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Re:incarnation of Fate   作者: ヴィシュヌ
4章:輝く月の源に

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シーン15:決意の夜に・・・・

 生ぬるい風が、まとわりつくような疲労感を撫でていく。


 終電の乗務を終え、泥のような足取りでマンションのエントランスにたどり着いた恭は、自動ドアの前に立つ見慣れた人影に足を止めた。時刻はとうに日付を跨いでいる。閑散とした住宅街には、遠くを走るトラックの走行音が微かに響く程度だ。


「……高橋先輩の、優子さん?」


 こんな夜更けに何をしているのか。そう尋ねようとした恭の言葉を、優子は振り返りざまに遮った。


「神崎さん。単刀直入に言います」


 その声には、深夜の冷気よりも鋭い温度があった。いつも職場の先輩の横で微笑んでいる、大人しい一般人の顔ではない。底知れない静かな気迫が、周囲の空気をピンと張り詰めさせている。恭は無意識のうちに、背筋に冷たいものを感じてわずかに身構えた。


「今日、美憂という女性に襲われました」


「……は?」


 間の抜けた声が漏れた。美憂。よりにもよって、自分の恋人であり、都合の良い隠れ蓑でもある彼女が、職場で一番世話になっている頼れる先輩の妹を襲った。


 一瞬で恭の胃の腑がギュッと縮み上がる。美憂が裏で何をしているか、恭は知っている。彼女がどれほど危険な状態にあるかも。それがなぜ、優子に向かったのか。冷や汗が背中を伝うのを感じながら、どうにかして誤魔化すべきか、それともしらばっくれるべきかと思考を回転させようとした矢先だった。


 優子はまるで明日の天気を告げるような、淡々とした口調で二発目の爆弾を投下した。


「それと、兄――尚人の正体ですが。ミラージュ・エデンの1層の神、『ブラフ』ですね」


「…………はい?」


 今度こそ、恭の思考は完全に停止した。


 神。あの、厄介な酔っ払いのあしらい方を丁寧に教えてくれたり、休憩中に缶コーヒーをおごってくれたりする、底抜けに面倒見の良い高橋先輩が、神。


(いや、ちょっと待て。情報量がおかしいだろ)


 美憂の襲撃という生々しいトラブルと、頼れる先輩が異世界の神であるという非日常的なカミングアウト。まったく次元の違う二つの事実を同時に突きつけられ、恭はたまらずこめかみを押さえた。急激な胃痛と頭痛が同時に襲いかかってくる。


「……ええと、優子さん。ちょっと待ってくれ。どこからツッコめばいいのか全く分からないんだが」


「ツッコミは不要です」


 恭がどうにか絞り出した言葉を、優子は一切の妥協を許さないまっすぐな視線で切り捨てた。


「私が求めているのは、ミラージュ・エデンへの手引き。神崎さんが持つ権能【死神】――幻影電車(ミラージュ・トレイン)を使って、私を向こう側へ送ってください」


「なっ!?……冗談だろ」


 淡々とした要求の重みに、恭は顔をしかめた。


 いくらなんでも、お世話になっている頼れる高橋先輩の妹を、得体の知れない鏡像世界へ送るわけにはいかない。あそこがどれだけ歪んでいて、どれほど狂気に満ちた場所か、恭は知っている。しかも美憂という危険な存在が絡んでいるなら尚更だ。


「悪いが、それは無理だ。帰ってくれ」


「神崎さん」


「あんた、あっちがどれだけイカれた場所か分かってないだろ。俺は能力の使い走りじゃないし、何より、あの高橋先輩の妹をそんな場所に放り込んだと知られたら、俺がどうなるか……」


「兄のことは関係ありません。これは私の問題です」


「大ありなんだよ。頼むから今日は帰ってくれ。俺は何も聞かなかったことにする」

 恭は一方的に会話を打ち切り、エントランスへ向かって歩き出そうとした。これ以上関われば、取り返しのつかない面倒事に巻き込まれるという確信があった。


『ならん! 我の言葉を聞くのじゃ!』


 突如、恭の足が止まった。

 直接脳内に、夜の空気を震わせるような尊大な声が響いたからだ。虚空からふわりと姿を現したのは、神であるベルゼだ。


『そこな人間が言う通りじゃ! 貴様は分かっておらん。ミラージュ・エデンは、お主のようなか弱い人間が立ち入る場所ではない。神々の理を乱すなど言語道断! 大人しくここで――』


