シーン10:その霊峰に潜む者
氷の獣を退け、部隊はさらに霊峰の奥深くへと足を踏み入れていた。
だが、山の中腹を過ぎても、討伐対象である『ホワイトワイバーン』の群れは一向に姿を現さない。ただ猛吹雪が吹き荒れるだけの異様な空間に、部隊全体の空気がじわじわと重く張り詰めていく。
「……なぁ、いくらなんでもおかしくないか?」
雪を蹴りながら、前衛を歩く冬夜が周囲を警戒するように視線を巡らせた。
「依頼書じゃ、この辺りはワイバーンの巨大な巣窟になってるはずだろ。群れどころか、死骸ひとつ落ちてやしない」
「ええ。まるで、もっと恐ろしい『何か』から逃げ出して、山を空け渡したみたいね」
瑞希が小剣の柄に手を添えながら、険しい顔で空を睨む。
その時だった。 猛吹雪の雲を突き破り、鼓膜をすり潰すような強烈な咆哮が空から降り注いだ。
ビリビリと大気が震え、雪山の斜面が雪崩を起こす。
分厚い雲を切り裂いて舞い降りてきたのは、ホワイトワイバーンなどではない。四つの強靭な翼と、月光すら弾き返すほど美しい白銀の鱗を纏った巨大な竜――『シルバードラゴン』だった。
「なっ……なんでこんな山の中腹に、上位竜がいるのよ!?」
瑞希が驚愕に目を見開く。
「おいおい、冗談だろ……ッ!」
別パーティに混ざって後方を歩いていたザック――伊藤南は、上空から叩きつけられた圧倒的な竜の威圧感に、ガチガチと歯の根を鳴らして後ずさった。
(あんなの、まともにやり合えるわけないじゃない! ブレス一発で消し飛ばされるわよ!)
復讐も嫉妬も吹き飛ぶほどの、本能的な死の恐怖。南は「ザック」という冒険者の仮面を被ったまま、悲鳴を上げる他の探索者たちに紛れて一目散に岩陰へと逃げ込んだ。
「グアァァァァァッ!!」
銀竜が空中で大きく息を吸い込み、地表へ向けて絶対零度のブレスを吐き出した。 純白の閃光が雪原を薙ぎ払う。
「ぎ、ぎゃあぁぁぁっ!?」
「防壁が……凍って、砕け……ッ!」
前線にいた3つのパーティが、防御魔法ごと一瞬にして氷の彫像へと変えられ、吹きすさぶ風の中で粉々に砕け散った。わずか一撃で、レイド部隊の半分が壊滅状態に陥る。
「くそっ、他の連中じゃ足止めにもならねえ!」
冬夜が舌打ちをし、左腕の封印帯を強引に引きちぎった。紫電と火炎が猛烈な勢いで腕の形を成し、周囲の雪を瞬時に蒸発させていく。
「悠希、前線でブレスの余波を殺せ! 夏芽と莉子は後衛から防壁とバフの展開! 瑞希は俺と左右に散ってヘイトを分散させるぞ!」
「了解!」
冬夜の指示と同時に、『アニマの器』の5人が完璧な陣形へと散開する。
「ハァァァッ!!」
冬夜が炎の推進力で地を蹴り、銀竜の横っ腹へ向けて極限まで圧縮された雷炎の左拳を叩き込む。 ドガァァァンッ!!と凄まじい爆発が起こるが、煙が晴れた後、冬夜は信じられないものを見た。
「なっ……魔法が霧散しただと!?」
銀竜の白銀の鱗の表面を、薄い氷の膜のような魔力が覆っており、冬夜の雷炎の熱を瞬時に奪い去ってかき消していたのだ。
「魔法反射……いや、寧ろ極低温の強力な『魔力障壁』というわけか!」
「なら、物理で!」
死角から無空を切り裂く刃が閃いた。 【透明な拒絶】。
気配も音も完全に消し去った瑞希が、竜の背中に飛び乗り、無防備な首筋を狙って小剣を振り下ろす。
