういうことだ、おっさん。瑞希の師匠は、俺たちにとっても恩人だからな。誰が裏で糸を引いてようが、まとめて断ち切ってやるよ」
「ええ。私たちの時みたいに、誰一人犠牲にはさせないわ」
「今度は私たちが、瑞希ちゃんの大切な人を助ける番だからね!」
悠希と莉子が頷き、夏芽も短杖を握りしめる。 仲間の言葉に、瑞希は「……ありがとう、みんな」と頷き返した。
『アニマの器』の五人は、その夜のうちに支度を整え、西の国境に広がるグラニアの樹海へと向けて出発した。
◆
――その頃。 アルディシアとグラニアの国境に広がる、薄暗い樹海の奥。
背の高い木々が並び、霧が立ち込めるその一帯は、異様な空気に包まれていた。 木々の枝から枝へ、垂れ下がる蔦の隙間へ、そして湿った地面の下へと、細い「黒紫の糸」が張り巡らされ、森そのものが大きな『蜘蛛の巣』のようになっていたのだ。
「……ふふ。あはははっ……」
古木の太い枝の上で、黒いドレスを纏った少女――佐伯朋美が笑っていた。 彼女の指先には、森に広がる糸が繋がっている。樹海の入り口近くに張った感知用の糸が、獲物たちが足を踏み入れたことを伝えてきていた。
「やっぱり来てくれたわね、瑞希。……あなたが私を置いて勝手に作った『居場所』だもの、助けに来るって信じていたわ」
朋美は木の上から地上へと降り立った。 霧が漂う彼女の周囲には、数体の魔獣と、そして――三人の「人間」が、黙って直立していた。
行方不明になっていた三名のAランク冒険者たちだ。 彼らの首筋や関節には、以前ルミナスで双子を操っていた時よりも太い黒紫の糸が突き刺さっている。
その先頭に立っていたのは、大きな戦斧を片手に提げた、傷だらけの大男だった。 グラニア支部のガルド。 かつて瑞希の頭を撫で、豪快に笑っていた彼の瞳には、今や感情の光が残っていない。ただ濁った虚無だけが宿り、命令を待つ人形と化していた。
朋美はガルドの前に歩み寄ると、背伸びをして、その傷だらけの頬を撫でた。
「ねえ、おじさん。私、ちゃんと覚えているのよ? あの日、私が必死に人間の姿になって暮らしていた村で……あなたが瑞希の隣に立って、楽しそうに笑っていたのをね」
朋美の瞳が、冷たく細められる。
「瑞希に戦い方を教えたんですってね? 生きる術を授けたんですってね? ……本当に目障りだわ。瑞希には、私だけがいればいいのに」
朋美が指先を動かすと、ガルドの首筋に食い込んだ糸が締まり、彼の体が機械のように一歩前へ出て戦斧を構えた。Aランクの冒険者が持つ本来の力に、朋美の【マリオネットの呪い】の魔力が重なり、周囲の空気を震わせる。
「ふふ……素敵よ。これで準備はできたわ」
朋美は暗い森の入り口を見つめ、口元を歪めた。
「待っていてね、瑞希。あなたが慕っていたこの師匠の手で、あなたの仲間たちを壊してあげる。そして今度こそ……あなたを私だけの網の中に閉じ込めてあげるわ」
霧の立ち込める樹海の奥で、朋美とAランクの傀儡たちは、静かに獲物の到着を待っていた。




