幕間10:鳴り始めた協奏曲
美憂が姿を消してから、すでに三ヶ月が経とうとしている。
相変わらずミラージュエデンの転移者達の監視を続けながら、美憂の動向を探るという過酷な生活を送っていた。
「何だ?……何かがおかしい。……違和感。こんな事がありえるのか?」
恭は自室の暗闇の中、空中に展開した複数の観測窓を見つめながら、自らの手のひらを強く握り込んだ。
原典世界においては、神の定めた理により、本来異能の力は九割方制限されるはずだった。しかし、恭の固有スキルである【死神】から派生した観測と干渉の権能は、日を追うごとに制限を無視するかのように拡大し続けている。
その観測窓の一つから、冬夜たちがルミナスの地下禁書庫で古い文献を読み解いている声が聞こえてきた。
『異界からの魂が器を奪って定着した際、元々そこにあった魂は消滅せず、理の外側へ弾き出される――』
その言葉を聞いた瞬間、恭の頭の中で、バラバラだったピースがカチリと音を立てて結びついた。
「……なぁ、ベルゼ」
恭は観測窓から視線を外し、虚空に向かって低く声をかけた。
『なんじゃ。冬夜たちの様子を見ておったのではないのか?』
「ああ。だが、それを見ていて、お前の『嘘』と『隠し事』に気づいた」
恭は鋭い眼差しで、見えない神の気配を睨みつける。
「禁書には、弾き出された魂は理の外側へ行くとあった。世界というシステムにおいて、エネルギーである魂が完全に消滅することはない。消費されない限りな。……つまり、弾き出されたエデン側の魂は、理の外側である『天獄』にでも押し込められて、囚われ続けているんじゃないのか?」
『……ほう』
「オリジンの魂はエデンの魂より強度が強く、器の主導権を奪う。10年前の地球における大虐殺。光彦から聞いて調べていたんだ。フィストの野郎……ただ無差別に魂を奪ってるわけじゃないな。あいつの真の目的は『魂の実験』だ。その強靭なオリジン側の魂を資源として搾取し、1層世界と2層世界に次元の穴を開けるためのエネルギーにする。美憂が持たされた【刈り取る者】の力も、その実験過程で出来た副産物に過ぎないだろ。」
恭の研ぎ澄まされた理性と洞察力が、神の残酷な思惑を丸裸にしていく。
「そして、オリジンの魂に押し出されて不要になった『エデン側の魂』……行き場を失ったその魂を資源として再利用する為に、お前がいる天獄に送り込んでいる。……お前、天獄で『今は』一人じゃないんだろ?」
重苦しい沈黙の末、ベルゼの気配が僅かに揺らいだ。
「沈黙は、是と取るぞ。ベルゼ。」
『…………』
恭は逃さず、二つ目の質問をぶつける。
「なら、もう一つの質問だ。……『転移』した魂、つまり俺が『ミラージュ・トレイン』で轢いた魂が、向こうにいる自分の『魂』と近づいたら、一体どうなる?」
『……そうじゃな。魂が共鳴するじゃろうな。原典世界の人間さえ望めば、統合される可能性が高い。そして、莫大な魔力を持った『英雄』とも呼ぶべき存在が顕現する。』
恭は冷たく鼻で笑った。
「なるほどな。それがお前の『本来の目的』か。俺をただの便利な『魂の射出装置』として使い、向こうの世界に肉体ごと人間を送り込む。そいつらがエデンで向こうの魂と統合して超常の英雄になったところを、天獄からの脱出の手助けにするのとフィストへの復讐の『協力者』として手駒にするつもりだったんだろ?」
『……ふん、邪推じゃな』
図星を突かれ、ベルゼは表面上こそ威厳を保ってみせた。
だが、その内心ではかつてないほど戦慄していた。
(……こやつ、どこまで見透かしておる。ただの便利な道具だと思っておったのに、偶然にもフィストがこやつの恋人を取り込んだせいで、恭は完全に盤面の『介入者』になりおった。何より、神の権能を無限に吸い上げ、オリジンの理すら食い破るほどのバケモノに育ちつつあるとは……完全に大誤算じゃ!)