――ガキンッ! 「くっ……弾かれた!?」 瑞希の刃は鱗に届くどころか、竜の周囲を渦巻いている『吹雪の断層』に阻まれ、手首が痺れるほどの反発を食らった。
「ガアアァァァッ!!」
鬱陶しい羽虫を払うように、銀竜が巨大な尾を薙ぎ払う。
「させないっ! 【水土複合流・泥壁の城】!」
夏芽が地表に短杖を突き立て、分厚い泥の城壁を瞬時に隆起させる。
「――『身代わりの盾』!」
さらに悠希が大剣の腹を泥壁の裏から押し当て、二重の防御陣を構築した。
ドゴォォォンッ!! 竜の尾の圧倒的な質量が激突し、泥壁がひび割れ、悠希が激しく後方へ数メートル押し込まれる。
「くぅっ……! 重い……ッ!」
「お姉ちゃん! ――『共鳴増幅』!!」
莉子が悠希の受ける衝撃を魔力に変換して増幅し、暴風の壁を逆噴射させてなんとか竜の尾を弾き返した。
「ハァッ……ハァッ……ダメだ、手裏剣も魔法も、全部あの『吹雪の障壁』に弾かれるわ!」
着地した瑞希が、焦燥感を滲ませて叫ぶ。
「物理も魔法も通らねえってのか……。硬いってレベルじゃねえぞ、あいつ」
冬夜も義手の熱を冷ましながら、歯を食いしばって竜を睨みつけた。
絶望的な耐久力。逃げ惑う冒険者たちと、岩陰でガタガタと震えるザックが完全に戦意を喪失する中、瑞希の研ぎ澄まされた観察眼だけが、銀竜の不自然な魔力の流れを捉えていた。
(……おかしい。あんな強固な魔力障壁を、どうやってずっと維持してるの……?)
瑞希は目を細め、竜の足元と周囲の吹雪の動きを凝視した。
(雪山の冷気が、竜の足元から渦を巻いて胸の奥へ吸い込まれてる……! まさか、この山の吹雪を直接吸い上げて、無限に障壁を張り直してるの!?)
「冬夜、夏芽ちゃん! わかったわ!」
瑞希の鋭い声が、吹雪を裂いて響いた。
「あいつ、鱗自体が硬いんじゃない! 周囲の冷気を絶え間なく吸い上げて、絶対零度の『動く鎧』を纏ってるんだわ!」
「周囲の冷気を吸い上げてる……?」
冬夜の脳内で、ひとつの狂暴なロジックが組み上がる。
「なるほどな……だったら、その『絶対零度の鎧』ごと、温度差で粉々にしてやる。熱したガラスに冷水をぶっかける要領だ!」
「温度差……そういうことか!」
夏芽がハッと顔を上げる。
「悠希、莉子! 次の攻撃で決めるぞ!」
冬夜が叫ぶ。
「俺が最大火力の雷炎で、あいつの障壁を限界まで熱する! 夏芽、莉子! その直後に水と風の魔法を全力で叩き込んで『急冷』しろ! 障壁に亀裂を入れるんだ!」
「了解!」
「でも冬夜、あいつは常に冷気を吸い上げてる! 一瞬で障壁を修復されちゃうわ!」
瑞希の懸念に、冬夜はニヤリと笑った。
「だから、お前の出番だ。お前の【透明な拒絶】は、気配を消すだけじゃない。空間の領域ごと『遮断』できるんだろ?」
「……ッ!」
「俺たちが急冷して亀裂を入れた瞬間、竜が冷気を吸い上げる『魔力の繋がり』を、お前の刃で空間ごと切り離してくれ!」
「……わかった。やってみる……!」
瑞希が深く息を吸い込み、小剣を逆手に構え直す。 5人の視線が交錯し、一瞬にして完璧な殺しの連携が共有された。
「行くぞ……逆転の時間だッ!」
冬夜の咆哮と共に、5人は巨大な銀竜へ向けて再び一斉に地を蹴った。