「ベルゼ」

 優子の静かで冷徹な声が、ベルゼの言葉を刃物のように断ち切った。


「……は? 優子さん、あんた今、こいつの声が……聞こえて……?」


 恭は目を丸くした。ベルゼの声は恭の脳内に直接語りかけている念話だ。普通の人間には絶対に聞こえないし、姿すら見えないはずである。


 だが、優子は恭の疑問を意に介さず、かつての強者としての気迫を隠そうともせずにベルゼを睨み据えた。


「神々の理、ですか。ずいぶんと立派な御託ですが、あなた、兄――ブラフと裏で繋がっていますね?」


『なっ……!?』


 脳内に響くベルゼの声が、あからさまに裏返った。


「私が兄の正体を口にした途端、慌てて姿を現したこと。裏を返せば、私が向こう側へ行くことをブラフが恐れている。だからあなたを監視につけたか、あるいは何らかの密約を交わしている。違いますか?」


『ば、馬鹿を言うな! 我は誇り高き神界の神ぞ! 幽閉の身とはいえ、ブラフごときと密約など結ぶはずがなかろう! 我はただ、お主の身を案じてじゃな……その、世界の均衡というものが……』


 ベルゼは神としての威厳を保とうと声を張り上げるが、あからさまに目が泳ぎ、しどろもどろになっている。


 しかし、その見え透いた嘘と「密約」という言葉は、恭の苛立ちを決定的に煽った。


「……おい」


 低く、ドス黒い声。恭だった。

 深夜の疲労と度重なる胃痛で限界を迎えていた恭は、冷ややかな三白眼でベルゼを睨みつけた。


「お前、高橋先輩のこと知ってて黙ってたのか? 俺があの人に世話になってる横で、色々と知ってたってことだよな?」


『ひぃっ! い、いや、それは……その、言う機会がなかったというか……』


「世界の均衡だのなんだの偉そうに語る前に、隠し事してんじゃねえよ。こっちはただでさえ胃が痛いんだ。吐け」


 優子の理詰めの冷気と、恭の苛立ちが混じった殺気。

 前後から挟み撃ちにされたベルゼは、尊大な態度をあっさりと崩壊させ、『うぅ……ごめんなさいなのじゃ……悪気はなかったのじゃ……』と涙声で恭の脳内に縮み上がった。


 完全に障害を無力化した優子は、再び恭に向き直る。


 その瞳には、一切の迷いがなかった。


「光彦くんの死を、無駄にはできません」


 その名前に、恭の表情が僅かに険しくなった。


 後藤光彦。恭にとっても無関係な人間ではない。あの後藤が死に、目の前の優子がその死にけじめをつけようとしている。彼女が抱えている事情は、恭が先ほどまで考えていたような浅いものではないらしい。


「それに――向こう側で独り歩きしている、分かれてしまった『私の魂』を、私は必ず捕まえなければならないんです。そのためなら、手段は選びません」


 それは懇願ではなく、絶対の覚悟だった。

 もしここで断れば、この人は別の手段を使ってでも必ずミラージュ・エデンへ行く。その過程で死のうが構わないとでも言うような、圧倒的な執念。


 高橋先輩も大概だが、妹も底知れない。恭は頭を掻きむしり、夜空を見上げた。


「……はぁ。アンタら兄妹には敵わないな」


 恭は重く、ひときわ長いため息を吐き出した。

 物分かりが良いわけではない。ただ、ここで自分が引いたところで、優子は止まらないと悟ったのだ。美憂が絡んでいる以上、恭自身も無関係ではいられない。ならば、自分の手の届く範囲で動かした方がまだマシだ。


「……先輩には内緒ですよ、優子さん。ただ、俺の能力は今すぐここで扉を開けるような便利なもんじゃない」


「どういうことですか?」


「俺の幻影電車(ミラージュ・トレイン)は、『人身事故』の事象を限定的に引き起こすことで対象を向こう側へ送る。つまり、実際に走ってくる電車に飛び込んでもらわないと、転移させられないんだ」


 死のリスクを伴う、狂った条件。


 鉄の塊が猛スピードで迫りくる恐怖に耐え、自ら命を投げ出す覚悟がなければ発動しない。普通の人間ならここで尻込みする。


 だが、優子は瞬き一つせず、淡々と事実を受け入れた。


「……なるほど。分かりました」



「明日の深夜、俺が乗務する回送電車だ。場所と時間は後で送る。タイミングを合わせて飛び込んでくれ。衝突の瞬間に俺が能力を発動させて、事象を書き換える。……怖気づいたら、容赦なく轢き殺すことになるからな」


「明日の深夜ですね。必ず行きます」


 一切の躊躇がない優子の即答に、恭は再び内心で頭を抱えた。


「一応、言っておく。後悔するかも知れないぞ、優子さん」


「ええ。」


 そう言って、振り返る彼女の後ろ姿が夜の闇に溶けていくのを見送りながら、恭は痛む胃を押さえ、これからの果てしない面倒事に思いを馳せるのだった。


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