シーン9:白銀の脅威
前線拠点【銀嶺の誓約】を出立し、多国籍レイド部隊は凍てつくようなヴァルハイトの霊峰を北上していた。
絶え間なく吹き荒れる猛吹雪の中、6つのパーティからなる大部隊の先頭を切り、淀みない足取りで雪道を切り開いているのは瑞希だ。
「いや、それにしてもマジで寒いな! なぁ、Aランクだったらやっぱ寒いのも平気な感じ?」
背中を丸め、鼻先を真っ赤にした冬夜が、大げさに身震いしながら前を歩く瑞希の背中に声をかけた。
教団の追手から確実に逃れるには、Sランクへ昇格するしかない。あの日誓った目標に向かって、『アニマの器』の面々は各々全力でランク昇格に向き合っていた。そんな過酷なレイドの最中だというのに、彼の軽口は相変わらずだ。
瑞希は歩みを止めることなく、呆れたような白い吐息をこぼした。
「あのね、ランクと耐寒性は全く関係ないわ。くだらないこと言ってないで、しっかり前を見て歩きなさい。クレバスに落ちても助けないからね」
「はいはい、さすがはトップランカー。言うことが厳しいねぇ。俺たちは、しっかり背中に一生懸命ついていきますよっと」
冬夜はニヤニヤと笑いながら、わざとらしくおどけてみせる。瑞希は「バカじゃないの」と短く冷たくあしらったが、その歩調が少しだけ緩んだのを、後衛を歩く夏芽や藤原姉妹は見逃さなかった。
口では冷たく突き放していても、彼らが歩きやすいように密かにペースを調整してくれているのだ。
「フフッ、瑞希ちゃんたら素直じゃないんだから」
「本当に。でも、あんなに強いのに、なんだか可愛らしいわよね」
悠希と莉子が、互いの顔を見合わせてクスリと微笑み合う。
「ちょっと! 聞こえてるわよ、二人とも!」
振り返って顔を赤くする瑞希に、パーティの中に温かい笑い声が広がった。
だが、彼らがただの仲良し集団ではないことは、周囲の冒険者たち――彼らを遠巻きに観察している他パーティの人間たちにも明らかだった。
周囲への鋭い警戒、無駄のない陣形、機関そして何より、過酷な環境下でも一切ブレない強靭な精神力。
(……それにしても、変ね)
笑い合いながらも、瑞希の美しい眉が微かにひそめられた。
トップランカーである彼女の直感が、何か決定的な違和感を捉えている。
「冬夜、みんな。……おかしいわ。この一帯の生態系が明らかに乱れている」
「ええ。さっきから索敵魔法を広げてるけど、討伐対象の『ホワイトワイバーン』の反応が全然引っかからないの。まるで、この山から全部逃げ出しちゃったみたいに……」
夏芽が杖を握りしめ、不安げに周囲の雪原を見回す。
「生態系が丸ごと消えたってのか? ……嫌な予感がしやがるな」
先ほどまでの軽口を叩いていた冬夜の声から、すっと温度が消えた。
その直後だった。
猛吹雪の音がピタリと止み、不自然なほどの静寂が白銀の世界を包み込む。
地響きのような低い唸り声と共に、前方の雪面が大きく隆起した。
舞い上がる粉雪の中から姿を現したのは、ワイバーンではない。氷の鎧を幾重にも纏ったような、巨大な異形の獣だった。
「おいおい、デカいのがお出ましだ。どうする? 逃げるにはちょっと足場が悪すぎるけど」
冬夜は肩をすくめながらも、流れるような動作で素手に手甲を構え、左腕に紫電と火炎を傍わせる。
「悠希は前衛で盾を! 夏芽と莉子は後衛から私たちのカバーに回って!」
瑞希の鋭い指示が飛び、5人は一瞬にして前衛3人、後衛2人の完璧な戦闘陣形へと移行した。
その陣形と指示を別パーティから遠巻きに眺めていたザック――伊藤南は、仮面の奥でピクリと眉を動かした。
(……悠希? 莉子? 夏芽……?)
