シーン7:ネルガル地方の異変
ネルガル方面の深く薄暗い森。濃密な血と臓物の匂いが立ち込める獣道に、生々しい肉の裂ける音が響いていた。
「あーあ、また破けちゃった……」
血だまりの中で、巨大な蛇の下半身を持つ異形の化け物――南は、苛立ちとともに自身の顔を覆っていた『人間の皮』を無惨に引き剥がした。
ベリッ、と嫌な音を立てて剥がれ落ちたそれは、かつて屈強な傭兵だったものの顔面だ。
【虚飾の脱皮】。
捕食した相手の肉体情報から抜け殻を生成し、完璧に成り代わる能力。だが、言うは易しだ。今の南にはまだ、自身の巨大なラミアの肉体を人間の小さな皮の中に収めるだけの、精密な魔力コントロールが備わっていなかった。
無理やり押し込もうとすれば魔力が反発し、皮は福笑いのように歪み、声は爬虫類のようにひび割れてしまう。
「こんな不細工じゃ駄目……。こんな醜い姿じゃ、先生に抱いてもらえないじゃない!」
ヒステリックに叫び、南は引き裂いた皮を地面に叩きつける。
彼女の周囲には、すでに原型をとどめていない野盗や傭兵たちの残骸がいくつも転がっていた。
(ただ肉体を縮めるだけじゃ駄目なんだわ。内側から押し返す力が強すぎる。なら、どうすれば……)
苛立ちながら自身の長い尾を弄っていた南は、ふと、自分の蛇身が獲物の骨を砕くときの『締め付け』の感覚を思い出した。
外側から力を加えるのではなく、内側の筋肉と魔力そのものを極限まで収縮させ、同時に、被った皮の毛細血管の隅々にまで自身の魔力を『血液』として行き渡らせる。つまり、ただ「着る」のではなく、死んだ皮を己の魔力で「生かす」のだ。
「……そっか。私の魔力を接着剤にして、内側から皮と肉を縫い合わせればいいのね」
会心の閃きを得た南は、新しく捕らえておいた瀕死の冒険者に狙いを定め、大きく顎を開いて頭から生きたまま丸呑みにした。
骨が砕け、肉が溶ける。それと同時に、南は相手の脳髄へ自身の毒素(魔力)を直接打ち込んだ。
【記憶の簒奪】――南がそう名付けた、対象の脳から直接情報をダウンロードする付随スキル。
ただ知識を奪うだけではない。脳の海馬を溶かしながらシナプスの電気信号を啜ることで、対象の『人生』そのものを追体験するのだ。
(へぇ、あんたの名前はザックっていうのね。……グラニアの酒場の娘に惚れてるんだ。ふふっ、馬鹿みたい)
相手の感情、記憶、そして声帯の震え方や、歩くときの足の運びといった筋肉の癖に至るまでが、濁流のように南の意識へと流れ込んでくる。対象になりきるためには、この「口調や癖のコピー」が不可欠だった。
(……ヴァルハイトの霊峰周辺で、近々大型のレイドクエスト……。冒険者や商人がごまんと集まる……これだわ)
消化されるザックの記憶から得た情報に、南は冷たい笑みを浮かべた。
大好きな先生は、きっとこの世界のどこかで私と同じように生きているはずだ。彼を探し出し、再びその隣に立つためにも、人間の社会に溶け込む必要があった。大型クエストの喧騒は、都合のいい「着ぐるみ」を探して紛れ込むには絶好の舞台だ。
南は極限まで精神を集中させる。
先ほどのひらめきの通り、自身の肉体と魔力を極小に圧縮しつつ、生成した『ザックの皮』の裏側に、血管のように魔力を張り巡らせて定着させていく。
やがて血の池の中から、一人の人間が立ち上がった。
生成された皮は一切の破綻なく南の肉体を包み込み、先ほど喰い殺した冒険者の姿を完璧に再現していた。
「お、俺はグラニア出身のザックだ。……いや、違うわね」
南は自身の喉仏(新しく作られたものだ)を軽く指で叩き、声帯のチューニングを行う。
「俺はザック。よろしくな、あんたも霊峰へ行くのか?……ふふっ、完璧。声も、仕草も、全部手に入れたわ」
血の海の中で、モブ冒険者の顔をした南が、被害者と全く同じ野太い声で、ひどく甘ったるい笑い声をこぼす。
完璧な『皮の仮面』と人間社会への切符を手に入れた執念の捕食者は、大型クエストの舞台となる霊峰へと向けて、ゆっくりと歩み出した。