「そうか……。まぁ何にしてもその計画にはそもそも穴がありそうだけどな。」
『な……どういうことじゃ?』
「こちらから仮に『転移』させて人を送り込んだとしても、現地で好き好んで融合したがる奴って居るのか?強制的ならまだしも……。」
『あ……。』
「やっぱり気づいてなかったか。仮に、目論見通りにオリジンの人間が『あっち』に行っても、魂を統合するメリットが基本的にはないんだよ。能力も得られるみたいだし、よっぽどの理由が無い限りはな。何百人か送って、世界の仕組みを知ってようやく一人居ればいいってとこじゃないのか?そんなもの好きは。」
『確かに……。』
「その統合のプロセスに至る為の、ナビゲーターが居ないんだよ。そもそも破綻してる。何百年待つつもりだったんだよ?」
『…………』
神の目論見すら超えて異常な成長を遂げる特異点。
恭は立ち上がり、窓の外の雨を見つめた。
「お前ら神の都合で、色々とかき回してくれてるが、俺の女を巻き込んだんだ。……神だろうがなんだろうが、売られた喧嘩は買ってやるよ。」
「ベルゼ。邪魔するなら、お前も敵と見なすからな。」
『わかっておるわ……』
◆
――同刻、原典世界の暗闇の中。
打ち捨てられた廃工場の隅で、如月美憂は血を吐きながら冷たいコンクリートの床を掻きむしっていた。
「あ……がぁぁっ……!はぁ。……はぁ。」
全身の骨が内側から軋み、自我がすり潰されるような激痛。
彼女にはフィストが明かしていない【刈り取る者】の残酷なルールが課せられている。
『人間の器が耐えられる他者の魂は、7人まで』
夏芽、朋美、悠希、莉子、そして南。すでに5人もの魂を刈り取ってしまった彼女の肉体と精神は、定員オーバーに近づきつつある容量の圧迫によって自我崩壊の淵に立たされていた。
「恭くん……っ、恭、くん……っ」
擦り切れた意識の中で、愛する人の名前だけを呪文のように繰り返し、彼女は必死に人間の形を保とうと足掻く。
『――苦しいかい、美憂』
暗闇に響く、フィストの悪びれない軽妙な声。
美憂は荒い息を吐きながら、虚空を睨みつけた。
『無理もない。ただの人間の脆い器に、急激なスパンで五つもの魂を詰め込んだんだ。器が悲鳴を上げるのも当然さ。……だが、君を少し楽にしてあげる方法があるんだ』
「……方法……?」
『ああ。1層世界の人間ではなく、もっと強靭な2層世界の人間の魂を一つ刈り取るんだ。そうすれば、器のひび割れが補強されて、その耐えがたい苦痛も少しは楽になるはずだよ』
真実を隠したままの、悪魔の囁き。
痛みに狂いそうになっていた美憂にとって、それは暗闇に垂らされた唯一の救いの糸のように響いた。
『ターゲットはもう見繕ってある。……君の愛しい恋人の、すぐ近くに居る女だ。名前は、高橋優子。元2層世界の住人でね。私が調べたところ、メフィストとも関連があるようだよ。他の人間より上質な魔力を秘めているはず。』
不意に、フィストが口にした名前。
メフィストの名を聞き、美憂の瞳に昏い光が宿る。
人を呪い、魂を喰らい、復讐の権化として完成していく自分。もはや後戻りなどできない。
「…その、……ために。生き……きた。…」
冷たい雨が打ち付ける廃工場で、黒銀の死神は苦痛から逃れるため、そして全てを終わらせて恭の元へ帰るため、ゆっくりと血に汚れた身体を起こし、歩き出した。
『ハァァァァッ。最高だぁ。フフ』
誰も居なくなった廃工場に、不気味な笑いがこだましていた。