南の頭に、強烈な違和感が走る。
ハーフエルヴンやフェリシア族といった亜人の容姿をしているのに、なぜ彼女たちは『日本語の名前』で呼び合っているのか。
さらに、前衛と後衛に分かれたハーフエルヴンの双子の顔つきと、その名前に、南は見覚えがあった。
(あのエルヴンの双子……悠希と莉子って、まさか……松岡先生のお気に入りだった藤原姉妹!? 嘘でしょ、あいつらも私と同じ転生組だったってわけ!?)
驚愕で南の思考が微かにブレた、その直後だった。
獣が冷気を吐き出し、強靭な前脚で雪原を蹴って突進してくる。
その圧倒的な質量が激突する直前――。
「ハッ!」
瑞希の姿が、完全に世界から『消失』した。
【透明な拒絶】。気配も足音も消し去った完全不可視の接近。
「ギ、ァッ!?」
次の瞬間、獣の右前脚の関節に、無空から放たれた瑞希の小剣が深々と突き刺さった。体勢を大きく崩し、巨体が雪面に横倒しになる。
「ナイスヒット、瑞希! 行くぞッ!!」
「——『共鳴増幅』!」
後衛の莉子の魔力増幅を受け、前線に立つ悠希が強固な盾を構えて獣の反撃を完全に封殺する。同時に、夏芽の放った土の魔法が獣の足元を縛り上げた。
完璧に作られたその隙に、冬夜が空高く跳躍した。
「吹き飛べッ!!」
極限まで圧縮された雷炎の左腕が、獣の頭部めがけて情け容赦なく振り下ろされる。
ドガァァァンッ!!という爆音と共に、分厚い氷の装甲が砕け散り、獣は断末魔を上げる間もなく光の粒子となって消滅した。
「……ふぅ。一丁上がり」
冬夜が着地し、義手の熱を冷ましながら短く息を吐く。
「……さすがね。でも、油断しないで。本命のワイバーンがまだ一匹も出てきていないわ」
姿を現した瑞希が小剣の血を振り払い、厳しく周囲を警戒する。
5人の連携は、息を呑むほど完璧だった。
別パーティでその光景を見ていた冒険者たちが、「あれがAランクか……」と畏敬の念を込めてざわめく中、ただ一人、彼らを見つめるどす黒い視線があった。
(……ふふ。随分と生き生きしてるじゃない、瑞希先輩)
ザックの仮面の下で、南はうっとりとするような、それでいて底知れぬ嫉妬に塗れた笑みを浮かべた。
元の世界では朋美先輩の陰に隠れてウジウジしていただけの女。それが今じゃ、現世の美しい人間の姿をそのまま保ち、トップランカー気取りで光り輝いている。
一方の自分はどうだ。醜い化け物に転生し、今は他人の皮を被って辛うじて人間のフリをしている。その理不尽な格差が、南の憎悪をどこまでも深く煮詰めていた。
(それにしても、あの藤原姉妹まで生きて瑞希先輩とつるんでいたなんてね。……本当に反吐が出るわ)
松岡を巡る嫉妬と、転生組が固まっていることへの忌々しい記憶が蘇る。だが、南はすぐに冷徹な思考を取り戻した。
先ほどの氷の獣との戦闘を見れば、彼我の実力差は歴然だ。瑞希はもちろん、あの異形の腕を持つ男も、魔術を操る双子やフェリシア族も、今の南よりも遥かに格上であることは間違いない。
(あの見事な連携……今の私を下手に手を出せば、確実に返り討ちに遭うわね)
ここで感情に任せて牙を剥くのは三流だ。南はザックの仮面を深く被り直し、膝から這い出そうとする殺意を冷たい胃の底へと飲み込んだ。
(いいわ。今はせいぜい、束の間の仲間ごっこを楽しんでいればいい。一番高いところから突き落とされるのが、一番痛いんだから)
毒蛇は決して急がない。獲物が完全に警戒を解き、最も無防備な腹を見せるその一瞬まで、暗がりでじっととぐろを巻いて待つのみだ。
南は仮面の奥でうっとりと舌なめずりをすると、何食わぬ愛想の良い顔を作って、冒険者たちの輪の中へと静かに溶け込んでいった。




